古代の会津
■福島市在住の鈴木啓さんが3月7日に歴史春秋社から発刊した『南奥(ふくしま)の古代通史』(4095円)を読み始めているが、新しい発掘調査の事実や研究成果が盛り込まれており、なかなか読ませる。
羽鳥湖というと福島県の会津や白河に住んでいる人はなじみのあるところで、昨年9月に甲子(かし)峠が開通するまでの南会津と白河を結ぶ自動車道として唯一のものであった。その天栄村は白河地域に属するのだが、鶴沼川は西の会津に流れ、新潟から日本海につながる流路である。白河の集水域は阿武隈川になるのだが、天栄村・羽鳥湖の水は阿賀川・阿賀野川に流れ込む。この鶴沼川が、古代の通路である、と前掲書では記している(26ページ)
「日本書記」崇神天皇10年9月9日、崇神天皇の伯父大彦命(おおひこのみこと)を北陸道(日本海沿岸地方)に、その子武淳川別命(たけぬなかわ わけのみこと)を東海道(太平洋沿岸地方)に、、、、(略)派遣した。
日本海側を進んだオオヒコは越後から東に折れ、太平洋側を進んだタケヌナカワワケは南奥から西に折れた。二人の出会った所を相津(あいづ、会津)という、と記されている。
旧・鶴沼川と日橋川の合流点の会津坂下町青津を、相津と想定しています。能登南部からの移住者を想定される弥生時代終末期の男壇遺跡・宮東遺跡があり、亀ヶ森古墳等があるからです。