■昭和48年(1973)に福島県大沼郡昭和村教育委員会が発刊した『昭和村の歴史』。幕末の戊辰戦争の野尻組(現・昭和村)の様相について、近世史料として『公私摘要』が田島町史編纂室の室井康弘氏により随所に引用されて執筆されいるが、その詳細は何も紹介されていなかった。
平成13年(2001)、昭和村文化財保護審議会の馬場勇伍氏の編著『乱雲 戊辰の晩秋 会津戊辰の役 大芦の戦い』の後半に、『公私摘要』(1868年8月から12月分の一部)が転載されている。
村内佐倉の馬場勇伍氏によれば、
小中津川村名主の栗城浜三氏が、嘉永五年(1852)から明治四十二年(1909)まで五十七年間のことを六冊に分けて村での出来事を記録している。触継で来る文書の控えを残し、風聞を記録し続けた。巻末には栗城浜三ではなく栗城義綱としており後年に義綱としたものと思われる。
明治四十二年七月で終わり、六十八歳と記載していることから逆算すると天保十二年(1841)頃の生まれで、明治元年(1868)の村内で戊辰戦争が行われたときには二十七歳くらいである。
■会津史学会機関誌『歴史春秋』第五七号は平成十五年(2003)に発刊された(2400円)。村内大芦出身で会津若松市内在住の星甚恵氏は「栗城義綱「公私摘要初編」について」を執筆されたが、本誌の誤植が多いことから別刷を作成し差し替えをしている。本文中に公私摘要六冊の写真が掲載され「昭和村小中津川 栗城栄寿氏蔵」となっている。
「公私摘要」について会津史学会等での取り上げ事例について詳しく紹介している。
昭和四十八年発行の『昭和村史』に引用され、庄司吉之助氏は『世直し一揆の研究』に引用、大塚実氏は『歴史春秋』四三号に「公私摘要戊辰中編、後編」の史料吟味を経て庄司論文の批判再考を発表されている。
また平成八年度の会津史学会古文書研修会のテキストとして取り上げ、海老名俊雄氏が講師として解読解説をし、さらに海老名氏はこの「公私摘要戊辰中編、後編」の分析を通して『会津戊辰戦争と一山村の動向』(『歴史春秋』四五・四八号)を発表されている。平成十三年には昭和村の郷土史家馬場勇伍氏が『乱雲戊辰の晩秋』のなかに引用され史料紹介をしている。
これまで引用されてきたのは「公私摘要戊辰中編」が主であるが、「公私摘要」は全六冊の構成である。
第一冊は「戊辰初編」で嘉永五年より慶応四年九月迄のもので同秋まとめ、第二冊は「戊辰中編」で明治元年九月より明治二年十月までのもので同年十二月のまとめ、第三冊は「戊辰下編」で神職・寺院・修験の触面の事で、明治二年十二月のまとめ、第四冊は明治四~五年両年のまとめ、第五冊は明治六年より十五年にわたる記録である。第六冊は明治十七年より四十二年までの各年の主な出来事について簡略に記してある。
著者の栗城義綱(浜三)については未調査であるが、野尻組小中津川村の肝煎である。前記馬場勇伍氏によれば、天保十二年頃の生まれで、明治元年では二七歳位であったという。奥会津の僻村において、刻々と変貌する中央の状況をよくぞつかんだものと感嘆せざるを得ない。