会津学研究会のみなさまへ
このたび、当研究会代表の菅家博昭氏を講師に、
以下の内容で計3回の講座を開きます。
定例研究会でなかなかお集まりいただくのが困難な状況ですので、
降雪前に何がしかの勉強会をしたいと設定いたしました。
多忙な菅家氏の日程に合わせての開催ですので、皆様も調整が難しいかもしれませんが、
ぜひご参加くださいますようお待ちしています。
「地域の調べ方講座」
10月13日(火)、15日(木)、19日(月)
時 間:19時より21時
参加費:無料
場 所:福島県三島町宮下「いまここカフェ」(宮下温泉ふるさと荘隣の旧物産館)
主催:会津学研究会 共催:奥会津書房・いまここカフェ
申込/問合せ:0241-52-3580(奥会津書房)
<地域の調べ方の新しい技法の開発>
■自然環境調査、特にワシタカ類の行動圏調査・土地利用調査がしめすもの
■火山噴火→噴出物の分析
砂子原カルデラ、沼沢火山
■地震 → 古文書の調査、活断層の土層調査
会津盆地西縁断層帯、1611年の会津地震・城天主崩壊
■年代見直し。伝播論の見直し → AMS調査、C14の補正、年輪年代法
弥生時代開始の見直し、縄文時代の見直し。
土器付着炭化物の分析化学 →雑穀類の調査
■踏査 → 旧石器時代の原石山地の調査
栃木県高原山の黒曜石
会津西部
■調査項目以外の調査 → 水田漁労の調査・着想・展開
遊び仕事(田でさなかを採った楽しみ)を聞いていく。
■調査以外の主体化
■植物学の進歩 → 土壌微生物の役割、森林の役割の変化
■実より幹(茎) → 米よりも、稲ワラ(藁)。森野からの植物採集(素材加工)と、圃場からの植物幹採集の意味合い。野の草カヤ(茅・すすき)と、藁、アサガラなどの違い。
等など、多面的な分野からの手法を学びます。
2009年9月29日火曜日
2009年9月26日土曜日
地域の新しい調べ方を考える
■10月13日(火)、15日(木)、19日(月)19~21時、三島町宮下のいまここカフェ(交渉中・予定)にて、会津学研究会の菅家による講話「地域の調べ方講座」開催予定。入場無料。照会は奥会津書房まで。参加者5名程度で開催。これまでの地域の調べ方を超える調べ方を考える。
2009年8月28日金曜日
第5号 聞き書きの現場から『会津学』発刊



■2009年8月22日(土曜日)
雑誌『会津学』5号(会津学研究会編集、奥会津書房発行、1500円)が、発刊されました。毎年8月に発刊して5年目となりました。
22日には、福島県三島町宮下のふるさと荘脇の「いまここカフェ」で発刊の集会が開催されました。
なお、『会津学』1~5号は会津地方の書店店頭でお求めいただけます。また版元の奥会津書房からも郵送していますので問い合わせて下さい。
■8月22日の催事の様子は次のサイトに掲載されています。参考までに「いまここネット」の記事を転載いたします。
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いまここネットより転載(8月24日)
2日前におこなわれた会津学ゼミナールのレポートです。
まだ少し準備が残っている午後2時頃から、続々と参加される方が集まってきます。初参加の方、いつも参加されている方、若い方から、年輩の方まで、年齢や性別もさまざま。談笑される方、当日発売となった『会津学』5号を購入し目を通す方など、開会まで思い思いに過ごされていました。
発表者の菅敬浩さんには、なんと駐車場の雑草を草刈り機で刈っていただきました!前から気になっていたので、手でチマチマと草むしりはしていたんですが、本格的にはやっていなかったんですね。情けないお話ですが、今回はご好意に甘えさせていただきました。菅さん、ありがとうございます!
さて、午後3時となり、ついに開会!参加者20人ほどでしょうか。旧物産館を借り「いまここカフェ」を開いてから約2ヶ月、こんなに賑やかなのは久しぶりです!「ああ、いいなぁ・・・・・・」なんて、はじまってもいないのに嬉しくなる自分がいました。
さて、まずはいまここネットメンバーの川合正裕が報告をおこないます。
報告内容は「福一満虚空蔵尊の大わらじ奉納」。
会津の人が虚空蔵様と聞くと、まずはじめに頭に浮かぶのが柳津町の福満虚空蔵尊じゃないでしょうか。けれども、今回紹介したのは三島町大石田地区の福一満虚空蔵尊への大わらじ奉納です。名前が似てるだけでなく、柳津の虚空蔵様の姉様だという伝承もあるそうです。
この虚空蔵尊への大わらじ奉納は毎年おこなわれているわけではありません、今年はなんと20年ぶり!大わらじを作り、奉納するまでを画像で紹介したあと、なぜ今年奉納することになったのか、聞き書きで知ることができた人々の「想い」を自分の感想をまじえて語っていました。
次に菅敬浩さんの発表。
「一枚の写真物語」と題して、仏像の横姿を背景に撮った古い記念写真を手がかりに聞き書きをおこなった成果の報告です。スクリーンに映像をうつしてのとっても臨場感あふれるもの。どんどんと解き明かされる、写真の謎。背景の仏像は柳津の虚空蔵尊にあったそうですが、戦時中に供出したとのことでした。仏像は「出征したんだ」という言葉がすごく心に残りました。一枚の記念写真といえど、そこには歴史や物語がある、そのことを痛切に感じさせる発表でした。
3つ目の発表は渡辺紀子さんでした。
内容は沖永良部島でおこなわれた合同研究会の報告です。「沖永良部って・・・」と思われる方もいらっしゃると思いますが、そうです、鹿児島県の沖永良部島です!
会津学研究会と鹿児島民俗学会、そしてえらぶ郷土研究会は福島県立博物館で昨年おこなわれた特別展が縁となり、交流がはじまったそうで。昨年は沖永良部島の方々が会津を訪れ、今年の5月には会津学研究会の皆さんが沖永良部島に訪問したとのこと!
会津とは違った環境で生活を営む人々との交流、合同研究会で明らかになったことなど、渡辺さんのとっても実感のあふれる報告で、面白かったです。
最後は会津学研究会代表、菅家博昭さんによる「これからの会津学研究会、『会津学』」について。
まずは今後みんなで学んでいきたい、失われつつある暮らしの知恵や慣習を紹介されました。例えば、カヤ葺きの屋根の上に草花が生えていたがあれは何だったのかとか、お盆に供えるお花は何でどこでとってくるのかとか・・・かつては当たり前で、今では気をつけないと見落としがちなことです。
確かにボーっとしてると見過ごしちゃう、なくなっちゃうことってありますよね。色々な興味や視点で物事をみることの重要性をヒシヒシと感じました。
さらに、『会津学』という雑誌をつくる基本となる「聞き書き」についてもお話されました。おじいさんやおばあさんをはじめ、地域に生きる人々に何をどのようなスタンスでお聞きするのか。民俗学や文化人類学など、いくつかの学問では永遠のテーマともいえるものです。
菅家さんは私たちは研究者ではないのだから調査でなくていい、ということを強調されておりました。確かに「聞き書き」って別に学者の専売特許ではありません。やっぱり自分がいて相手がいる「対話」だと思います。ただ、こちらが話すより聞く方の比重が大きいかもしれませんが。
「調査でなくていい」、この言葉にこれからの会津学研究会の進む方向があるのかもしれません。
長くなりましたので今回の更新はこれくらいで。
いまここネットメンバーによる「アラン・スミシー」のデビューははたしてどうなったのか・・・・・・
次の更新は懇親会のもようをお届けしたいと思います。
投稿者 いまここSTAFF
2009年8月3日月曜日
第5号、再校終了、印刷作業へ






■圃場での作業のときは携帯電話は軽トラックの運転席に置く。着信履歴と留守電を作業後に見てみると15時40分に奥会津書房から着信と留守電が入っていた。「再校(2度目の校正作業)が上がってきました」ということであったので、17時10分に仕事を切り上げ、雨と汗に濡れた身体を洗ってから、隣町の宮下の奥会津書房に向かった。父上は高畠の圃場のかすみ草の株草を抜かないと生育に負ける、と言っていて、岩下圃場のネット張りはぬかるんでできないので、明日はその仕事をすることにして大岐を出た。5万字の後出し原稿を差し込んでもらったので、、、、印刷出版が遅れることになってしまったので、校正はすぐに、、、。
■雨。18時20分頃に奥会津書房に着く。20時30分まで校正したものが打ち出されたできあがり想定の紙面の2回目の校正を行った。26本の原稿が本のかたちとなって並んでいて、とても楽しみなできあがりだ。
そして、『会津学5号』出版特集として、『奥会津書房会報』30号が発行される。発刊記念の会合も以下の通り決定している。
※会津学ゼミナール 8月22日(土)15時~17時。三島町宮下ふるさと荘となり(旧・物産館)・いまここカフェ 0241-52-2887
活動報告:三島町大石田の大わらじ作り(川合正裕)ほか。紙面の合評会など。無料。終了後懇親会があり、なかよしバンドが演奏します。懇親会参加は3000円。申し込みは8月20日まで奥会津書房まで。なお報告者は予定です。
23時に帰宅し、先の郡山市内でのかすみ草フェアの参加者の報告書を読む。店頭で新しいかすみ草物語が生まれていることが、よくわかる優れた内容であった。和歌山の参加者3名からも参加報告書を大野君から送付され、こちらもたいへん参考になった。
かすみ草が風雨で倒されないように15cm3目のアミ(網・ネット)を伸展し、そのなかをかすみ草は茎葉を支え成長する。人が人を支える地域社会のように、仕事を通じて社会とかかわるなかで、その商品の売買だけではない価値を生み出す(感じとるための仕掛け)ことを考えながら新しい取り組みを生み出す。それは対面して行うことでまずひとつ作り出せる物があると信じて。
■会津学研究会では、1年に1冊、聞き書きによる出版活動を行い、10年間継続することを目的としていますが、その5年次にあたり、雑誌も5号となりました。これをもとに福島県内各地で読者集会を行う予定で開催地を募集しています。この秋冬から春まで、県内10ヶ所程度で『雑誌:会津学』の5年、、、という内容で遠藤由美子編集長と、代表の菅家博昭がこの5年間の聞き書きの成果と今後の課題について報告するものです。まず研究会会員の生活拠点所在地での開催を目標としています。県内各市での報告会も会場・主催者を検討中です。可能な場合はなかよしバンドの演奏会もセットしたいと思います(マイク無し、音響設備無し)。
2009年8月1日土曜日
会津学の夕べ(8月22日)
■2009年8月22日(土曜日)15時~17時まで無料、その後懇親会(有料3000円)+コンサート。
福島県三島町宮下温泉ふるさと荘の右隣の旧・物産館にて、
『会津学5号』刊行記念(8月末出版予定)の集会と、18時頃から
なかよしバンド(昭和村・佐藤孝雄+菅家博昭、自作曲の演奏)の演奏会を開催します。
参加下さい。詳細は近日中に奥会津書房のニュースレターで通知されます。
福島県三島町宮下温泉ふるさと荘の右隣の旧・物産館にて、
『会津学5号』刊行記念(8月末出版予定)の集会と、18時頃から
なかよしバンド(昭和村・佐藤孝雄+菅家博昭、自作曲の演奏)の演奏会を開催します。
参加下さい。詳細は近日中に奥会津書房のニュースレターで通知されます。
2009年6月22日月曜日
手は動かせば宝になる
■2009年6月22日(月)14時から、約1時間、昭和村佐倉の「からむし工芸博物館」で、朝倉奈保子さんのインタビューをいたしました。こころよく話をしていただきました。雑誌『会津学』5号(この夏8月頃刊行予定)に掲載します。「きら」(光沢)や、「青苧(あおそ、青麻とも)」「聞き書き」「昨年の英国でのからむしワークショップ」などをうかがいました。
■2006年夏に刊行した雑誌『会津学』2号(奥会津書房)の206ページから275ページには、朝倉奈保子さんが、長い時間をかけて昭和村の人々から聞き書きしたことを「苧の道(おのみち)」として報告している。
朝倉さんは平成13年(2001年)にからむし織りの体験生として入村し、翌年から聞き取り調査をはじめている。最後に次のようにまとめている。
昭和村のお年寄りは「手は動かせば宝になる」とよく言う。手があるならば動かせばいい、足があるなら歩けばいいのだ。こんな基本的なことを忘れかけているのは自分自身だけではあるまい。(略)しかし、もういちどここで我々人間が自然というものを謙虚に受けとめ、恵みに感謝し、そして先人と培ってきた知恵を見直す必要があるのではないだろうか。育まれてきた文化の中にある「心」と「美」を見出すために、、、、
■朝倉さんは、平成19年(2007年)~3月に刊行された『からむしを育む民具たち』は、平成13年(2001年)4月から16年3月、16年7月~7月、同16年度(2004年)の聞き取り調査等に関わり、この執筆も担当している。
ヒロロの雨蓑に関する聞き書きは、これまでに出会ったことのない上質なもので、とても優れている。以下に再掲する。
ヒロロで製作されたカゴとミノが掲載されている。
ヒロロ、ヤマブドウの樹皮、アサ、黒色の木綿布で化粧(アクセント)を付けている。
ミノについての記載を紹介する。
日除けや雨の日、物を背負う時などに着る。材料は長持ちするヒロロ。通常のミノは袖までついている。一カケ(ひとかけ)、もしくは一チョウ(いっちょう)と数える。ミノ作りは農閑期の仕事でちょうど「カタユキ」(春近くになって積もった雪が固くなり、歩いてもぬからなくなった雪のこと。三月頃から)になった頃、できたミノを雪の上に広げ、その上に雪をのせたり、池などに浸したりもした。編んだものを雪水に通すとゆるみがでて、弾力が生まれ、軽くなると同時に丈夫になり、ぼろぼろとくずが出にくくなる。水につけると色がよくなるとも言われている。昔は、池に浸したミノを、家の梨の木によく乾かしていた光景が見られた。梨の木は火事を防ぐと言われていたため、どこの家でも二、三本植わっていた。畑に出た時、昼休みにミノを敷いて、カサを頭にかぶせて昼寝をするのがなんともきもちのいいものだったという。ミノに代わって今はカッパを着るようになったが、現在でも暑い時はミノの方が便利だという人は少なくない。
※雪が大切な役目を持ち、屋敷まわりの梨の木など風景がよく見え、ミノの上で昼寝をする気持ちよさ、、、、体験に裏付けられたものしか語れない。話者によりそいながら、それをよく引き出している。
■2006年夏に刊行した雑誌『会津学』2号(奥会津書房)の206ページから275ページには、朝倉奈保子さんが、長い時間をかけて昭和村の人々から聞き書きしたことを「苧の道(おのみち)」として報告している。
朝倉さんは平成13年(2001年)にからむし織りの体験生として入村し、翌年から聞き取り調査をはじめている。最後に次のようにまとめている。
昭和村のお年寄りは「手は動かせば宝になる」とよく言う。手があるならば動かせばいい、足があるなら歩けばいいのだ。こんな基本的なことを忘れかけているのは自分自身だけではあるまい。(略)しかし、もういちどここで我々人間が自然というものを謙虚に受けとめ、恵みに感謝し、そして先人と培ってきた知恵を見直す必要があるのではないだろうか。育まれてきた文化の中にある「心」と「美」を見出すために、、、、
■朝倉さんは、平成19年(2007年)~3月に刊行された『からむしを育む民具たち』は、平成13年(2001年)4月から16年3月、16年7月~7月、同16年度(2004年)の聞き取り調査等に関わり、この執筆も担当している。
ヒロロの雨蓑に関する聞き書きは、これまでに出会ったことのない上質なもので、とても優れている。以下に再掲する。
ヒロロで製作されたカゴとミノが掲載されている。
ヒロロ、ヤマブドウの樹皮、アサ、黒色の木綿布で化粧(アクセント)を付けている。
ミノについての記載を紹介する。
日除けや雨の日、物を背負う時などに着る。材料は長持ちするヒロロ。通常のミノは袖までついている。一カケ(ひとかけ)、もしくは一チョウ(いっちょう)と数える。ミノ作りは農閑期の仕事でちょうど「カタユキ」(春近くになって積もった雪が固くなり、歩いてもぬからなくなった雪のこと。三月頃から)になった頃、できたミノを雪の上に広げ、その上に雪をのせたり、池などに浸したりもした。編んだものを雪水に通すとゆるみがでて、弾力が生まれ、軽くなると同時に丈夫になり、ぼろぼろとくずが出にくくなる。水につけると色がよくなるとも言われている。昔は、池に浸したミノを、家の梨の木によく乾かしていた光景が見られた。梨の木は火事を防ぐと言われていたため、どこの家でも二、三本植わっていた。畑に出た時、昼休みにミノを敷いて、カサを頭にかぶせて昼寝をするのがなんともきもちのいいものだったという。ミノに代わって今はカッパを着るようになったが、現在でも暑い時はミノの方が便利だという人は少なくない。
※雪が大切な役目を持ち、屋敷まわりの梨の木など風景がよく見え、ミノの上で昼寝をする気持ちよさ、、、、体験に裏付けられたものしか語れない。話者によりそいながら、それをよく引き出している。
2009年5月6日水曜日
沖永良部島でのセミナー 5月30日
雪国、陸の孤島
■5月30日午後の鹿児島県沖永良部島和泊での研究会のために、高橋孝代『境界性の人類学〜重層する沖永良部島民のアイデンティティ』(弘文堂2006年)を読み始める。
往復ともそれぞれの旅程で参加するのだが、赤坂憲雄さん、佐々木長生さん、遠藤由美子さん、そして私。私は28日午後に現地入りして花生産の調査をし、30日午後の鹿児島民俗学会の皆さんとの会合に参加する予定。報告も要請されているので、大岐の風景と雪国の暮らしをまとめる。
→→→2008年夏の講座
---------------
■鹿児島の所崎平先生からメールが届き、5月末の研究会の様子がだいたい決まってきた。
会津学研究会・えらぶ郷土研究会・鹿児島民俗学会 合同発表会(予定) 5月2日の段階での内容
スケジュール
5月29日 歓迎・懇親会19:00~ 唄アシビ(三味線を弾き・歌う) 新納宅 (会費不要)
5月30日 午前中 島内巡検 出花集落(担当 出村)・手々知名集落(担当 喜坂)歴民館・芭蕉布工場・世の主の墓・ターニム田・……
午後 14:00~17:30 合同発表会(ながはま館)
発表 1 出村卓三「沖永良部島のヌンギドゥクル」のような内容
2 川上忠志「沖永良部島の妖怪ヒーヌムンとケンムン・キジムナー」
3 先田光演「バシャ流れ(バシャキバラの解説)」
4 鹿民から1名
5 会津側から2,3名
6 赤坂先生「境界論(落ちぶれた霊)などのような」を分かりやすく60分ほど。
懇親会 18:00~ ながはま館
あしび踊(手々知名)・ヤッコ(出花)
会費2000円、40~50名参加予定
5月31日 フリー 30日に回れなかった所、各自の帰り便に合わせて決める。
※ ホテルは素泊りで、予約ください。できるだけ、フローラルホテルで。
※ 到着・出発便は、迎え・送りに必要なので、早めにお知らせを。
※ ホテル――フローラルホテル(知名) 0997-93-2111
観光ホテル 東(和泊) 0997-92-1283
ホテル・シーワールド(和泊) 0997-92-1234
☆ 30日到着の方は、巡検の途中、時間を見計らって、迎えます。
■5月30日午後の鹿児島県沖永良部島和泊での研究会のために、高橋孝代『境界性の人類学〜重層する沖永良部島民のアイデンティティ』(弘文堂2006年)を読み始める。
往復ともそれぞれの旅程で参加するのだが、赤坂憲雄さん、佐々木長生さん、遠藤由美子さん、そして私。私は28日午後に現地入りして花生産の調査をし、30日午後の鹿児島民俗学会の皆さんとの会合に参加する予定。報告も要請されているので、大岐の風景と雪国の暮らしをまとめる。
→→→2008年夏の講座
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■鹿児島の所崎平先生からメールが届き、5月末の研究会の様子がだいたい決まってきた。
会津学研究会・えらぶ郷土研究会・鹿児島民俗学会 合同発表会(予定) 5月2日の段階での内容
スケジュール
5月29日 歓迎・懇親会19:00~ 唄アシビ(三味線を弾き・歌う) 新納宅 (会費不要)
5月30日 午前中 島内巡検 出花集落(担当 出村)・手々知名集落(担当 喜坂)歴民館・芭蕉布工場・世の主の墓・ターニム田・……
午後 14:00~17:30 合同発表会(ながはま館)
発表 1 出村卓三「沖永良部島のヌンギドゥクル」のような内容
2 川上忠志「沖永良部島の妖怪ヒーヌムンとケンムン・キジムナー」
3 先田光演「バシャ流れ(バシャキバラの解説)」
4 鹿民から1名
5 会津側から2,3名
6 赤坂先生「境界論(落ちぶれた霊)などのような」を分かりやすく60分ほど。
懇親会 18:00~ ながはま館
あしび踊(手々知名)・ヤッコ(出花)
会費2000円、40~50名参加予定
5月31日 フリー 30日に回れなかった所、各自の帰り便に合わせて決める。
※ ホテルは素泊りで、予約ください。できるだけ、フローラルホテルで。
※ 到着・出発便は、迎え・送りに必要なので、早めにお知らせを。
※ ホテル――フローラルホテル(知名) 0997-93-2111
観光ホテル 東(和泊) 0997-92-1283
ホテル・シーワールド(和泊) 0997-92-1234
☆ 30日到着の方は、巡検の途中、時間を見計らって、迎えます。
2009年4月7日火曜日
4月9日の例会
■会津学研究会のみなさまへ
奥会津書房@会津学研究会事務局です。
この度、東北芸術工科大学大学院で民俗学を学んでおられる川合正裕さん
(『会津学vol.4』で執筆しています)が、三島町に住まいされることになりました。
奥会津書房の目の前の教員宿舎です。
ここで各種の民俗調査をされる予定です。
来る4月9日(木)18:00~
定例の勉強会を兼ねて、川合さんの歓迎会を催したいと企画しています。
その折、今後の計画なども併せてお話し合いできたらと考えておりますので、
是非ご参加ください。
会費は1000円です。
ご参加の連絡は、前日の8日までにお願いいたします。
お待ちいたしております。
■5月30日頃、鹿児島県の沖永良部島(和泊)にてセミナーが開催されます。
奥会津書房@会津学研究会事務局です。
この度、東北芸術工科大学大学院で民俗学を学んでおられる川合正裕さん
(『会津学vol.4』で執筆しています)が、三島町に住まいされることになりました。
奥会津書房の目の前の教員宿舎です。
ここで各種の民俗調査をされる予定です。
来る4月9日(木)18:00~
定例の勉強会を兼ねて、川合さんの歓迎会を催したいと企画しています。
その折、今後の計画なども併せてお話し合いできたらと考えておりますので、
是非ご参加ください。
会費は1000円です。
ご参加の連絡は、前日の8日までにお願いいたします。
お待ちいたしております。
■5月30日頃、鹿児島県の沖永良部島(和泊)にてセミナーが開催されます。
2009年3月29日日曜日
列島各地
■日本列島の各地を、花の仕事で訪ねる。高岡で、冬の仕事(講演)は終了した。帰郷後、上京したときに大型書店でその訪問した地域の2万5千分の1の地図と、地域の歴史の書籍を探す。たとえば東京駅東口にあたる八重洲口側には八重洲ブックセンターがあり、地階の地図、4階の地理図書関係、歴史図書(地方史)と書籍を探す。
1月の大分県・宮崎県(高千穂郷)。吹雪・高速道通行止め。
2月の岩手県一ノ関市室根山(吹雪)、沖縄県本部・湧川(気温27度)
3月の富山県砺波市・高岡市(強風30m)
■通常2ヶ月から1ヶ月前に花の講演依頼があり、その地域についての歴史をまず調べる。その後、その生産物の現況を調べ、輸出入・種苗商・卸・仲卸・小売店等でかかわる人々に聴く。加えて、その産地の商品を扱っている人々にインタビューする。研修会の10日前に講演要旨をテキストファイルで主催者に送付する。写真・スライドのパワーポイント原稿は当日に持って行く。講演前にその生産地の圃場視察をし、核となっている生産者に会う。講演会の夜は懇親会(宴会)がセットされており、生産者の皆さんに暮らす地域の文化・歴史や暮らしのあり方、課題を聴く。翌日は、その夜の会で会った魅力的な人々の暮らす地域を訪ねる、、、、道の駅、直売所、地域の食品スーパー、書店などでその地域の資料を収集する、、、、ということを続けている。訪問したときに経験する気象体験も重要だ。どのようにして、この地域は歴史を超えて未来に希望をつないでいるのか?を農の立場で、いつも考える。それがそこを訪ねた縁にこたえるため。
1月の大分県・宮崎県(高千穂郷)。吹雪・高速道通行止め。
2月の岩手県一ノ関市室根山(吹雪)、沖縄県本部・湧川(気温27度)
3月の富山県砺波市・高岡市(強風30m)
■通常2ヶ月から1ヶ月前に花の講演依頼があり、その地域についての歴史をまず調べる。その後、その生産物の現況を調べ、輸出入・種苗商・卸・仲卸・小売店等でかかわる人々に聴く。加えて、その産地の商品を扱っている人々にインタビューする。研修会の10日前に講演要旨をテキストファイルで主催者に送付する。写真・スライドのパワーポイント原稿は当日に持って行く。講演前にその生産地の圃場視察をし、核となっている生産者に会う。講演会の夜は懇親会(宴会)がセットされており、生産者の皆さんに暮らす地域の文化・歴史や暮らしのあり方、課題を聴く。翌日は、その夜の会で会った魅力的な人々の暮らす地域を訪ねる、、、、道の駅、直売所、地域の食品スーパー、書店などでその地域の資料を収集する、、、、ということを続けている。訪問したときに経験する気象体験も重要だ。どのようにして、この地域は歴史を超えて未来に希望をつないでいるのか?を農の立場で、いつも考える。それがそこを訪ねた縁にこたえるため。
床下で山草で作る、、、火薬の材料・焔硝(えんしょう)
床下で作る、、、火薬の材料・焔硝(えんしょう)
■馬路泰蔵編『知られざる白川郷~床下の焔硝が村を作った』(風媒社、2009年1月刊)
この3月、富山県庄川流域を訪ねた。一向一揆の拠点寺院があり、合掌造りの五箇山がある。信長と教団の長い争乱のなかで、火薬原料の焔硝(えんしょう)と、兵士を提供している。
帰郷後、いくつか文献を調べいきあたったのが、表題の本。
庄川の最上流は岐阜県の白川郷。2002年、茅葺きの合掌家屋の床下の土を化学分析を行った著者らは、江戸時代に火薬の原料である焔硝(硝石)を人尿、蚕糞、野草などを原料とし、土壌微生物の働きを利用して作っていたことを『床下からみた白川郷~焔硝生産と食文化から』(風媒社)で、明らかにした。
庄川流域は急峻な山に囲まれた白川郷から五箇山までの地域で、こうした焔硝が生産され、古い文書も、問屋の存在も明らかにされている。ここの経済拠点は庄川下流で平地に出たところの富山県南砺市城端町の越中城端(じょうはな)。五箇山は江戸時代は加賀藩の流刑地。そのさらに上流に白川郷がある。火薬生産の軍事秘密を守るためにこうした山峡の地が存在したとしています。
火薬は1866年にノーベルが発明したダイナマイトが有名ですが、江戸時代までの火薬は黒色火薬で、硝石、硫黄、炭粉で作られます。
五箇山の焔硝は1570年~80年に起こった石山合戦の時に、大坂石山本願寺に残らず納められたこと、北陸一向一揆においても1573年に五箇山から焔硝が送られたことが記されてる(15ページ)。
■注目しているのは焔硝生産に使う山草・野草の存在で、アカソ、イタドリ、シシウド、ウド、クロバナヒキオコシに含まれるカルシウムが焔硝生産に利用されていることです。そのほか栽培植物のヒエ、キビ、ソバの茎葉とタバコの茎が利用されています。特に衣料原料でもあるアカソのカルシウム含量は多い。硝石のチッソ源としてだけではなく、硝化菌の働きを高めるカルシウム源として重要であった。土と、草と、尿で床下で切り返しをしながら4年ほどで焔硝原料ができ、それを精製していく。堆肥を床下で作る、というような作業である。それは雨を避けることで硝石ができる。
合掌造りは蚕を飼う、その糞(蚕糞)を硝石原料に添加して利用している。そして、山国の山草・野草を使う。
■馬路泰蔵編『知られざる白川郷~床下の焔硝が村を作った』(風媒社、2009年1月刊)
この3月、富山県庄川流域を訪ねた。一向一揆の拠点寺院があり、合掌造りの五箇山がある。信長と教団の長い争乱のなかで、火薬原料の焔硝(えんしょう)と、兵士を提供している。
帰郷後、いくつか文献を調べいきあたったのが、表題の本。
庄川の最上流は岐阜県の白川郷。2002年、茅葺きの合掌家屋の床下の土を化学分析を行った著者らは、江戸時代に火薬の原料である焔硝(硝石)を人尿、蚕糞、野草などを原料とし、土壌微生物の働きを利用して作っていたことを『床下からみた白川郷~焔硝生産と食文化から』(風媒社)で、明らかにした。
庄川流域は急峻な山に囲まれた白川郷から五箇山までの地域で、こうした焔硝が生産され、古い文書も、問屋の存在も明らかにされている。ここの経済拠点は庄川下流で平地に出たところの富山県南砺市城端町の越中城端(じょうはな)。五箇山は江戸時代は加賀藩の流刑地。そのさらに上流に白川郷がある。火薬生産の軍事秘密を守るためにこうした山峡の地が存在したとしています。
火薬は1866年にノーベルが発明したダイナマイトが有名ですが、江戸時代までの火薬は黒色火薬で、硝石、硫黄、炭粉で作られます。
五箇山の焔硝は1570年~80年に起こった石山合戦の時に、大坂石山本願寺に残らず納められたこと、北陸一向一揆においても1573年に五箇山から焔硝が送られたことが記されてる(15ページ)。
■注目しているのは焔硝生産に使う山草・野草の存在で、アカソ、イタドリ、シシウド、ウド、クロバナヒキオコシに含まれるカルシウムが焔硝生産に利用されていることです。そのほか栽培植物のヒエ、キビ、ソバの茎葉とタバコの茎が利用されています。特に衣料原料でもあるアカソのカルシウム含量は多い。硝石のチッソ源としてだけではなく、硝化菌の働きを高めるカルシウム源として重要であった。土と、草と、尿で床下で切り返しをしながら4年ほどで焔硝原料ができ、それを精製していく。堆肥を床下で作る、というような作業である。それは雨を避けることで硝石ができる。
合掌造りは蚕を飼う、その糞(蚕糞)を硝石原料に添加して利用している。そして、山国の山草・野草を使う。
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