2007年5月31日木曜日

聞き書きの周辺④御詠歌(うたよみ)

■2007年5月31日(木)、一日中雨でした。

■「今日未明に、ばあちゃんが亡くなった」と昨日、田島田部の湯田浩仁君から電話がありました。明日(6月1日)午前10時、自宅にて葬儀が行われるということで、通夜にあたる今日の夕方、昭和村から雨の船鼻峠を越えて会津田島の湯田君の家を訪ね、焼香させていただきました。湯田サンさん、大正元年生まれの94歳。家族に見守られながら、自宅でずっと療養し、自宅で息を引き取りました。そして地域の人たちにより自宅での葬儀の準備が行われていました。十三佛の御詠歌、、、ウタヨミが地域の人たち30人ほどで行われていました。左側の台には漢字でかかれた御詠歌、右側手前はひらがなの御詠歌、打つ鐘の音に合わせて節をつけて詠います。昭和村のオオマタでは西国三十三観音御詠歌を詠います。詠む詩は異なるものの、地域の人たちが声を合わせて故人を供養するものでひろく行われています。僧による経文とは異なり、ほんとうに故人といっしょに地域で暮らした人々の声による供養なのです。尊いものです。

■湯田君の家を訪ねたのは、松山誠さんといっしょに数年前の秋にハウスを訪ねたのが最初です。その後、宮西さん、松山さんと秋に訪ね、その年の2月に松山さんと一緒にソバうち体験でした。市場や仲卸の人と一緒に訪ねるのが多かったのですが、冬に一度訪ねたときに、サンおばあさんに一度だけ会ったことがあります。

 娘さんの家に泊まりに行っていたのだそうですが、「ただいるとたいくつだから、針仕事の道具を取りに家に戻った」ということを、そのときおばあさんのサンさんは、話していました。

■湯田君のお母さんは、この5月のアスパラガス収穫体験の取材のときに、お世話になりました。今日の湯田君の家は大勢の人が、親戚、地域の人たちで葬儀の準備が行われていて、ウタヨミを終えて19時過ぎから夕食の準備、、、座敷にテーブルが10個ほど並んで、皆忙しそうでした。焼香して帰る予定が、その輪に加わることになって、1時間ほどいました。ごはん、味噌汁、銀タラの煮付け、カノシタ(きのこ)と糸こん、豆腐1/6をいただいた。玄関を入って右手には地域の人からのビールがプラケース20本入が20ケースほどのしを巻いて積まれ、テーブルには国権の清酒の1升瓶と、ウーロン茶ペットボトル2リットル、陶器の皿と箸がずらっとならんでいました。大勢の人の末席に座っていた私を発見したのは湯田君のお母さんでした。

■28日に魚沼に健市君を訪ねたときに新発田の富樫君の作ったバラをいただいて会津に帰ったのですが、29日の夜に会合があり湯田君にあったので、いただいた3種のバラの半分を湯田君に届けました。そのバラが座敷に多くの花のなかにありました。そして交流の多い湯田君への首都圏の花屋さんからの花も御供養のものとしてたくさん置かれていました。

■地域の人たちに、いつもやさしく見守られている家である、といことをあらためて感じました。こうしたことも、自分の住む昭和村でも自宅での葬儀が少なくなっていること、、、老人世帯で大勢の来客のまかないができない体力で、町の葬儀会館での葬儀が多くなっていること、、、、を考えると、普通の出来事が普通にできなくなることが、いま始まっているということを思いました。湯田君は会津学3号の対談に参加してくれ、若い農業生産者として南会津町田島で活躍している人です。

 故人のご冥福をお祈りいたします。(菅家博昭)

2007年5月26日土曜日

聞き書きの周辺③ 下調べ


聞き書きの周辺3 事前調査(文献調査)

■2007年4月から、話を聞きに行く集落のことについて書かれている資料を探して読むことからはじめた。まず郷土史。そして過去の史書。地図。会津地方では現在、歴史春秋社から『新編会津風土記』が公刊されているので図書館等で5分冊のなかから、必要とする集落の近世(いわゆる江戸時代)の状況を知ることができる。そして郷土史。あるいは民俗誌。会津若松市立図書館、南会津町の田島の御蔵入交流館内の図書館などは郷土資料などが充実している。地元の公民館の図書室や教育委員会にも郷土資料は保管されている。購入する場合は「日本の古本屋」(ウェブサイト)や、その地域にある古書店などにその地域の資料は集まっている。
 歴史春秋社は会津若松市内で郷土資料を中心に出版活動を行っているところで、会津若松市内の北日本印刷(株)の子会社。

■今回は、昭和48年に昭和村が発刊した『昭和村の歴史』(1973年)

■会津藩が編纂した『新編会津風土記』(平成14年、歴史春秋社版) 第4巻120ページから128ページに昭和村に該当する野尻組が掲載されている。そのなかに牛首城(中丸城)と舘内が書かれてある。

 以下のように記載されている。

 野尻村 家数五十五軒、端村・中向四十八軒

 舘跡 村西十三町山上ニアリ、東西五十六間・南北一町二十五間・中丸(ナカマル)城ト云、三方ハ谷深く、南一方山山ニ続ク、文明ノ頃山内信濃築キ住セシト云、又村中ニ信濃カ宅跡アリ、字を館内(タテノウチ)ト称ス、今民居トナレリ



■中世の城館跡については福島県教育委員会による調査報告書も発刊されている。

■中世城郭研究会の松岡進さんが昭和村で行った牛首城・丸山城の調査報告書もたいへん貴重なものとなっている。『中世城郭研究 第十五号』(2001年)。

 身近に手に入る資料をいつも読み返しながら、聞き書きで理解できなかったこと、あるいはその奥行きや背景を考えることができる。

■そして地図。2万分の1の地図に沢、尾根などを水色や黄色のラインマーカー等で描きながら、その集落を取り囲む沢の位置を考えるための作業を行う。集水域がたいてい最低限の行動圏となっており、季節によりその行動圏は伸縮する。冬期間は最大の行動圏となることが知られている。その地図をいつも見て、そして現地に向かう。

2007年5月25日金曜日

聞き書きの周辺②ふんばぐ fun-bagu


聞き書きの周辺② ふんばぐ 

(福島県昭和村大岐 菅家博昭、農業)

■2007年5月24日(木)、前日から仕事で上京していたが、午後の首都圏でのMPS切り花の店頭でのテストマーケティングが日程が変更になっていたことを知らされ、取材を予定していたのが、時間があいてしまった。

■この春に福島県内のF大学の行政社会学系学部に入学したわたしの一人娘のKに携帯電話から「今日の日程は?」と、メールを送った。すぐに電子メールで、返事がきて、「今日は授業が午後2時に終わり、それ以降の予定は無い」ということだった。
 それではと、Kが住み始めた大学に隣接したアパート前で「午後2時30分ぐらいに会おう。市内の書店に行こう」ということになった。

■東京駅から東北新幹線で郡山駅で降りて、その近くの駐車場に停めておいた自家用車にて国道4号線から東北自動車道の本宮インターチェンジから、サービスエリア内からETCカード搭載車だと出ることができるM地区から、F大学のある地域に向かった。

■待ち合わせ場所に、大学からの帰りで、黒い布袋(トートバッグ)を持ってやってきたKに、わたしは、午前中に見てきた無○良品・有楽町3階の「葉っぱ」展のリーフレットと、『プランテッド』折込のJFMAのMPSリーフレットをプレゼントした。彼女は「なに?」といった。Kちゃんは、このデザインやレイアウト、リーフレットのコンセプトはどう思う?
 それの一通りの説明をわたしから聞いたKはそれを黒い布袋に入れた。この袋は大英博物館のロゼッタストーンがプリントされていて、わたしが以前に贈ったものだ。

 自動車に乗って、丘陵地から田植えの終わった田園地帯を抜けて住宅地を越えて商業集積地、、、、、いわゆるバイパス道路の大型量販店の並ぶ地域に向かった。

 当初行こうと計画していた岩○書店の郊外大型店ではなく、道すがら見つけた西○書店という1909年創業という郊外大型店舗に行った。そのほか、衣料品店を2箇所まわることになった。

 夕食は大型ショッピングセンター内のフードコートで、食べた。これからは、そのときの話である。わたしが今日来た目的は、今月半ばに、地元であの事件があったから、わたしの父母が彼女、つまり一人暮らしをはじめた孫にたいして、「いろいろと、社会のことを、ひとづきあいのしかたとか、よく教えてこいよ」ということがあったからだ。意識して、自分の子どもに伝える、ということを、わたしも、自然に行おうとした。

■いっしょに食事をしながら話す、ということはとても大切なことで、記憶に残るのだ。

「大学は慣れたか?」

「うん」

「でも不便な場所、山の上にある大学だから、街やお店に遠くて買い物もできないな」

「でも、このまえ他県から来たゼミの女の子の友達と電車で駅前まで来てカラオケを6時間やったよ」

「はあ、、、、すごいな」

「彼女は標準語しか話せないから、たまに会津の方言で話すと、彼女は笑うんだ」

「そうだべな」

「きゃはは、、、そんでもって、この前、ふんばぐ(fun-bagu)って言葉使ったら、なんだそりゃ、、、、って話になったの」

「それは会津若松の人でもわがんねべな。昭和村の言葉だもの」

「えっ???」

「パパ(わたし)は農家だから、Kちゃんがちっちゃいころはオーマタに連れて行って花作りやってたから、それはオーマタの方言だぞ」

「ばーちゃんの言葉だったの?」

「そうだべな」

「そーか。寝ていて、ねぞうが悪くて、布団を脚で押し出してしまうことを、ふんばぐっていうからな。ばーちゃんがその布団をまた、そっとわたしに風邪ひかねようにってかげてくっちゃから、覚えてんだなあ」

「そうだな。言葉は暮らしとともに記憶されてっから。パパはいま、昭和村のお年寄りから昔の話を聞いている」

「なにそれ」

「土地の名前、山や谷、沢についた小さな名前は、その当時の暮らしを支えた仕事や生活に密着しているから、その地名がわかるひとは、そこにいって何か、山菜とかクマを獲ったりとかやってたことがわかる」

「ああ、いつものやつね」

「でも、この前のじいちゃん、、、、90歳近いひとだったけど、小学生の時からウサギを獲ったりしてたって話をしてた。そして雪崩で埋まった谷に、雪どけ水があけたトンネルの中をくぐって親に山菜採りに連れて行かれたって話しがはじまって、その雪のトンネルを『ゆきうど』って呼ぶことを、はじめて知ったんだ。すごい言葉が出てきたんだ。4月に隣町では、そうした雪で埋まった谷、、、、雪崩で埋まった谷の雪の上をわたって歩くから『なでばし(雪崩橋)』っていう言葉をはじめて聴いたばっかりだったからな。隣の地区は、雪崩の雪の上を歩き、こちらの地区の人は雪崩でできた雪の穴の中をあるくんだぞ、、、、狭い地区によってその雪崩を利用して移動するしかたが違うんだ、、、、パパにとっては最近にない大発見だったから、会津学研究会のブログにその日のうちにすぐ書いたんだ」

「はあ、、、、それはすごいね。他県から来た友達をこんど大学の夏休みに会津の昭和、、、、オーマタに連れてってホームステイさせたいんだ。なんかこの大学がある県庁所在地がとても地方で山の中だって、驚いているから、、、、じいちゃんやばあちゃんが住んでいるオーマタに連れてったら、たぶんショックだと思うよ。言葉も違うし、食べ物も、たぶん山菜なんて食べたことがない。でもとてもいいところだと感じてもらえると思う」

「山の中は冬は雪に囲まれてなんの音もしないけれど、夏は、夜はカエルの声や虫の声、、、、昼はセミの鳴き声で、狭い谷が音の洪水だからな、、、、たぶん、それに驚くと思う」

「ああ、、、パパ、、、、いまの大学前のアパートのまわりは田んぼばっかだから、暑い夜に戸をあけて網戸にしたら、眠れないほどカエルの声ばっかで、会津若松よりすごい田舎だよ」

「そうか」

「夏休みが楽しみだ、、、、、」

■学業とは別に、マンガを描くか、油絵を描くか、独学で勉強するための本を買ってみる、ということになった。別れ際に、5月22日にわたしが書いた『聞き書きの風景①』のA4・4枚にプリントアウトした原稿を、彼女に渡して、大学生活も「はしか」にかからないよう、話して、別れた。自動車を運転して自宅に戻ったのは22時。地域で聞いたことは、まず、身近な次の世代に語って伝えることが第一義である。まとめて出版するまでに聞いた感動が薄まる。あるいは会津学研究会の月1回の例会で、聞いたことを語り合うことで、その承けたものを消滅させない意図的な行為が、地域研究ではいちばん大切なことになる。本で伝える前に、まず言葉で伝えることが必要になる。本は100年後への贈り物として位置づける。

2007年5月23日水曜日

聞き書きの周辺① ゆきうど yuki-udo


聞き書きの周辺① ゆきうど
(昭和村大岐・菅家博昭、農業)

■先週訪問した人に、山の地名を知っている人を紹介してもらった。二人いた。

 そのうちの一人の方に、昨日(2007年5月22日)朝8時に電話した。

 「大岐の菅家博昭といいますが、○作あんにゃ(兄者)ですか?△吉あんにゃから山や沢の名前を聞くなら○作あんにゃ、だ、っていうから、教えてもらいたい」

 「???」

 「てっぽうぶち、やってやったべ。その話も聞きたいのや。今日の朝、これからいぐから、9時ぐらいから1時間ほど話を聞かせてほしい」

 「わがった。は、年とってなにもしてねがら、家にいる。九十(歳)にもなんだから、なにもしてねがら、来てもいい」

 「んだと、これから行くからたのんます」
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■はじめて訪問する家で、これまでには、なんどか見かけたことがある人だったが、はじめて対話する爺様(じいさま)だ。

 家の前の畑で鍬を持って、ひもを一本、ひっぱった右脇を「さくって」いた。一条の溝を切っていたのだ。

 家の前には高齢者マーク(黄色のステッカー)がついた、たぶんスズキのジムニー的な車が一台あった。

 一人暮らしだ。

 隣の家では、外回りの工事に作業員が三名ほどいて、私の方を見ている。私は大田フローレのふろれったちゃんのマークの入った紺色の布袋を左手に提げて狭い草むす道を老人に会釈しながら近づいていく。その布袋には、地図やノート、手持ち(土産)の『会津学二号』を入れている。
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「あ、おはようございます。朝電話した大岐の博昭です」

「ああ」

「なんですか、なに植えるんですか?」

「前の家との間のこの畑は、おらいの(我が家)土地で、いまうなって(耕して)もらったのや」

 作業員がいた意味がわかった。工事かなにかで重機が入ったので、その作業後にトラクタでお礼に耕したのだろうと悟った。たぶん集落排水事業のなかの、家の下水処理のための工事だ。

「ま、家にあがれや」

「はい。いそがしいどご、もうしわけねえな」

「九十(歳)爺だぞ、いそがしごどねえべ。いいがら、家にへえれ。いぐぞ」

「はい」

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■玄関を入り、長靴を脱ぎながら爺様は話した。

「おらいの(我が家の)、こめらは(子供は)
 みな、若松(会津若松市)に居んだ。だれもここにはいね(居ない)」

 戸を開けると、左手に小さな石油ストーブに火がつけられ、アルミ製のやかんがひとつ蒸気を噴いていた。

 招かれるまま、こたつに近づいた。
 こたつには電気が入って暖かくなっていた。

 緊張する一瞬である。

 居間のこたつのある場所は、昔はいろりがあって、座る場所が決まっている。大黒柱を背負う側が「横座(よこざ)」でそこが家の主人が座る場所で、だれもそこには座ってはいけない。居間と座敷は、座敷側が一尺(約30cm)ほど高くなっていて、そちら側が横座の側でもある。

 ○作あんにゃは、座椅子を横座に置き、背を大黒柱にかけて、そこに座った。

 正面の客座に私は座り、右手の横座に爺様である○作あんにゃが座る。

「ま、脚(あし)、くずして。お茶いれっから」

「はい。すみません」

「俺は九十(歳)爺様だがら、なにもやってねげどな、はあ、いづ死んでもおがしぐねえだ。まあ、死んだら誰が家に来て、葬式ぐらいは、やってくれっぺがらな」と笑いながら語る。

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■いろいろと話を聞いた。
地図を見ながら、そして話を聞いた。

「にしゃ(御者、、、、相手を尊敬していうときに使う言葉、この場合、○作あんにゃが私をさして言っている)、、、、
にしゃみてえながなが話聞きに来んならな、よぐ、昔のこど知っている人に話を聞いておぐんだったな(聞いておくべきだった)。よく知ってる人はいたけど、はあ、ずっと前に死んだがらな」

「ああ、これで充分です。まだ、わがんねごどあったら聞きにくっから。今日はありがとうございました」

「こんな本までもらって、申しわげねえな」

「んじゃ、帰っから、長生きしてください」

「はあ、まだ来い」

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■○作あんにゃの家を後にして、この家を紹介してくれた人のところに顔を出して、御礼を言って、急いで自動車で大岐の家に戻って、セダムの定植作業を午前中は行った。エゾハルゼミの大合唱のなか、で。

 今日、○作あんにゃから、昭和村で暮らして、いろいろな人から聞き書きしても聞けなかった言葉が出てきた。

 それは「ゆきうど」という言葉。

 「雪洞」の転意だとすぐ思った。雪の、ほらあな(洞窟)のことだ。「うろ」が「うど」になったのだと悟った。古木大樹に開いたあなを「樹のうろ」というからだ。「ゆきうろ」が語源だろうと、そのとき感じ、いまもそう思っている。

 ある沢の名前を聞いているとき、そこで雪崩はどうでしたか?と聞いたら、両側の斜面からなだれがあって、谷が埋まる場所で、その沢が雪を溶かし、雪洞(せつどう、雪のトンネル)ができる。

「ゆきうど な。その下通って青物取り(山菜採り)にせでがっちゃのや(連れていかれた)」

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 四月に只見町で行った聞き書きでも、この地区の尾根向こうの地区では、雪崩で埋まった沢の雪を「なでばし(雪崩橋)」といって、その地区では、その上を渡って歩いた。その言葉を一ヶ月ほど前にはじめて聞いたのだ。

 ○作あんにゃ、、、、○作爺様(じいさま)と呼んでもよいのだが、最大の敬意をこちらは持っているので、若いときの敬称・あんにゃ、を付けてよぶのが、そうしたときの言葉づかい。

「○作あんにゃは、なでばし、ってのは聞いたことあっか?」

「おれはわがんねな」

 尾根の向こうの隣の地区のことを話した。

「○沢のてえ(○沢地区の人たち)は、春の堅雪(かたゆき)のときは、そね(尾根)通って山越にきてはいたなあ」

「そうですか?」

「春になってナデこけっと(雪崩が発生すれば)、あどは雪降んね」

会津学三号の原稿の現状


会津学vol.3 入稿状況
グラビア
   滝湖の小さな番人等写真数葉
特集1  雪と暮らす―
・ 座談会その1 (その2は未)

・ クマ狩り(聞き書き)      長瀬谷百合子
・ 雪をだっこんで(聞き書き)    簗田 直幸
・ 『会津農書』に見る雪の活かし方 佐々木長生

特集2  会津に生きる(仮)
 ・屋根葺き職人の昭和史    菅家重四郎(94歳)
 ・からむし栽培        羽染 兵吉(80歳)
 ・母の記憶          小柴 芳夫(79歳)

聞き書き
 ・ 子供の遊び    渡部 幸生
写真レポート
 ・金山町の民家    田沼 隆之

コラム
 ・奥会津に行きたい  川上 香

 ・からむし新聞(続編)

 ・会津若松の十日市 松山誠
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■5月20日現在。このほか数編が執筆中(渡辺、菅家ら)。

2007年5月19日土曜日

東北学1(福島県博)








■2007年5月19日(土)13時30分から。会津若松市内の福島県立博物館講堂において同館館長赤坂憲雄氏による土曜講座「東北学1」が開催されました。民俗学担当の佐々木長生氏の進行で講演ははじまり、ときに地質担当の竹谷陽二郎氏が磐梯山の噴火や猪苗代湖の生成問題について話されました。

 資料が受付で配布され、それの解読を行いながらの講演でした。

 『高橋富雄東北学論集』第1部第1集(2003年、歴史春秋社)から、本館前館長であった高橋氏の提唱した「東北学」について、歴史学の立場からのもうひとつの日本学であることについてふれ、それを赤坂氏は民俗学の立場からのアプローチであるが、目指しているところは同じであるとして、高橋氏の論述から以下の点を赤坂氏は強調された。

 東と西の構造理解に、先進と後進というような価値観の相違でなしに、風土や文化の違いを考え、これによって日本文化の構造差を問題にする日本文化論が成立するようになっています。縄文的原型と弥生的原型というのですが、わが東北学においては、この文化類型学を、東西二つの日本の風土の論理に基づく二つの日本の風土の論理に基づく二つの日本文化論に再編し、西型・暖国型・都市型に展開する弥生型日本に対して、北型・雪国型・農村型の縄文型日本として理念型化し、未来に向けて、大地と大自然をむしろ文化と考える縄文型が、「近代化」「開発」すなわち「人工」を「文化」とする弥生型日本の行き詰まりを、どのように救う「未来日本型」になり得るかを考える日本学を樹立したい、、、、


 赤坂氏は、これは高橋氏の東北学のマニフェストである、と言いました。


 前段を終え、今回は東北における大同(だいどう)年号の考察をする、ということで、大同元年(806年)、大同2年のひろい伝承について資料を示しながら話を進めました。

 まず、大同元年に磐梯山が爆発し、猪苗代湖が出来たという伝承。『会津旧事雑考』と、『新編会津風土記』の表現の違いを紹介し、後者に「暴(にわかに)」という文字が爆発をイメージさせ、それ以降の記述に影響を与えたのではないか?という指摘。

 次いで、地質学の最近の知見からその時期には爆発はないこと、猪苗代湖の生成は約3万5千年前ころの磐梯山の爆発と断層による影響で陥没形成されたものであることが、竹谷氏から説明された。




 しかし、東北一帯には、大同という年号が『遠野物語』をはじめ多数見られることから、そのような伝承を流布した複数の系列の集団がいたのではないか?と考察をはじめる。

 まとめとして、大和政権、坂上田村麻呂の征服とともに大同年号をはじまりの年として、それ以前と以後の歴史を分けていること、むかしむかし、と語るべき物語が東北では「大同」が使われる。それを説明した最後の資料を紹介された。

 堀一郎『我が国 民間信仰史の研究(一)』(昭和30年、創元新社)の第1節 大同二年考である。ここで僧・徳一(とくいつ)の開基とする24の寺院を紹介する。 (記:菅家博昭)

■次回は7月21日、9月15日である。

■講演終了後、会津学研究会例会を開催し、25名の参加がありました。佐々木氏、赤坂氏も参加されました。
 これまでの活動の紹介と、現在編集中の『会津学3号』について聞き取りをしてまとめている内容などを具体的にお伝えしました。

 

2007年5月17日木曜日

定例会日時のお知らせ

奥会津書房@会津学研究会事務局です。

◆5月19日13:30より15:00までの「東北学1」講座聴講後の、会津学研究会の勉強会は、となりの「視聴覚室」をお借りして開催します。 県立博物館としては特段のお計らいをいただきましたので、 是非ご参加ください。15:15~16:30開催します。

◆6月の定例勉強会は、通常通り、三島町の宮下の奥会津書房にて、6月21日(木)18:00より行います。

◆7月は、「東北学」講座の第2回目聴講後に、同じく視聴覚室をお借りしています。7月21日(土)15:00より ご参加をお待ちしております。

2007年5月7日月曜日

5月19日(土)の午後は福島県博へ

■2007年5月19日(土)の午後1時30分から、会津若松市内城東町の福島県立博物館で「東北学へ  」がはじまります。月1回の予定で土曜に開催されます。

 会津学研究会では、この講座を聴講することとともに、講座後の午後3時から5時まで、会津学研究会の例会を行うことにしようと検討をしています。
 これまで木曜講座の後に三島町宮下の奥会津書房での例会を、月1回の第3土曜の午後に変更する予定でいます。

■2007年5月14日に、品切れとなっていました『会津学』創刊号(2005年8月発売)を再刊・発行いたします。購入が可能となります。詳細は奥会津書房へ。第2号は在庫がありますので、こちらもよろしくお願いいたします。3号は現在原稿を編集中で8月の発行予定です。原稿は、5月末が締め切りとなります。


個人ブログでの会津学にちなむこと(菅家)

■2004年から会津学研究会は始まっていますが、それに関係することを含め、日々のブログでの会津学研究会に関係することを、まとめています。たいへん量的には多いのですが参考になると思います。2006年4月~2007年4月まで。 ブロードバンド環境(ADSLや光)は読みやすいと思いますが、ISDN回線の場合はデータ取得に時間がかかると思います。

 菅家ウェブサイトの会津学に関するリスト


三島町でカノヤキ組発足

■2007年春、福島県三島町で「カノヤキ組」が誕生いたしました。ふるくはさかんに奥会津地方でもおこなわれた焼畑を行うものです。

■メディアに紹介されたので以下に示します。
 
 ニッケイネット地域経済ニュース 5月2日
 http://www.nikkei.co.jp/news/retto/20070501c3b0104z01.html

 広報みしま お知らせ版(PDFファイル2ページ) 2月23日
 http://www.town.mishima.fukushima.jp/kouhou/oshirase_160_190223.pdf