2008年6月1日日曜日

ヒロロ

2008年5月31日午前八時三十分、に父・菅家清一(昭和七年生、七十五歳)、母ミヨ子(昭和八年生)より植物ヒロロ(ミヤマカンスゲCarex multifolia)のことを聞く。

先日(5月29日午前)、金山町川口高校で授業で話す機会があり、そのときに使ったヒロロを干したものを五月三十一日の朝八時三十分、コタツにあたっている父母に見せる。三島町生活工芸館から入手したもの。雨の寒い日。気温十二度。

父・清一:照だち、こだつ(炬燵、コタツ)取って震えてるようだべ寒くて。
母・ミヨ子:このめえのあったけ日にコタツとった。
父:トラクターのうっしょのダンプ付いているうちに畑さ堆肥三回運んだだぞ。

父:こうだの(ヒロロ)どこにでもある。
ヒロロなんのここらの山ん中さ どこにでもあんだ。
おらいの植え付けの杉ん中の林なんかどこにでもあんべ。
こごらでは、ヒロロのねえどこねえだ。
いまちっともようと、古物ばあしで花咲いてから新芽出てくんだ。
博昭:何に使った?
父:これはミノだわや。ヒロロミノに決まってる。
おなごてえはホソミノ。
おとこてえはアマミノやってだだ。
おらいのセエオヤジはアマミノ、、、、
母:なんでもきれいだ。家のがなはこれより広いぞ。
博昭:いつ頃取んだ?
母:これは二百十日になるころ。
父:あのころヒロロぬきさいったとおもったな。
博昭:どこさ?
父:はじめてヒロロヌキいったのは、オヤジにくっついて、
オウゴンザアの滝んどっからだ。
博昭:なんで、そんな遠くまでいったのや?あ?
父:そこにあっからや。
博昭:裏山、ここにあっぺや。
父:(笑)にしゃ、ヒロロじゅうは、きだちのなかの きおっくらけえったなかの、すきまできべえ。天道様(太陽光)あだっどこ、そこさはいいヒロロできでくんだ。そこさオヤジど、滝の下から沢があんだひとつ。いいヒロロあんだ。滝の下さ、沢あんだ。

博昭:いいヒロロ、悪いヒロロの基準はなんだ?
父:長いのが、いいヒロロや。べらぼうな、そんなごどもわかんねのか?谷地(湿地)っけのようなものはみしけえべ、こごらのがな。
ヒロロねえどごねえだ。どこんでもあんだ。
谷地でもねえが、沢っけにある。
山のすてっちょう、どこんでもあっけど。あれのこえでっとこ、
地福、肥沃のあっとこが長いヒロロできんだわや。

父:ウバヒロロどって、ちっとこれらより、ちっとひれえのや。
これらはいえほうだわ。
博昭:ホンヒロロ(ミヤマカンスゲ)とウバヒロロ(オクノカンスゲCarex foliosissima Fr. Schm.)は取り方は?
父:ウバヒロロだって、なんだってすかすかとるわや。
なかなかひっこぬけなくて、ぽつ、ぽつって抜くのや。
ふわふわしてっから、根までひっこぬけんだ。
そんじぇはうまくねから、足で株を踏んで根を抜かねように抜くだ。
母:一本一本抜くだぞ。たいへんなあだぞ。
父:彼岸のめえとか、取った覚えあんだが。
おらいの林とか、炭窯の下のほうとか、
ちっとてえらなようなどこ。
きだち(木立)のなかのすきたようなとこ。
博昭:いくつのころ行ったの?
父:学校上がったら、学校の頃?
母:高等二年。尋常小学終わってから高等どって二年でる。
父:彼岸の頃行ったとおもってんだ。稲刈り前。
いまは植え付けになったが、おら、よーぐおべえでんだ。滝。
おごんざあの滝の、今の土橋んどっから入っていくど、ちょうどいえだ。
滝の下さ砂防ダムできた。ちっちぇ沢あんだ。
その沢がハタヤマの地蔵様までいってんだ。
オゴンザアとくっついだくれんどこ。
ヒロロ抜きやって。
(左手で親指と人差し指で輪を作り)
このぐらいの束にして、
ワラで丸って、おっけで、これくれいの束(そく)にして背負ってくる。
重てえほどなんで、とるよねえだ。
これカテアミみてえに縄で編んで、ほらいまだと
モチアミみてえにぬきば(軒端)さ下げる。そして干すだわ。
おとこてえは、みんなアマミノ作る。
じさま、セエ爺、オヤジはミノつくってっとこみだごとねえな。

父:毎年ヒロロとんなんんねだ。
博昭:した、何年も持つんねえの。
父:アマミノ(雨ミノ)のは何年も持つ。
にしゃ、きれんだぞ。
毎日、しょっかたなんだから。

母:たゆうさまのほうでは、あゆう、ホソミノが無くて
父:向こうはアマミノよけいでやっただ。

博昭:カゴは作る。スカリって言うんねえの?
父:カゴはカゴだ。そんなこどゆわね。
母:あれ、としょばあはカゴ作りやった。
父:あ、やったやった。
かごじゅうは、これよって、こうやってやんだが。底だげやって、
こうやって木型をしばっておいて、それどおんなじに伸ばしてくる。
でっかさ決めてからやって、なかなかほいきたとはいがねだぞ。
底がこのくれで、高さがひとっぱりとか、ひとっぱりはんとか
決めてから、編むだ。
底縛っておいて、ぐるぐる編む。
昔は長いから、あれぶんなのよりぎんねから、
よりより、こうやっていた。
母:私はやったごどねえ。ヨシコ姉はやったごどある。

博昭:その、これは動物はくわねのか?
母:くわねんねえがな。
父:動物喰うよ。
母:喰うのが?でだばっかしのころ喰うのが?
父:そんねそんね。青いのはなんでも、あの、青草がなくなっと、
これ年中あおいべ。ウサギでもヤマドリでもなんでも喰う。青いもの。ササッパなんど大好きでこれ喰うだ。ヤマドリでもなんでも。こう崖みでえなとこで、雪んどき出てっときは、青葉っぱ無くなっとウサギでもヤマドリでもなんでも喰うだ。
博昭:喰ってっとこ見たことあるの?
父:ヤマドリ喰うから そこをねらって 鉄砲ぶちはあるくだ。崖で すきでべ、そこササとシダとヒロロがていげいあんだ。川ばたは、川のために雪がずずっと落ちて隙間あいてっから、そこをヤマドリを喰うわけ。ヤマドリぶちはそうどこを狙ってそこを歩くだ。
たあだんどごあるったって、いねから、ヤマドリじゅういねえだ。
てえげえ、ヤマドリは沢あるくだ。まったく何にも知らねえだ、、、、、、、

父:こごらには、ヤドリギどって、ホヤじゅうあべえ。ホヤが、ホヤじゅうはそねにあっから。ホヤ喰って水飲むために、沢に降りて水を飲む。
ササとシダとヒロロ喰うんだ。きまってんだ、ヤマドリは。
キジ(雉)じゅうは冬山では、いきでいがんにぇだ。ヨモギの実とか実を食いたがんだ。だがらササッパとかくわねがら雪国は、冬に雪の中でいきでいがんにぇだ。
母:キジ放したってだめだ。

博昭:これ以外に?
父:カサスゲどかユワスゲどか。カサスゲはおらいのあそこにあっただ。いまあっぺがな。杉んどこにあっただ。愛子がいのいっとしりっぽに、広くて、ほうでもねでっかくはなんねが、カサスゲじゅうあったの。
母:ひろいがな。
父:ユワジタにあったの。ユワスゲぶちにあったのはユワスゲんねえが。
母:昔タアネの。
父:おらいの大田の崖のところ。
サケノサのでっくちの下さ行ったら、ユワスゲばあしだ。
母:それは笹巻きまく。ヨシコ姉はほそーいもので。
父:笹巻き?
父:ユワスゲブチじゅうは大田んどこ。あそこ、奈良布の下、ユワスゲがずーっとあんだ。
あそこらの山ってがずーとタアネの田でやったあだ。よぐよぐくっされ田もらったあだ。

博昭:神様に使うか?
父:使わねんねが。シメこしぇえるのは青いまま稲を刈ってやんのはしってんが。

博昭:ネホグシじゅうは、やんねのが?
父:ここらはやんねな。
母:やんねな。
父:-----
母:ミツヨリか?そんじぇねえとこまっこくなんねから。それはやるわや。
それは、うーと、こする、、、、
父:こすり縄んね。別に、名前あんだ。
父:昔は、ワラ仕事やるに、じょーりつくるさ、もとさへえるものは磨きかけて、つるつるにしただ。こういうどこ、ワラふたとこかけて打つ(ぶつ)。しばったがなで、これこしぇーで、それをこしぇえて、
母:学校でなわより競争もあった。
母:ひっちばってな。かあちゃんだちなんの、そーだごどしね。いくひろもこうして、炭焼きんどき。
※父が二階の天井に行き、何か持ってくる。

父:三十年とか、五十年どが、、、こんなもんだな。ほうざらげで、これらはウバヒロロじゅうだ。ひろいがら。ワラで縛っておくだ。オレ取ったではねえ。二束(わ)ある。こんなもんなだ、おらほのヒロロは。
ここらは中のほうは青いどこあるは、、、、ここらは細いものある。
これらはウバヒロロ系統だ。広いのは。
たいしたもんだ。
博昭:写真とっからそのまま置け。
父:わっさしてっこどね。

母:じさま死んで三十三年たってんだが。
父:オレはあんまとった覚えねだ。うっしょの方もヒロロあんだ。サンボダケ出てツチアケビあっとこ。あのうえのほう、いっぺあんだ。にしゃバサマといったどこ。
陽当たりいいから、、、、ヒロロは良い。
博昭:花が咲くだから、種で増えんのが?
父:種でふえっかもしんにぇが、オレはしらねな。
まあ、どこんでもあんだ。ヒロロねえとこねえ。
根はって、ちっとば根はってんでねえだがら。
まあなんだがしらねがこまっけ根いっぺ出て、ずむね、地面に乗っている。
ひっこのぐど、これ、ひっこのべえと思うど、こうだにくっ付いてくる。簡単に抜けねだ。
セツあって、おらいのオヤジだちは「いまのせつんねと、抜けねどか、あど、ぬけなくなるとか、あんま遅くなっとぬけねとか、セツで。彼岸すぎっとぬけねどか、稲刈り前に抜くとかあんだ」
そのころだけだぞ、せてってもらって、抜いた。それだけだオヤジどいっておべえでんのは。

博昭:ハバキは作っながったが?
父:ヒロロで作ったが、ハバキじゅうは、ガバ(蒲)でやって、これで編んだ。
あれはきれいだわいな。サクジイなどはなにやっても上手でやった。
トラジイ様などはよっぽど遅くまでハバキやってだ。

母:いまならスパッツだわや。オノガジイは編むひまなかったから。高いだぞ、ミノじゅうは。オノガジは向こうから買ってた。
父:フクイオヤジがヤスジ、ヤスオンツア。ゲンベどか、ミノ作りしょうべえにやってて、ミノみっつも、よっつも、いつつも作って、シンゴジイが親、あれらなのミノ春先なっとみなのきば(軒端)さずーっとかけてさらしていた。さき雪でちっとさらして、せがら軒端さこうかけて。むこうの方のジサマまみなミノ作りやってで、冬うちにみっつもよっつも作って。
母:アマミノは高い。
父:最後のころはおらいも買っただ。
おらいの菊蔵ジイは本気でやった。おらいのセエオヤジはやんなかったんねがな。
母:やるよなかったべ。手悪いから。
父:おれだちころは合羽じゅうでたから。
向こうは、新しいミノは雨ふっとき、新しくねえのはミノは背負っかた。向こうはホソミノじゅうねがった。
母:にっしゃだち、かあちゃん、オオハラんどき、このくれの合羽こしさまいて、新しくねアマミノだどじき背中ぬれんだ。ひゃっこくなっちまあだ。
父:大岐では、キハッツアン、オンツアジイ、ていげいの人はミノ作ってただ。

父:ヒロロじゅうは、必ず、沢っぱたにあんだ。川まであるわや。ヒロロ。ヤマドリでも青物、ウサギでも何でも喰うのや。ササ、寒中んなっと、オゴンザワ、ウサギぶち行くとソネ際は風でササ出ている。そごさウサギ集まって、木まで喰う。
母:ウサギ喰うものは人間喰われるんねえの。山歩きやんねがら私はわかんね。
父:デゴヤの上のふっつあらしなんのは、雪が無くササが出てる。
あんまり風が強いどこはササ枯れっちまあ。

父:家のまわりに植えたりしねがった?
父:ひでえめあった。水道のホース引くとき。
ヒロロなんのどこんでもある。ヒロロねえどこなんてねえだ。
おらいの植え付けんなかの杉にあっぺ。
いまちっともようと、新芽がでねえだ。古物ばあしで、花終わってから遅く新芽が出て来る。カゴでもなんでも上手な人は細くやって、カツジ兄なんかずっと遅くまでカゴ作ったり、ゲンベ作ったりしてたわ。出稼ぎじゅういがなかったから、あの人は。
カツシロあんにゃは出稼ぎ行ったから。




5月例会終わる

■2008年5月30日(金)夜、福島県大沼郡金山町玉梨の旅館・恵比寿屋にて会津学研究会・例会を開催しました。8月15日発行の『雑誌・会津学』4号の編集状況等について懇談しました。

2008年5月19日月曜日

アサのなかごぶち

■1982(昭和57)年9月17日に祖母・菅家トシ(明治42年生まれ)からアサ挽きの作業中に聞いた話。当時23歳。

■アサの外皮のことを「アサクソ(麻糞)」というが、大岐では「なかご」と言った。ゴウ(郷、野尻郷、昭和村本村の野尻川流域のことをゴウのほう、と言う。大岐は滝谷川上流域で西山地区に近く小文化圏が異なる)のほうでは、カラムシやアサの挽き具を「かなご(金具、金子)」と呼ぶが、大岐では「ひきご(挽子、挽具)」という。カラムシ挽きは水を付けて挽くが、アサはつけない。大きな舟状の「ヲ(麻、苧麻、お)ひきばん」(麻挽き盤)、桧製のヲひきいた(麻挽き板)」を2枚重ね、アサ挽きはブッタテを1本。カラムシは2本。

 <なかごぶち>

 アサのなかごを洗ってぶち(打ち)、洗ってぶって売った。

 つけば(浸け場、アサは乾燥したものを水で戻してから挽く)さ行ってくっと、なかごぶちじゅうした。ごく昔は、それが糸になった。そっから糸を、取ったあだと。ヲ(アサ)を挽いてでたくずの、なかごは、家の前の川(滝谷川、近世は六沢川、あるいは中の川と呼ばれる)の水で洗って、水面からでている石の上でモミブチボウ(籾打ち棒)で打(ぶ)った。ぶって洗い、ぶって洗いした。この石は「ひらっけ ずない いし」(平らな大きい石)だ。

 それを、家ののきば(軒場、軒下)さ、掛けて乾かして、しまって(保管して)おいて、売った。なかご買い(商人)は、アサを買いに来る人とは違い、なかご買い専門の人がいた。

 昔は、ちっとばあ ヲ(アサ)作ったで あいやしめえ。百も二百も三百も。

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※茎のことを「なかご」と呼ぶ場合がある。皮の内側を利用し、外側は金属製の金具でこそぎおとす。利用しない部分の外皮を利用して、石で叩いて(砧、きぬた)乾燥させて売った、という。

 アサの茎の内側のずいの部分はアサガラ(殻)で、乾燥させ屋根葺き材とした。いまでも花の卸市場で盆に「麻柄」として売られている。

■1982(昭和57)年は、22歳で就農し家業の葉タバコ栽培に従事、時折農閑期に栃木県の設備屋(水道工事)に出稼ぎに行く。時間を作り、遺跡の発掘調査に従事する、という生活。この年の3月20日から11月5日まで(3/23、6/5、6/28、7/14、7/15、8/21、11/5)廃校となっていた大芦小学校に集められていた民具を分類し、からむし生産用具の文化財指定のための写真撮影(モノクロ)をした。その際、村の古老にからむしやアサの栽培・生産・織りに使う道具や所作の聞き取りを並行して行っていた。特に大芦の皆川伝三郎氏には3月15日、23日、6月4日、9月9日、10月14日と聞いた。10月14日には「ソナ(sona)は、大芦にはよくいた。巣を取りに行った。今は動物の飼いてはいなくなったなあ」と語ったことが印象に残っている。そな(ソナ)とは、カワセミ(渓流で魚を捕る鳥類)のことをいう。大型のヤマセミ、南方から渡ってくるアカショウビンも仲間だ。

 7月15日、南会津郡南郷村の南郷村開発センターに同村文化財保護審議会委員長の安藤紫香先生を訪ね、先にアサの民具で指定を受けているので助言を受けた。呼び名、地方名を残すことを教示された。南郷村教育委員会は昭和55年3月末に「奥会津の麻織用具と麻製品250点」が福島県重要有形民俗文化財指定を受けている。

 7月30、31日 新潟県岩船郡朝日村三面(みおもて)でセミナーがあり参加。姫田忠義さん、佐々木高明さん、坪井洋文さんらに会う。

 9月9日、大芦集落に五十嵐辰雄さん宅のコノばあ(婆)を伝三郎氏と栗城英夫君と訪ね、話を聞き機織り道具一式を受け取った。17日に我が家で作業がはじまったアサ挽きの話を聞いたのだった。英夫君の父・甚英さんが民具カードを作成している。

 9月27日から10月29日まで金山町の縄文時代中期の遺跡・石神平の第1次発掘調査に参加。冬期間はその出土遺物の整理作業に従事。

 1983(昭和58)年2月21日から3月5日まで奈良国立文化財研究所埋蔵文化財センターの埋蔵文化財発掘技術者専門研修・遺跡保存整備課程という研修に参加した。通常、市町村の教育委員会の担当者が参加するもので、昭和村教委の推薦により個人の資格で参加した。

 9月10日、会津高田町松坂、通称・谷ヶ地(やかぢ)集落の離村式。博士峠の麓の村がダム建設のために移転した。10月3日から25日まで第2次石神平遺跡発掘に参加。縄文時代中期の埋甕二個と石敷炉をもつ「複式炉」住居跡1棟が検出される。沼沢火山の火口湖脇の遺跡。縄文時代前期末の紀元前三四〇〇年頃(いまから5400年前頃)に爆発している。その後、中期から人々の痕跡を残すようになる。

 1984(昭和59)年3月25日に福島県の重要有形民俗文化財「昭和村のからむし生産用具とその製品371点」として指定を受ける。3年間の仕事が一区切りとなった。

 12月13日、新潟県三面訪問。はる書房の古川弘典さんと会う。12月は南郷村教育委員会の南郷村史編纂の石器の実測・トレース図の作成をする。

 1985(昭和60)年12月7日、東京新宿の民族文化映像研究所を訪問。

 1986年4月から民族文化映像研究所の姫田忠義さんらが「からむしと麻」の撮影で来村がはじまる。そこからの流れは『福島県昭和村におけるからむし生産の記録と研究~からむしを通してみた植物と人間の共生」(昭和村生活文化研究会編、発行、1990年3月)の巻末に1990年までを詳述した。

2008年4月15日火曜日

■『会津学』第4号の編集作業がはじまりました


■2008年4月末が、『会津学』第4号(8月15日発行予定)の原稿の締切日となっています。

■2008年4月14日(月)午前、福島県会津の三島町宮下の奥会津書房にて、遠藤由美子編集長、中丸さんと、菅家博昭で、編集日程について打ち合わせが行われました。また、13日に到着した山形県の草刈広一さんのハラミドリヒメギスの原稿も、編集長に渡しました。積雪地帯の山形・会津・新潟の山塊の地形に合わせた形態変化がみられるバッタ(キリギリス)の仲間の調査報告です。力作です。ありがとうございました。

2008年3月24日月曜日

福島県立博物館の公開講座

■2008年4月3日(木)13時30分から、福島県立博物館では木曜の広場は新講座として「会津学講座」となります。第1回は「会津農書」の民俗世界。赤坂憲雄館長、佐々木長生学芸員。

→→福島県博の催事
 会津農書』は貞享元年(1684)に佐瀬与次右衛門によって著述された農業技術書。与次右衛門の経験と旧慣習に基づく、中世から近世初期にかけての会津の民俗が記されています。

■5月8日 風土記・風俗帳の民俗世界
6月5日 会津の民俗芸能
7月3日 会津の山の神信仰
8月7日 磐梯山信仰
9月4日 職人巻物の民俗世界
10月2日 会津の焼畑と火耕
11月6日 森のめぐみと民俗
12月4日 雪と農業
2009年1月8日 会津の市と市神祭り
2月5日 馬をめぐる民俗
3月5日 民具が語る暮らし

暮らしを見つめる

■奥会津・間方(まがた)の人々に学ぶ

 二〇〇八年三月一七日(日)、一八日(月)、福島県会津地方にある三島町で会津学研究会による「春季講座」を開催し、参加された一五名の皆さんと、二日間、人の暮らしのあり方を時間をかけて学びました。

 三島町の間方(まがた)集落で生まれ暮らしている五名の皆さんからお話をうかがい、最終日に福島県立博物館の佐々木長生さんに『会津農書』『大谷組風俗帳』という近世の文献資料と現在の間方の生活を比較・連関して、まとめのお話をしていただきました。
 印象に残ったことをお伝えいたします。

 初日は、間方に生まれ、間方に嫁ぎ今も暮らしている三名の女性(昭和八年生、十年生、二十年生)から「ヒロロ細工」「雪納豆作り」「山の食べ物」について教えていただきました。

 二日目は、間方に生まれ暮らしている二名の男性(昭和●年生、二十八年生)から「集落にある神々」「狩猟(テッポウブチ)」「雨乞い」「魔の山(志津倉山)」について話をうかがいました。

 志津倉山の北麓にある源流の集落である間方集落では、南を向いて、つまり志津倉山(シンザクラやオーベエ)を向いて男は野良でも、山に入っても小便はしてはいけない、と教えられそれを守っている。最近まで「マノヤマ(魔の山)」と呼び、山頂から麓に降りる場所は数カ所しかないため、地元に住む人もたいへん気をつかって山に出入りしている。天狗様が棲んでいるともいう。そのため山に入ったらあまり大きな声を出さないようにしている。またマエツボ(前坪山)にはカシャ(化け)猫も棲み、それが土葬で埋めた死人を喰うので、間方の葬式は暗くなる夕方に行う。埋めた墓にも三本の木を曲げて六脚を土に刺し、弓にしてはねるようにしつらえる。昔は黒松を伐り芯木としてサイノカミも正月十五日にやったけれど、その黒松が無くなり、昔は杉の木も植えていなかったので、サイノカミで火事になったという理由にしてサイノカミは行わないようにし、雪で直径5m×高さ2mのドウを作り集落を上手と下手に分けて鳥追いとした。

 志津倉山で雨乞いをすると雷雲が出て雨になる。また美女峠伝説にちなむメサツ沢というのがある。

 山のモワダの木(しなのき)は六月中旬に伐り、皮を剥ぎ池などで二十日間ほど腐らせ、皮を剥ぎ、乾燥させ保存する。乾燥状態では弱いけれど、水に濡らすと強くなる。荷縄などを作った。葉の長いものと、丸い葉の二種類がある。

 ヤマブドウはこえた土、広葉樹の森でないと育たない。採取をただ続けていくと無くなるから栽培することも考える必要がある。皮は三重になっており、六月下旬から七月十日頃の山の栗の花が咲いたころに採取する。ナタ(鉈)やヨキ(斧)の刃を守るサヤにした。外皮は鬼皮といい、水に浸して形を作り、ソリ引きのときの肩荷縄にした。いまの手提げカゴひとつ作るに三本のヤマブドウが要る。

 マタタビは「ヤマを作る」ことをしておく。それは芽をふたつ残して剪定しておき、春から秋に伸びたツルを採取し、米などをとぐコメトギザルやヨツメザルを編む。

 ヒロロは多年草で、二種あり、ホンヒロロ(ミヤマカンスゲ)は、春から秋に伸びた葉を二百十日頃に引き抜き採取し、根を残す。ウバヒロロ(オクノカンスゲ)は、六月下旬に採取する。雨蓑(あまみの)や背負蓑(しょいみの)、山菜採りのスカリ(腰カゴ)にする。

 二日間、話者に参加者は、ヒロロを縄になう手繰りを教えていただき、稲ワラで納豆つとを作る作業をともに行いました。稲が入ってくる前の時代の縄はモワダという樹皮繊維であり、ヒロロという谷筋の沢沿いに自生する草の葉を利用していたことがわかりました。 また稲ワラを利用した納豆つとには二種類あり、簡単に作れるものは「モノグサ」といい、十二月の下旬に作るセツ納豆用のツトはきちんと編みこんで作るものでした。雪の中にクタダラ(稲ワラのくず、クタダ)をしいて納豆ツトをならべ雪を積みしっかり踏み込んで二日間ほどで納豆になった、という。

 イロリでゆでた大豆を納豆ツトに詰めるときに、一本の5cmほどの稲ワラ(茎)を結んだ「ヨメ」を豆の中に一個入れ、ワラを閉じ、周りを二人で結ぶ。「必ず二人でやるんだよ」と何度も語ったことがとても印象に残っています。正月用のセツ納豆は、家族、つまり母と娘、あるいは母と嫁、、、など家族に作法を伝える仕組みを持っているということが理解できました。縄をなう作業などは、少し教えてもらったら、あとは工夫しながら一人で行う、根気がいる仕事です。その一方で家の行事に関わる作業にはできるだけ人手をかけるように仕向けていることがよく考えられていました。

 私は、この志津倉山の反対側の南麓の昭和村大岐に住むのですが、この山から下りてくる雷雲は必ず雹害をもたらす、としてこの山塊の「ショウハチハヤシ」の空が黒くなったら気をつけろ、という伝承を抱えています。

 またサンボダケ(エゾハリタケ)は、ブナ、トチ、ミズメ(ミズネ)のほか、ハナの木、カエデにも出るが、8割はブナに出る、という。

 会津学研究会ではこの夏に発刊される『会津学四号』に、この春の学びのことも掲載する予定でいます。

(菅家博昭・会津学研究会代表)

 関連→→→会津学講座 

2008年3月17日月曜日

春季:会津学研究会講座(三島町間方の人々の暮らし方に学ぶ)








■2008年3月16日(日)午後3時から開催しました。17日(月)も継続します。
 
 →→→「記憶の森を歩く」に一部紹介

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福島県の三島町間方地域に暮らしている人々の文化。

■2008年3月16日(日)午後、会津学研究会で、間方(まがた)集落の3名の女性の方からお話をうかがいました。とてもすばらしい環境認識、自然認識、、、ヒロロの糸を調整する「こすりなわ」、、、、納豆つとに入れる「よめ」、、、とか、はじめて知ることがとても多くありました。

 ひととおり話をうかがってから、夕食をとりながらうかがった話も、とても良い話でした。「とうごんぼ」(葉)は味噌をくるんで油で揚げる、、、シソが出るまでの用法、、、大岐では焼きめしを包む葉として使っている「とうごんば」と同じだと思いました。

 サンボンダケは、トチ、ミズメ、ブナの3種にしか出ないそうです。

 2日目(3月17日)は男性二人から話をうかがいます。

 「間方は棲みいいどこで、いまんなってみっと、ほんとによかったなあって思う」

■→→→ 奥会津三島編組品振興協議会

2008年3月16日日曜日

2008年3月16日(日)~17日(月)福島県三島町で

■会津学研究会:春季講座のご案内


山に生きる 三島町間方集落に学ぶ

日  時:2008年3月16日(日)・17日(月)

場  所:福島県三島町 桐の里倶楽部(0241-52-2828)

受講費用:大人1000円(参加費は1日、両日参加共)

申込締切:3月14日(金)



第1日目 3月16日(日)13:30~17:00
13:20 集合   三島町交流センター山びこ前(駐車場あり)

13:30~14:30  全国工芸品/三島町工芸品展見学(体験は別途500円)
三島町交流センター山びこ/三島町生活工芸館


※以下から会場は宮下温泉のふるさと荘となりの
桐の里倶楽部です。

15:00~17:00  車座談義①
・山の恵みの手仕事 舟木トメ子さん
・山の恵みの食   間方地区の方々


18:00懇親会「桐の里倶楽部」(希望者にて会費3000円)

・・・・・・・・・・・・

第2日目  3月17日(月)9:00~11:45
9:15~10:15  対談 山を知ること
 菅家藤一氏/菅家博昭(会津学研究会代表)

10:30~11:15  車座談義②
・祈りと習い    二瓶一義氏

11:20~12:00  雨と水の民俗
 佐々木長生氏(福島県立博物館)

主 催:会津学研究会・共 催:奥会津書房