■2009年6月22日(月)14時から、約1時間、昭和村佐倉の「からむし工芸博物館」で、朝倉奈保子さんのインタビューをいたしました。こころよく話をしていただきました。雑誌『会津学』5号(この夏8月頃刊行予定)に掲載します。「きら」(光沢)や、「青苧(あおそ、青麻とも)」「聞き書き」「昨年の英国でのからむしワークショップ」などをうかがいました。
■2006年夏に刊行した雑誌『会津学』2号(奥会津書房)の206ページから275ページには、朝倉奈保子さんが、長い時間をかけて昭和村の人々から聞き書きしたことを「苧の道(おのみち)」として報告している。
朝倉さんは平成13年(2001年)にからむし織りの体験生として入村し、翌年から聞き取り調査をはじめている。最後に次のようにまとめている。
昭和村のお年寄りは「手は動かせば宝になる」とよく言う。手があるならば動かせばいい、足があるなら歩けばいいのだ。こんな基本的なことを忘れかけているのは自分自身だけではあるまい。(略)しかし、もういちどここで我々人間が自然というものを謙虚に受けとめ、恵みに感謝し、そして先人と培ってきた知恵を見直す必要があるのではないだろうか。育まれてきた文化の中にある「心」と「美」を見出すために、、、、
■朝倉さんは、平成19年(2007年)~3月に刊行された『からむしを育む民具たち』は、平成13年(2001年)4月から16年3月、16年7月~7月、同16年度(2004年)の聞き取り調査等に関わり、この執筆も担当している。
ヒロロの雨蓑に関する聞き書きは、これまでに出会ったことのない上質なもので、とても優れている。以下に再掲する。
ヒロロで製作されたカゴとミノが掲載されている。
ヒロロ、ヤマブドウの樹皮、アサ、黒色の木綿布で化粧(アクセント)を付けている。
ミノについての記載を紹介する。
日除けや雨の日、物を背負う時などに着る。材料は長持ちするヒロロ。通常のミノは袖までついている。一カケ(ひとかけ)、もしくは一チョウ(いっちょう)と数える。ミノ作りは農閑期の仕事でちょうど「カタユキ」(春近くになって積もった雪が固くなり、歩いてもぬからなくなった雪のこと。三月頃から)になった頃、できたミノを雪の上に広げ、その上に雪をのせたり、池などに浸したりもした。編んだものを雪水に通すとゆるみがでて、弾力が生まれ、軽くなると同時に丈夫になり、ぼろぼろとくずが出にくくなる。水につけると色がよくなるとも言われている。昔は、池に浸したミノを、家の梨の木によく乾かしていた光景が見られた。梨の木は火事を防ぐと言われていたため、どこの家でも二、三本植わっていた。畑に出た時、昼休みにミノを敷いて、カサを頭にかぶせて昼寝をするのがなんともきもちのいいものだったという。ミノに代わって今はカッパを着るようになったが、現在でも暑い時はミノの方が便利だという人は少なくない。
※雪が大切な役目を持ち、屋敷まわりの梨の木など風景がよく見え、ミノの上で昼寝をする気持ちよさ、、、、体験に裏付けられたものしか語れない。話者によりそいながら、それをよく引き出している。