2007年5月23日水曜日
聞き書きの周辺① ゆきうど yuki-udo
聞き書きの周辺① ゆきうど
(昭和村大岐・菅家博昭、農業)
■先週訪問した人に、山の地名を知っている人を紹介してもらった。二人いた。
そのうちの一人の方に、昨日(2007年5月22日)朝8時に電話した。
「大岐の菅家博昭といいますが、○作あんにゃ(兄者)ですか?△吉あんにゃから山や沢の名前を聞くなら○作あんにゃ、だ、っていうから、教えてもらいたい」
「???」
「てっぽうぶち、やってやったべ。その話も聞きたいのや。今日の朝、これからいぐから、9時ぐらいから1時間ほど話を聞かせてほしい」
「わがった。は、年とってなにもしてねがら、家にいる。九十(歳)にもなんだから、なにもしてねがら、来てもいい」
「んだと、これから行くからたのんます」
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■はじめて訪問する家で、これまでには、なんどか見かけたことがある人だったが、はじめて対話する爺様(じいさま)だ。
家の前の畑で鍬を持って、ひもを一本、ひっぱった右脇を「さくって」いた。一条の溝を切っていたのだ。
家の前には高齢者マーク(黄色のステッカー)がついた、たぶんスズキのジムニー的な車が一台あった。
一人暮らしだ。
隣の家では、外回りの工事に作業員が三名ほどいて、私の方を見ている。私は大田フローレのふろれったちゃんのマークの入った紺色の布袋を左手に提げて狭い草むす道を老人に会釈しながら近づいていく。その布袋には、地図やノート、手持ち(土産)の『会津学二号』を入れている。
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「あ、おはようございます。朝電話した大岐の博昭です」
「ああ」
「なんですか、なに植えるんですか?」
「前の家との間のこの畑は、おらいの(我が家)土地で、いまうなって(耕して)もらったのや」
作業員がいた意味がわかった。工事かなにかで重機が入ったので、その作業後にトラクタでお礼に耕したのだろうと悟った。たぶん集落排水事業のなかの、家の下水処理のための工事だ。
「ま、家にあがれや」
「はい。いそがしいどご、もうしわけねえな」
「九十(歳)爺だぞ、いそがしごどねえべ。いいがら、家にへえれ。いぐぞ」
「はい」
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■玄関を入り、長靴を脱ぎながら爺様は話した。
「おらいの(我が家の)、こめらは(子供は)
みな、若松(会津若松市)に居んだ。だれもここにはいね(居ない)」
戸を開けると、左手に小さな石油ストーブに火がつけられ、アルミ製のやかんがひとつ蒸気を噴いていた。
招かれるまま、こたつに近づいた。
こたつには電気が入って暖かくなっていた。
緊張する一瞬である。
居間のこたつのある場所は、昔はいろりがあって、座る場所が決まっている。大黒柱を背負う側が「横座(よこざ)」でそこが家の主人が座る場所で、だれもそこには座ってはいけない。居間と座敷は、座敷側が一尺(約30cm)ほど高くなっていて、そちら側が横座の側でもある。
○作あんにゃは、座椅子を横座に置き、背を大黒柱にかけて、そこに座った。
正面の客座に私は座り、右手の横座に爺様である○作あんにゃが座る。
「ま、脚(あし)、くずして。お茶いれっから」
「はい。すみません」
「俺は九十(歳)爺様だがら、なにもやってねげどな、はあ、いづ死んでもおがしぐねえだ。まあ、死んだら誰が家に来て、葬式ぐらいは、やってくれっぺがらな」と笑いながら語る。
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■いろいろと話を聞いた。
地図を見ながら、そして話を聞いた。
「にしゃ(御者、、、、相手を尊敬していうときに使う言葉、この場合、○作あんにゃが私をさして言っている)、、、、
にしゃみてえながなが話聞きに来んならな、よぐ、昔のこど知っている人に話を聞いておぐんだったな(聞いておくべきだった)。よく知ってる人はいたけど、はあ、ずっと前に死んだがらな」
「ああ、これで充分です。まだ、わがんねごどあったら聞きにくっから。今日はありがとうございました」
「こんな本までもらって、申しわげねえな」
「んじゃ、帰っから、長生きしてください」
「はあ、まだ来い」
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■○作あんにゃの家を後にして、この家を紹介してくれた人のところに顔を出して、御礼を言って、急いで自動車で大岐の家に戻って、セダムの定植作業を午前中は行った。エゾハルゼミの大合唱のなか、で。
今日、○作あんにゃから、昭和村で暮らして、いろいろな人から聞き書きしても聞けなかった言葉が出てきた。
それは「ゆきうど」という言葉。
「雪洞」の転意だとすぐ思った。雪の、ほらあな(洞窟)のことだ。「うろ」が「うど」になったのだと悟った。古木大樹に開いたあなを「樹のうろ」というからだ。「ゆきうろ」が語源だろうと、そのとき感じ、いまもそう思っている。
ある沢の名前を聞いているとき、そこで雪崩はどうでしたか?と聞いたら、両側の斜面からなだれがあって、谷が埋まる場所で、その沢が雪を溶かし、雪洞(せつどう、雪のトンネル)ができる。
「ゆきうど な。その下通って青物取り(山菜採り)にせでがっちゃのや(連れていかれた)」
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四月に只見町で行った聞き書きでも、この地区の尾根向こうの地区では、雪崩で埋まった沢の雪を「なでばし(雪崩橋)」といって、その地区では、その上を渡って歩いた。その言葉を一ヶ月ほど前にはじめて聞いたのだ。
○作あんにゃ、、、、○作爺様(じいさま)と呼んでもよいのだが、最大の敬意をこちらは持っているので、若いときの敬称・あんにゃ、を付けてよぶのが、そうしたときの言葉づかい。
「○作あんにゃは、なでばし、ってのは聞いたことあっか?」
「おれはわがんねな」
尾根の向こうの隣の地区のことを話した。
「○沢のてえ(○沢地区の人たち)は、春の堅雪(かたゆき)のときは、そね(尾根)通って山越にきてはいたなあ」
「そうですか?」
「春になってナデこけっと(雪崩が発生すれば)、あどは雪降んね」
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1 件のコメント:
とても感動しました。
今まで、聞き書きに至るまでの過程は見えませんでした。ここではその作法が、マニュアルとしてではなく一篇の抒情詩のように表現されています。
伝えることを支えるのは「感動」だと実感ました。これからさまざまな場面で、この貴重な記録を紹介させていただきたいと希望します。多謝。
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