■2011年7月末の只見川水害(ダム放流による災害)は、中世の奥会津の山内氏の支配域で発生した。このたび1週間の風邪引き休養のなか『只見町史第1巻』を読んだ。
福島県南会津郡只見町が平成16(2004)年2月19日に刊行した『只見町史 第1巻 通史編1 自然・原始・古代・中世・近世』で、第2章第2節の後半、201ページから山内横田氏と伊北(いほう)、第3節257ページ山内氏の会津下向、338ページまで記述されている。執筆者は日本城郭史学会代表の西ヶ谷恭弘氏である。過去に著されたものと比べ、内容も充実しており、まず山内氏については、『只見町史1巻』から、一読することを奨める。
これまで昭和48(1973)年11月に昭和村役場から発刊された『昭和村の歴史』で山口孝平氏により室町時代の山ノ内宗家の会津移住(40ページ)から野尻山ノ内氏(牛首城)などの記載がある。
その後、昭和49(1974)年3月に金山町が発刊した『金山町史 上巻』で、東北大教授の高橋富雄氏による山内家に関する記述(176ページから391ページ)。山内家の拠点が金山町横田にあったことからこれまでのなかでは多くの記載がなされている。
一方、現在の三島町、柳津町等も支配域であった。金山町史を執筆するにあたって『三島町史』を読んだと高橋富雄氏は書いている。このほか南会津郡の『田島町史』『南郷村史』なども山内領域について関連記述は多い。
さて『只見町史』では、伊達軍の攻勢から、山内横田氏は、現在の只見町只見に残る水久保城で最後まで戦った場所であることから詳細な記述をしている。西ヶ谷氏はかなり前から全国の調査のほか、会津地方の中世城館跡の現地調査を行っており、そうした広い見識のなか山内横田氏について書いており、現状の研究成果のなかではいちばんまとまった内容となっている。
『会津四家合全』は『昭和村の歴史』で山口孝平氏は史料価値のないものとし、『金山町史』で高橋富雄氏も内容批判をしているが参考にもしている。『只見町史』で西ヶ谷氏も高橋氏と同じ立場で一級資料ではないが参考になるところもある、としている。会津藩士向井吉重が1673年に著述した『会津四家合考』と、『合全』は異なるので留意が必要。
『金山町史』で高橋氏は『異本塔寺長帳』の成立時期についても言及している。
■2009年3月に金山町出身の栗城正義氏が『忠誠日本一 二百八十年間主君を支え続けた会津山ノ内の家臣たち』として会津若松市の歴史春秋社より刊行された(三百二十六ページ)。伊達家に滅ぼされた山ノ内家臣団は、農民となり近世江戸時代から幕末までの様子を詳述している。特に戊辰戦争で会津藩に従軍する。
■会津四家合全については次のサイトが紹介している。2004年から07年記載→ 山ノ内氏