2012年2月23日木曜日

3月3日、東北復興シンポジウム 会津若松市内

■3月3日(土)午後1時~、東北復興シンポジウム 海と山の間に生きる →福島県立博物館(会津若松市)


以下主催者ウェブサイトより転載します。



東北復興シンポジウム 「フクシマ」と共に ~海やまのあいだに生きる~ 


講 師
山折哲雄(宗教学者)、川勝平太(静岡県知事)、安田喜憲(国際日本文化研究センター教授)、山田恭暉(福島原発行動隊理事長)、赤坂憲雄(当館館長)


日時・プログラム
3月3日(土) 13:00~16:00 


 12:30 開場
 13:00 開会挨拶  仁連孝昭(NPO法人アスクネイチャー・ジャパン理事長)
 13:10 基調講演 「フクシマ」と共に  山折哲雄
 13:30 福島原発行動隊の道  山田恭暉
 14:20 休憩
 14:30 パネルディスカッション 「フクシマ」と共に
       コーディネーター 赤坂憲雄
       パネリスト     山折哲雄、山田恭暉、川勝平太、安田喜憲
 15:50 閉会挨拶  河本英典(NPO法人アスクネイチャー・ジャパン副理事長)


場 所 会津若松市福島県立博物館 講堂


定 員 200名(先着順)


申込み方法 当館受付カウンターか電話(0242-28-6000)・ファックス(0242-28-5986)で、お名前・ご所属・お電話番号をお知らせください。1月11日(水)より募集を開始します。


参加費 無料


内 容
3.11の大震災を機に、時代は大きく変わろうとしています。何よりも東北の復興が焦眉の急であることはいうまでもありません。そしてその復興の道筋は地球と世界の動向を見極め、その上でこの国の変革の道を目指すものでなければならないと考えます。
こうした観点から、「自然に学ぶ国作り」を志すNPO法人「アスクネイチャー・ジャパン」の立案により、東北復興への願いをこめて開催するシンポジウムです。


主 催 NPO法人アスクネイチャー・ジャパン、福島県立博物館


昭和村の中世城館跡


■2001年7月に刊行された『中世城郭研究 第15号』(中世城郭研究会、東京都渋谷区桜丘)の240から248ページにかけ、松岡進「牛首城跡・丸山城跡(福島県昭和村)について」が掲載されている。
 松岡進氏は昭和村野尻の小林弥吉氏らの案内により、2000年5月21日、22日に野尻でこれら山城の現地踏査をしている。過去に設けられたものの、現遺構の構築時期は伊達正宗が会津侵攻した天正17年(1589)である可能性が高い、としている。
■『福島県の中世城館跡』(福島県教育委員会編集、1988年)は454ページの大冊。昭和村については12の城館跡が登録されており(432ページ)、322ページと336-337の地図に位置が掲載されている。調査者は故・小柴吉男氏(三島町文化財専門員)。
野尻:牛首城
下中津川:河原田舘、下中津川舘、堂ノ沢舘、御伊勢山舘
小中津川:ゴーシ沢舘
佐倉:佐倉舘
大芦:弁天山舘、愛宕山舘、天空山舘
小野川:小野川舘
※322ページの地図の68005御伊勢山舘は位置に誤りがあり、もう一つ南方の尾根突端である。337ページの68012小野川舘の位置も疑問が残る。
■『昭和村の歴史』(昭和村、1973年)の239ページには「城及び塁館柵の跡」が15ヶ所掲載されている(大芦の五十嵐朝良による)。
 『福島県の城館跡』に掲載されていないものとして、
野尻琴琵羅(松岡の丸山城比定地)
山内氏代々の居館の跡(松岡論文でも掲載)
小中津川:愛宕山の柵
■『昭和村の歴史』では、下中津川の柵(本名掃部介住す)、お伊勢山の柵(渡部氏築く)、ゴーシ沢の柵(柳沢主計築く)、佐倉の柵(佐倉倉人築く)、弁天山の柵(中見沢星氏築く)、天空山の柵(赤田五十嵐氏築く)とある。





■飯村均『中世奥羽のムラとマチ 考古学が描く列島史』(東京大学出版会、2009年)の194ページ「山城と聖地」で、山城以前はどういう「場」で、山城としての機能を停止した後どういう「場」になったかを問い直すとき、初めて山城のできる「場」が鮮明となった、、、
 昭和村の場合、山城跡地にはたいがい御愛宕様が祀られる。

2012年2月19日日曜日

近世の奥会津の木地挽き


■平成18年(2006)に滋賀県東近江市から刊行された『永源寺町史 通史編』は1328ページある。
 第四章「近世の展開と村々」の第七節「蛭谷・君ヶ畑の木地師支配」は生嶋輝美による執筆で、現在公刊されている木地屋・木地挽きに関する文献のなかでは珠玉の論文となっている。(593ページから658ページまで)
 一 木地師と小椋谷の惟喬親王伝説
    木地師と蛭谷・君ヶ畑
    轆轤工から轆轤師へ
    小椋木地師の痕跡
    小椋谷の惟喬親王伝説
  二 木地師支配所の形成
    木地師支配の由来
    大岩氏の台頭と京都
    木地師の保護
    支配への反発
    権威を求めて
 三 筒井公文書と高松御所の全盛
   文化四年幕府裁許
   合同廻国とその破綻
   支配の強化とその限界
   身近になる水上
 四 氏子かり 廻国する村人
   氏子かりの手順
   氏子かりの旅
   氏子かりに出た人々
   氏子かりの収支
 五 明治維新と支配所の終焉
   明治維新の激震
   木地師の戸籍問題
   惟喬親王千年忌と最後の氏子かり
   「木地師のふるさと」として
■平成13年(2001)発行の『永源寺町史 木地師編(上巻)・(下巻)』は合併前の永源寺町の発刊の資料編である。上巻は蛭谷氏子駈帳、下巻は君ヶ畑氏子狩帳・木地師関係文書・大岩助左衛門日記、解説である。
 これは近世の会津各地(昭和村内を含む)の廻国先のことが書かれている。なお、下郷町の金井晃、昭和村の馬場勇伍が調査協力している。
 過去には、杉本壽(平成9年没)、橋本鉄男(平成8年没)による氏子狩帳が翻刻されている。解説は渡邊守順。
 現在『永源寺町史』全4巻は18000円程度で古書店で求めることができる。 
■平成13年(2001)に奥会津地方歴史民俗資料館編集、福島県田島町教育委員会が発行した『木地語り 会津田島のとびの足跡』は下郷町在住の金井晃さんがまとめたもので、奥会津・南会津(いわゆる南山御蔵入)の木地挽きについて詳細に調査されている。現昭和村域の近世の木地屋遺跡の調査(墓石等)、文献も多数掲載されている。
■平成14年(2002)に昭和村文化財保護審議会委員長の馬場勇伍編著『木地師の跡を尋ねて 山中の墓に手を合わせ乍ら』(昭和村教育委員会発行)は、村内12ヶ所の木地屋集落跡の墓地・墓石調査を行ったものである。

永原慶二『苧麻(ちょま)・絹・木綿の社会史』(吉川弘文館、2004年)


■永原慶二さんの遺作となった『苧麻(ちょま)・絹・木綿の社会史』(吉川弘文館、2004年)の「Ⅳ 苧麻から木綿へ」には副題として「ー改訂増補『新・木綿以前のこと』ー」と記載されている。カラムシに関わる人には必読すべき基本文献である。355ページ、索引あり、3200円。
 筆者は1990年に中公新書から『新・木綿以前のこと 苧麻から木綿へ』を刊行している。しかし不安の残る使用史料の若干を削除し、他方新しく見出した史料を挿入・使用し、本書では大きく改めている。
 改訂の核心は二つ。中公新書では、苧麻をもっぱら中世の民衆衣料とし、「苧麻から木綿へ」という単線的とらえ方の上に、木綿登場の歴史的意義を強調したことの問題である。しかし実際に苧麻は古代・中世を通じて支配層の求める高級苧布(白布・上布)と民衆的衣料としての苧麻布は、役割を異にしながら併存した点を重視。中公新書では、このような点についての明確な認識が十分でなかったため、論の展開が単純化されていた。
 また中公新書では、木綿は江戸時代中期以降という常識的理解を是正し、15世紀末から16世紀の導入・展開を強調したが、その際に使用した史料の二、三についてのその解釈には再検討すべき問題があり、木綿生産の労働・技術条件の軽易さを、越後上布の高度に技巧化された生産・労働条件の困難さとの対比が、必ずしも適切でなかった(172、173ページ)。
■本書では203ページから福島県大沼郡昭和村の苧麻(カラムシ)栽培について言及がある。また204ページには昭和村で撮影された写真が掲載されている。
 写真の引用された著作は平凡社『別冊太陽』の1984年「日本の布 原始布探訪」と2004年「日本の自然布」である。撮影は藤森武。
 中公新書にもこれら写真は引用されている。ただ中公新書の37ページの掲載写真のキャプションは誤りであり、写真を見る限り植物葉から苧麻畑であることがわかる。
 筆者は越後(新潟県)は調査されているが、昭和村に来たような形跡はうかがえない。会津若松の佐瀬与次右衛門『会津農書』(1684年)の引用は各所にある。

尾関清子『縄文の衣 日本最古の布を復元』(学生社、1996年)


■尾関清子『縄文の衣 日本最古の布を復元』(学生社、1996年)。編布(アンギン)、これもカラムシに関わる人々は必ず読まなければならない書籍である。246ページ、2200円。遺跡出土の繊維分析は布目順郎氏(故人)の著作が多く、それらにも昭和村のカラムシ類は紹介されている。またいわき市出身の名古屋大学の渡辺誠氏の研究もある。生活文化史専攻の尾関氏はそれらの成果を踏まえて布の復元とともに道具の復元を行っている。
 本書には昭和村の隣村の福島県大沼郡三島町の荒屋敷遺跡(縄文晩期~弥生)で出土した繊維製品と、その解析、復元が試みられている。縄文晩期の編布が出土しているが、その他に用途不明の作成物があり、尾関氏はケタであろうとし「荒屋敷編具」(84ページ)を復元している。
 こうした編具、編布の復元のなかで96ページで紹介されているように、
 カラムシの生産地である福島県大沼郡昭和村大芦の五十嵐スイ子さん(2011年没)に遺跡から出土した編布と同じ諸撚り(左)の太さ0.6~1mmまでの何種類もの糸を依頼している。スイ子さんは「たいへん難しかった」と言われている。232ページの表5にも掲載。
■221ページには昭和村のカラムシ会館、その菅家長平館長という表現が出て来るが、誤り。当時、菅家長平氏は昭和村公民館長であり、カラムシ会館の館長では無い。
■民族文化映像研究所が1988年に製作した『からむしと麻』には福島県大沼郡昭和村大芦の五十嵐スイ子さん・初喜さん夫妻がカラムシ生産を、同村大岐の菅家トシ・清一・ミヨ子がアサについての生業を姫田忠義監督が記録している。
■現在、福島県昭和村佐倉に村営の「からむし工芸博物館」がある。

2012年2月3日金曜日

会津物語


■2012年2月3日(金)
 2011年8月19日より、ほぼ毎週金曜日に朝日新聞福島県版に連載されている「会津物語」。会津学研究会員が採話した出来事が掲載(3段記事・絵1枚)。絵は会津在住の所天助さん。不思議な体験をした人々の伝承をその記憶から掘り起こして記録しています。
 今日、2月3日で21回目となった。→PDF
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■2012年2月10日(金)雪
 今朝の朝日新聞福島県版に毎週金曜に連載されている会津物語22が掲載された。「冬ごもりの穴に骨いっぱい」話者は大岐の菅家清一(79歳)。私の父からの聞き書き。
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