■明治35年会津生まれの山口弥一郎博士が1955年に東京都文京区指ヶ谷町の富貴書房から出版された『東北民俗誌 会津編』。序にかえてで、「命をけずった採集記録もあり、郷土の未だ文字に表れない基礎資料を、再検討の意味で若干考察したもののあるので、あえて郷土のために捧げてみようと思う、、、、
現在の大沼郡金山町である「本名村三条民俗誌」のなかに次のような焼畑(カノ)調査での言葉があります。()は私の補注。
夏、青草を刈ってねせて(熟成させて)、ネセゴエをつくる場合もあり、また時にねせないでカッツキといって、青草を刈ったまま(畑に)入れる場合もあるが、このアオカッツキを入れるとクサが出来過ぎて、穂に力が入らないので、出来るだけネセゴイにした方がよい。 (36ページ)
カノ(焼畑)には、夏カノと秋カノとあるが、夏カノは土用に刈って、数日して火を入れるもので、ソバを蒔くからソバカノという。
これに対して秋カノは秋刈っておいて冬を通し、翌春五月頃焼くもので、粟(アワ)を主に作るのでアワカノと呼んでいる。多くは夏カノである。(37ページ)
カノ(焼畑)の一特色は、火を入れるから虫がつかぬことにあるが、三年ギリ等といって三年も連作すると四年目には肥料が不足し、虫もつき出す。それで前年ジュウネン等をつくり、その刈った後に草を入れて、時には再び火を入れて焼き、ウナイこむことがある。この草を刈り込むことをヨセガリ、焼くことをヨセヤキと呼んでいる。(39ページ)
ブナの新緑と、からむし畑(青苧畑)。昭和村大岐・高畠。