2008年3月16日日曜日

2008年3月16日(日)~17日(月)福島県三島町で

■会津学研究会:春季講座のご案内


山に生きる 三島町間方集落に学ぶ

日  時:2008年3月16日(日)・17日(月)

場  所:福島県三島町 桐の里倶楽部(0241-52-2828)

受講費用:大人1000円(参加費は1日、両日参加共)

申込締切:3月14日(金)



第1日目 3月16日(日)13:30~17:00
13:20 集合   三島町交流センター山びこ前(駐車場あり)

13:30~14:30  全国工芸品/三島町工芸品展見学(体験は別途500円)
三島町交流センター山びこ/三島町生活工芸館


※以下から会場は宮下温泉のふるさと荘となりの
桐の里倶楽部です。

15:00~17:00  車座談義①
・山の恵みの手仕事 舟木トメ子さん
・山の恵みの食   間方地区の方々


18:00懇親会「桐の里倶楽部」(希望者にて会費3000円)

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第2日目  3月17日(月)9:00~11:45
9:15~10:15  対談 山を知ること
 菅家藤一氏/菅家博昭(会津学研究会代表)

10:30~11:15  車座談義②
・祈りと習い    二瓶一義氏

11:20~12:00  雨と水の民俗
 佐々木長生氏(福島県立博物館)

主 催:会津学研究会・共 催:奥会津書房

2008年2月17日日曜日

2月21日午前、三島町で。

■2008年2月21日(木)午前9時~12時。福島県三島町宮下 「カノヤキ(焼畑)研修会」が行なわれます。照会は奥会津書房まで。

  三島カノヤキ組研修会
 ○全国のカノヤキ事情 近畿大名誉教授 野本寛一先生
 ○映画上映   「牛蒡野のカノカブ」
 ○事例・質疑  野本昭三氏(牛蒡野でカノカブをつくる)

 同夜、ふるさと荘にて夕食会と会津学研究会例会を開催いたします。詳細は奥会津書房まで18日締切。

■2月21日(木)午後1時30分~5時 三島町宮下・三島町民センターにて、「農林業と木質バイオマス講演会」。会津西部木質バイオマス研究協議会主催のパネルディスカッション。聴講参加無料。

「バイオマスの現状と未来」福島県南会津農林事務所森林林業部林業グループ主任主査鈴木比良氏(南会津町)

「山に雇用を生み出すペレット製造」(株)アグリパワー代表取締役佐藤良治氏(会津若松市)

「農林業素材を活かした自給燃料づくり」NPO法人グリーンエネルギーユーザーズ斎藤光一氏(会津坂下町)

「木質バイオマス活用の展望と課題」会津建築工芸舎代表金親丈史氏(喜多方市)

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■3月16日(日)~17日(月) 会津学研究会 春の講座。主会場は三島町桐の里倶楽部(0241-52-2828)。三島町内で全国工芸品展が開催されており、見学、体験(生活工芸館は別途500円)。申し込み受付(参加費1000円)しています→→→奥会津書房

16日(日)午後3時~5時 車座談義(山の恵みの手仕事、等)

17日(月)午前9時~11時 対談「山を知ること」(三島町間方地区在住菅家藤一氏、聞き手菅家博昭)

2008年1月17日木曜日

ユーチューブでの映像配信試験

■2008年1月17日(木)会津地方は雪です。

■昨年末から会津各地を取材し、編集し、試験的に、ユーチューブに映像をいくつか掲載しています。これは2007年9~11月に会津を2回案内しました。その調査・取材・撮影したものが後に公開された「香箱(こうばこ・香時計とも)」についてのotaラボ(大田花き・花の生活研究所、東京の花卸会社)の映像を見たからです。

■カツラ(桂・樹木)の乾燥した葉がいかに粉砕されていくか(速度)、、、そしてそのための準備の身体技法、、、安定させるためのワラの使用はそのくくり方など、、、よく見ることができます。→→→ otaラボの香時計

■私は各地の表情や、古刹である神社・仏閣を年末・年始に撮影して編集してみました。→→→ 菅家博昭のユーチューブ(GYPJ)

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■会津美里町雀林の法用寺三重塔は会津地方に現存する唯一のもので、へびぶち(蛇打ち)という民俗行事も行われている地域です。塔には昨年のものと思われるセミの抜け殻がまだついていて、正月は大雪でしたが、それ以降雨の日が続いた1月7日の早朝に撮影しました。「尊農」の掲額もありました。→→→ 1月7日撮影 

■喜多方市も取材してみました。アマチュアによるビデオ撮影というのは公開を前提とするととても難しく、三脚を使用しての撮影では半日で100カット、60分程度撮影し、3~5分に編集してみます。時刻表を調べ撮影地点を決めて磐越西線(JR)のディーゼル列車を撮影しました。
 →→→ 2008年1月7日 喜多方市 願成寺会津大仏

 →→→ 2008年1月6日 喜多方市 新宮熊野神社長床

 →→→ 2008年1月4日 大内集落の正月

 →→→ 2008年1月10日 会津若松市の十日市

 →→→ 2008年1月8日の奥会津の雪、、、、昭和村小野川・大岐

2008年1月10日木曜日

例会等のお知らせ

■2008年1月の例会は次の通りです。

■会津学研究会のみなさま

奥会津書房@会津学研究会事務局です。

今年もよろしくお願いいたします。
今年初の研究会は、第3木曜の1月17日となります。
道路事情を勘案して、15:00~17:00までを予定いたしました。
是非ご出席くださいますよう、ご案内いたします。

日時:1月17日(木)15:00~17:00
場所:奥会津書房




■会津学研究会事務局です。
赤坂憲雄氏、佐々木長生氏、新国勇氏がパネリストのフォーラムです。
是非ご参加ください。
日時:1月20日午後1時から3時半
場所:福島市杉妻会館2階 牡丹の間(福島県庁脇)
    024-523-5161

参加される方は、奥会津書房までご連絡ください。

2007年12月21日金曜日

台湾の日本人、田代安定

■2007年12月20日(木)曇。
■12月は、昭和村の保存会からの依頼による講演(終了した)のために、からむし(苧麻、カラムシ)に関する文献調査をしているなか、いくつかの古書を購入し読んできている。

入手しやすいものとして、柳本通彦『明治の冒険科学者たち~新天地・台湾にかけた夢』(新潮新書、2005年刊)に出会った。鹿児島県出身の田代安定の生涯が書かれてあった。台湾で大正時代に2冊の苧麻に関する本が出版されているが、その田代安定に関する情報はとても少ないなか、貴重な調査である。ただ、当時の昭和村の大芦について記述している加藤清之助『苧麻』に関する情報の記載は無かった。加藤についてこの7年間調査しているが、周辺情報は全く入手できないまま現在に至っている。

 著者はアジアプレス台北代表。 →→→ 柳本通彦

■ヨークベニマル寒河江店の開店にあわせて復刻された、横山明男ほか「さがえ周辺の歩み 最上川と舟運 青苧・紅花商人」(再編復刻版1997年刊)にも、

 渡部史夫「最上苧(もがみ・そ、、、からむし)の生産と流通」について20ページの論考が掲載されている。とてもわかりやすい論文である。米沢苧と最上苧はあわせて羽州苧(そ)といい、上杉による米沢藩が栽培の中心であった。米沢・会津が苧(からむし)生産の拠点であった。

 文中に、左沢(あてらざわ)領内の青苧は越中八講布の原料となる間替苧となっていることが記載されている。

 また奈良晒(さらし)の原料は米沢苧とある。

■八講布のことをインターネットで検索してみると、以下の記載がみられた。→→→八講布  →→→滋賀県愛荘町

 12月はじめまで滋賀県愛知郡愛荘(あいしょう)町で、日本四大麻布展が行われていた→→→ 愛荘町歴史文化資料館

 八講布は越中八講村(現在の富山県射水市)で生産されていた麻布のことで中世から生産されていたことがわかっていますが、現存資料がなく確かなことは不明です。ただし、文化8年(1811)の『布方一件留帳』には、八講布について次のような記述があります。「横ニ相用候うみ苧之義ハ羽州、最上出来之可らむし、苧ニ而・・・(中略)・・・竪ニ相用候ニ絈之義ハ五ケ山等ニ而作り出申麻苧ニ而出来仕候品」このことから八講布の経糸には地元の五箇山産の大麻、緯糸には苧麻を使用していたことがわかります。展示している資料の経糸は大麻、緯糸は苧麻であり、八講布の可能性が高いと考えられます。

 これは、昭和村(もと野尻郷)でいう「かたやま」のことである。富山県の五箇山産の麻をたて糸に、最上苧(からむし)をよこ糸に混紡したものが八講布という。詳細は調査しなければならないが、八講で作られていたもののようです。

 富山県射水市(もと下村)に八講村があったようです。明治22年まで八講村はあり、合併し下村となり、また合併し射水市に。古代、京都下鴨神社の荘園であった地区かもしれません。→→下村小学校



■山形県 南陽市史編さん委員会『南陽市史編集資料 第6号 ~北条郷青苧栽培と青苧商人』(1981年10月刊)

 解説の錦三郎氏によれば、渡部史夫「米沢藩の特産業と専売制」(昭和51年)からの引用として、以下のように書いている。あおそ(青苧)とはカラムシのこと。

 青苧は、米沢藩の国産品として専売仕法にもとづいて買い上げられ「米沢苧(よねざわそ)」の名で市場に輸送された。慶安元年(1648年)までは代官が買い占め、荷造りもやって御蔵に納めたが、翌年には青苧買銀奉行が設置され業務にあたった。そのころ京都の特権商人、西村久左衛門が藩内青苧を独占的に請け負い「御用特権商人と藩権力との共生による収奪形態が整備されてきた」と述べている。

日本苧麻興業意見(田代安定)



■2007年12月9日着の図書、鹿児島市中央町のあづさ書店西駅店から12,240円(送料・税込)で購入した本。ウェブサイト日本の古本屋にて検索。

 大正六年は一九一七年。

この著作は、私にとって、本年最大の発見でした。購入図書に、著者安定の名刺が偶然にはさんであり、その送り先に自筆?と思われる書き込みがありました。

■田代安定著『日本苧麻興業意見』(大正六年七月二十日発行)、一円六十銭。著者が発行者であり、台北古亭村庄五百十一番地となっている。印刷は台北撫台街二丁目一四六番戸の台北印刷株式会社(遠藤祐太)。日本の発行所は、東京市京橋区築地二丁目二十一番地の國光印刷株式会社。

■田代安定についてウェブ検索してみた。一八五七年生まれ~一九二八(昭和三年)没。

 →田代安定1   田代安定2  田代安定3  田代安定4
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からむし(苧麻)と大芦




■2006年4月24日に札幌市北区の弘南堂書店より8840円(送料・税込)で購入した『苧麻』

■大正十一年(一九二二年)十二月五日に台湾総督府内の南洋協会台湾支部が発行所となって出版された、定価二円の加藤清之助著『苧麻』四二ページには以下のような記載がある。

1.福島県

福島県の苧麻産地は大沼及び南会津の二郡にて、前者は五十数町歩、後者は三町歩内外に止まる。而して大沼郡に苧園を有せるは野尻と大蘆(大芦)の二村なるが大蘆の産を最良とせり。

2.山形県

山形県の苧麻作付面積は(明治)四十三年には百三十六町、四十四年には百四十八町八反なりしが、大正三、四年頃には百〇三町予歩にして、内西村山郡その半を占め、北村山郡二十五町内外、最上郡十五町内外は其の重なるものにして、他は殆ど数ふるに足らず。その総生産額は本州西南部及び四国、九州の総生産額と匹敵す。西村山郡の苧作中心は天童より最上川を遡りて八里余の山奥に於てし、総て山間僻地の交通極めて不便なる地方なり。

■全国の状況は三九ページに以下のように記載されている。

 明治三十八年以来の統計によれば、苧麻栽培は年々衰微に赴き、当局の奨励何等効を奏せざるの現況なり。

 即ち明治三十八年には二千町以上の作付と二十八万有余の年額を算せしもの、大正元年には八百四十六町余、産額十万貫余に降り、大正三年には四百四十五町余の作付と、五万八千貫余となり、大正四年には二万三千九百六十七貫に激減するに至れり。

■三八ページには、次のようにある。

 上杉家は越後の苧麻最盛期前会津に専領し、次に米沢に専領し、至る処に於て此が興業を奨励せし結果、その業は奥州至る処に勃興し、昔加賀、信濃、山形、会津(今の福島市若松地方一帯は昔時の苧麻栽培地の中心なりき)、米沢等に於て、既に隆盛を極め、越後に於ては遂に自国産を以て国内製麻業の需要を満た事能はず。信濃、会津等より之が原料の供給を仰ぎたりき。然るに星移り年変り、遂に幕末慶応の騒憂に会し、世の変乱となりては、流石に昔時隆盛を極めたる越後その他の苧麻興業も、漸次衰微するに至り、越後の製麻布原料の消費僅かに五百万斤を算するに過ぎざるに至れり。


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巻末、三六七ページの引用書目には、英文の文献が七点、そして日本語の文献が一二点掲載されており、その第一が「八、田代安定氏 苧麻興業意見」となっている。

2007年11月30日金曜日

香の樹(こうのき)物語





■2007年11月29日(木)、初冬の南会津町の月田農園に禮次郎さんを訪ねました。都内の大田花きという卸市場の花の生活研究所長銅金裕司さん、宍戸純さんの来県調査に随行するかたちで、旧南郷村の山口の台、板橋地区の調査をしました。このフィールドは、今年3度目です。

■板橋地区で訪問したSさん宅でも、かつて使用していた「香箱(こうばこ)」を見せていただき、まつわる話をうかがいました。大正五年生まれのおばあさん(九十歳)からも話を聞きました。

 昔から板橋地区には墓地に大きな株立ち(株から何本も幹が出る)の「こうのき」があった。その「こうのき」で、こどものころ、よく遊んだ。この樹はカツラのオスの樹で、春の芽吹きが赤い葉で紅葉になる。この葉を初夏、梅雨明けに取って半日で乾燥させ、ウスでついて、粉末として香(こう、抹香)とした。

 その樹は墓地とともに、いまから三十数年前の道路拡張工事で墓地は移転、樹木は伐採された。いまなら道路が迂回したと思う。そのコウノキは、皆の記憶のなかに生きている。香の葉をつかった線香を焚くのは、禮次郎くらいだろう。

■月田禮次郎さんの家の山際の北側にある台地区の墓地にもコウノキは株立ちで一株ある。それはメスの樹で種子をつける、という。その樹木のある墓地に案内してもらいました。オス、メス両種とも葉を使用するそうです。


■銅金裕司氏による動画のまとめ→→→ロングテールネイチャー(香時計)
■関連記事 →→→ 9月22日

2007年11月15日木曜日

なしのきほや(やどりぎ)


■2007年11月14日午前8時30分、都内の卸売市場・大田花きの商品開発室長宍戸氏、花の生活研究所に銅金所長を訪問し、懇談しました。11月30日に関東圏で放映されるNHKテレビの収録が10時から大田花きで行われ、そのヤドリギを昭和花き研究会から今回、提供しました。担当の三浦彩さんによるとヤドリギは1300種類が世界に存在する、ということでした。宍戸氏はヤドリギ栽培をしてクリスマス前の12月に「ヤドリギ市」をするのが夢だ、と語っていました。

帰宅して、猟師の父に聞くと、ヤドリギには薬効があり、また樹種による寄生種が異なり、利用する鳥類・動物層が異なるのだ、ということです。ヤドリギの実は、多くは小鳥類の厳冬期の餌になるのですが、昭和村ではヤドリギは「ホヤ」と呼びます。形状から穂矢(ほや)、あるいはランプなどを包むガラスをホヤといいますから、ゲル状の実の質感か、なにかを示す表現だと思います。

いちばんよいのは梨の木につくヤドリギ(宿り木)で、「ナシノキホヤ」だ、といいます。この実を煎じて飲むと蓄膿症が治ると大岐の菅家勝四郎氏(故人)は言っていた、と母は言っています。「ナシノキホヤ」がいちばん上等なヤドリギで、ヤマドリが集まるそうです。そして「ナシノキホヤ」を使ったワナには野ウサギがよくかかり、野ウサギの好物だ、とういことです。

そして栗の木に着くヤドリギが次いで上等だ、といいます。「クリノキホヤ」と言います。

ブナやミズナラ、コナラ類にも付き、樹種による寄生種で実の色調も異なります。

宍戸氏によればヤドリギの1節伸びるのに1年かかっている、ということです。

予定として15日~17日も上京します。

■12月9日午前8時から25分間の予定で東北地方のNHK総合テレビ「幸せのカタチ」で菅家が紹介される予定です(10月の取材)。

2007年11月4日日曜日

木曜講座



■2007年11月1日(木)13時30分から、会津若松市内の福島県立博物館で木曜講座が開催されました。