2012年2月23日木曜日

昭和村の中世城館跡


■2001年7月に刊行された『中世城郭研究 第15号』(中世城郭研究会、東京都渋谷区桜丘)の240から248ページにかけ、松岡進「牛首城跡・丸山城跡(福島県昭和村)について」が掲載されている。
 松岡進氏は昭和村野尻の小林弥吉氏らの案内により、2000年5月21日、22日に野尻でこれら山城の現地踏査をしている。過去に設けられたものの、現遺構の構築時期は伊達正宗が会津侵攻した天正17年(1589)である可能性が高い、としている。
■『福島県の中世城館跡』(福島県教育委員会編集、1988年)は454ページの大冊。昭和村については12の城館跡が登録されており(432ページ)、322ページと336-337の地図に位置が掲載されている。調査者は故・小柴吉男氏(三島町文化財専門員)。
野尻:牛首城
下中津川:河原田舘、下中津川舘、堂ノ沢舘、御伊勢山舘
小中津川:ゴーシ沢舘
佐倉:佐倉舘
大芦:弁天山舘、愛宕山舘、天空山舘
小野川:小野川舘
※322ページの地図の68005御伊勢山舘は位置に誤りがあり、もう一つ南方の尾根突端である。337ページの68012小野川舘の位置も疑問が残る。
■『昭和村の歴史』(昭和村、1973年)の239ページには「城及び塁館柵の跡」が15ヶ所掲載されている(大芦の五十嵐朝良による)。
 『福島県の城館跡』に掲載されていないものとして、
野尻琴琵羅(松岡の丸山城比定地)
山内氏代々の居館の跡(松岡論文でも掲載)
小中津川:愛宕山の柵
■『昭和村の歴史』では、下中津川の柵(本名掃部介住す)、お伊勢山の柵(渡部氏築く)、ゴーシ沢の柵(柳沢主計築く)、佐倉の柵(佐倉倉人築く)、弁天山の柵(中見沢星氏築く)、天空山の柵(赤田五十嵐氏築く)とある。





■飯村均『中世奥羽のムラとマチ 考古学が描く列島史』(東京大学出版会、2009年)の194ページ「山城と聖地」で、山城以前はどういう「場」で、山城としての機能を停止した後どういう「場」になったかを問い直すとき、初めて山城のできる「場」が鮮明となった、、、
 昭和村の場合、山城跡地にはたいがい御愛宕様が祀られる。