2010年11月21日日曜日

雑誌:会津学 6号 発刊集会

■2010年11月21日(日)13時より17時まで、福島県三島町西方の西隆寺にて開催された。奥会津は晴れの一日。20余名の参加者があった。進行は川合氏。




 執筆者の一人、斎藤民部先生が小学4年生の授業を通じての地域の調べ方を説明された。30年前に実践したことのふり返りである。80歳になられ、聴覚に障害があるため参加者からの質問は筆談で行い、斎藤先生は口頭で回答された。



■その後、参加者のなかで執筆者に今回の記事の聞き書きのなかでの課題などを報告していただき、雑誌内に取り上げられた内容を話し合った。また赤坂憲雄さんにも感想をうかがった。



■会津学研究会員ら参加者でその後、懇親会を20時まで行い散会した。



2010年11月17日水曜日

会津学 6号 発刊しました

■雑誌『会津学6号』は、11月14日頃に印刷。
 昭和村からむし工芸博物館・三島町道の駅・JR会津川口駅売店・川口阿部書店・会津若松市駅前岩瀬書店等に配本され、11月18日頃まで店頭に並ぶ予定です。1500円。奥会津書房刊




■11月21日(日)13時より、福島県大沼郡三島町西方字巣郷4684・西隆寺で『会津学6号』発刊の記念の会を開催します。会津学研究会・奥会津書房主催。本も販売いたします。赤坂憲雄さんも参加される予定です。

2010年10月15日金曜日

カラムシを支えるコガヤ(カリヤス)

カラムシ栽培におけるコガヤ(カリヤス)の重要性
菅家博昭

 ボーガヤ(植物和名ススキ)とコガヤ(植物和名カリヤス)。形状は似ているが、異なる植物として認識され福島県奥会津の昭和村では古くからそれぞれに暮らしのなかにおいて利用されてきた。
 イネ科のススキ属Miscanthus Anderssonには3種類ある。ススキMiscanthus sinensis Andersson、オギMiscanthus sacchariflorus、カリヤスMiscanthus tinctorius。いずれも昭和村で現在も生育が確認されている。
 特にカリヤスは岐阜県富山県を中心とする中部山地に分布は濃く、東北地方南部までが分布域である。ススキに比べ桿が細く刈りやすく、合掌作りの屋根に、ススキ(大萱)とともにカリヤス(小萱)も使われる。その理由はススキよりも長持ちする、という。富山県五箇荘ではカリヤスが屋根材に使われているが、近年身近なススキから、かつての屋根材カリヤスを要望する事例が茅葺き保存家屋の改修時に、出て来ている(※1)。

 カリヤスは、昭和村ではコガヤと呼ばれている。ススキはボーガヤである。ボーガヤは棒茅の意だと思われ昭和村域では使用されているが大茅と呼ぶ地域も隣接の柳津町冑中等にはある。中部山岳地域も大茅・小茅と呼んでいる。異なる植物として、明確に分けている。
昭和村で「カヤバ(カヤカリバ)」とは、共有利用を前提として採取制限(禁止)を持ち、春の山焼きが行われ、秋彼岸以降に、やまのくちあけ(山の口、鎌揃え)で開放・採取開始する、コガヤ(カリヤス)を刈る半自然草地のことである。これらは第2次大戦前後まで昭和村内の全域(各集落)で、行われていた。集落を取り囲む山塊のなかに複数設置されている。
 カヤバの春の山焼きは、残雪が尾根筋に残る時期に前年の草類が乾燥して燃えやすい時期に、斜面下方から火を点火し、そのままに放置するもので「くっつげはなし」(松山 ※2)とよばれていた。火は消さず自然鎮火を待つため数日から1週間も燃え、時に尾根を越えて隣村の山まで焼けたことがある、という(大芦)。
 コガヤを刈る時期は旧暦の秋彼岸後で、水田での稲刈り等との関係で採取(刈り取り)時期が集落毎に決められていた。すでに立ち枯れし乾燥が進んでいることもあるが、3把(は、束)で立てさらに3把重ねての6把立が多く、それで乾燥させる。カヤマキ、カヤボッチはタテ(立)で数える。乾燥後、それを集落に運搬した。
 晩秋、集落のなかの家屋(母屋)外壁にはコガヤを2段、3段に巻き、フユガキ(冬囲い・雪囲い)とした。春先に飼育動物(馬牛等)の餌が無くなると、このフユガキを外して与えることもあった。土蔵等にはボーガヤ(ススキ)をフユガキとして、これは外しながら木炭を入れるスゴを編んだ(大岐)。
 これまで現代語訳の筆耕が存在していたが、喜多方市立図書館蔵で、喜多方市教育委員会の協力でその原本がはじめて今回の「からむし畑」展の事前調査で確認された。安政五年(1858)に松山村(現在の昭和村大字松山)の佐々木志摩之助が書いた「青苧仕法書上」という近世江戸時代のカラムシ栽培の手引き書で、ほぼ現在に伝わる内容と同じであることを証左している。特に秋にカヤを刈り、家の冬囲いとし来春そのカヤでカラムシ(青苧)を焼くということも明記されている。
 フユガキのコガヤは、カラムシ畑に運ばれ、焼き草として畑に散らし(掛けて)焼かれる。焼畑のときの、コガヤの火力がカラムシの芽を揃える、品質確保のためには必要なものであったようだ。コガヤでなければならない理由の今後の聞き取り調査が待たれる。カラムシ畑を焼くには、ボーガヤだと火力が強い、あるいは太くて燃えないなどの問題がある(小中津川)。
 2010年9月17日(金)雨の午前、昭和村小中津川の柳沢で、本名初好さん(昭和13年生)が茅刈りをしていたので、話をうかがった。四畝歩のカラムシ畑を春に焼くためのカヤ(ススキ)の調達をしている。コガヤ(カリヤス)は少なくなり、ボーガヤ(ススキ)を刈っている。左手で三つかみで1束とし1把(いっぱ)。それを3把で立てて、上に3把を重ねる。1立(ひとたて)は6把(ろっぱ)立て。これを30立(たて)、昨年(2009年)秋に刈って乾燥させ、翌春(つまりこの春5月)に、焼草とした。茎が太いと燃えないから根本から50cmくらいは切り捨て、残った上部のみ使っているという。
 4畝(アール・a)のカラムシ焼に必要なカヤは、30立て。180把である、ということが明らかになった。本来はコガヤ(植物和名カリヤス)が良いがいまは少ない。

 さて、カヤバの管理は、どのようにしたのか?といえば、「秋にコガヤを刈るときに手入れした」といい、その内容は「生えてきた樹木を根本から切り、不要な草類も刈り、そこに置いた」という管理であった(大岐)。
 「コガヤはカヤバの周囲の樹木が育ち日陰になると消え」「ボーガヤに負けて株が無くなる」という。「肥えた土地にはボーガヤが育ち、やせた硬い土のところにはコガヤが育つ」といい「コガヤのカヤバにはシメジもよく出る」という(大岐)。カヤバは春の山菜であるワラビも多く出、また夏の盆にはボンバナと称するオミナエシ、ワレモコウ、キキョウなどの野の花が採取され仏前・墓前に手向けられた。
昭和村における草の利用は馬の飼育のための秣(まぐさ)、いわゆる朝草刈り、冬の飼育飼料としてのカッタテ・カッポシ(乾燥草)を草のショウ(生)が抜ける前の秋彼岸前に刈る。そして屋根材のボーガヤ確保、フユガキとカラムシ焼き・屋根の補修のサシガヤとしてのコガヤの刈り取り、、、と目的に応じた草の確保、半自然草地の維持管理が行われていた。しかしその具体的な内実はしられていない。稲刈り後、稲束をネリ(稲架)で乾燥する。その際の最上段は「カサイネ(笠稲)」と呼び、湿気が最後まで抜けないため別に管理する。このカサイネをカラムシ畑のほとりに運ぶ(カサワラ)。カラムシ焼き畑後に散らすしきわらとして湿気具合、風で飛ばないなど使いやすいのだ、という(大岐、大芦)。
 昭和村におけるカラムシ栽培・青苧生産については、それを支える広大なカヤバ(カリヤス草地)の存在。植物、特に多用な草ヒロロ(ミヤマカンスゲ)や蔓のマタタビ、モワダ(シナ)等樹皮を維持管理し、それを生活の中で活用してきた。その基層文化、生活技術、自然認識のうえに、カラムシ栽培・生産が形成されている。カラムシ単独では持続はあり得ず、その全体像を明らかにすることと、カラムシにつながる生活技術を復権するひとつの試みとして、たとえば遊休農地等にコガヤ(カリヤス)を生産する小茅畑の復活が待たれる。
 また近年、減農薬農業を政府が推進しているが、そのなかの技術にバンカープランツがある。目的とする植物(野菜等)の園地をトウモロコシ等の背の高い植物等で帯状に周囲を取り囲む。このことで囲う植物帯で侵入する昆虫等を遮蔽し、あるいは遮蔽帯に小さな生態系を作り、この囲い植物帯から園地に益虫を供給する、という農法。これはかつて昭和村域でアサとカラムシの栽培が行われていた時代の、カラムシ畑をアサで囲む技法に似ている。風除けとしてのアサの利用であるが、昆虫への対応など、このような伝統技術の現代的解明も今後必要になっている。「ウセクチ」のカラムシ畑にアサを蒔く、という連作障害回避技術解明も含めて、現在の「からむし畑」の技術解明課題は多い。カラムシ生産など伝統農法が内包している哲学的認識、伝統農法技術の科学的解明は、第三世界の支援に援用されるだけでなく、日本の山間地域の基層文化の再生を通し次世代の成熟のために必要となってくると思われる。(かんけひろあき 昭和村大岐在住、会津学研究会代表)
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(※1)2010年10月7日、大芦家で開催された会津学研究会主催「コガヤに学ぶ」で報告した柏春菜さん「地域毎の半自然草地維持の仕組みとそのバックグラウンドについて」(岐阜県立森林文化アカデミー森と木のクリエーター科里山研究会)による。
(※2) 『福島県立博物館紀要』第20号(2006年)に、鈴木克彦さんが「昭和村松山物語~2005年の聞書から」を報告している。このなかで「くっつげ放(はな)し」(87ページ)、「カッチギ(刈敷)」「カッポシ(刈り干し)」(92ページ)についての記載がある。カッチギについては雑木の枝を切り積み翌年使用する、とある。

カリヤス(コガヤ、小茅)

10月7日に開催した学習会。コガヤ(カリヤス)の認識が改まった。

■■10月7日(木)は19時より大芦家にて、会津学研究会の小さな学習会が行われた。昨年10月に奥会津に調査された富山県生まれの柏春菜さんの「地域毎の半自然草地維持の仕組みとそのバックグラウンドについて」である。




 岐阜県立森林文化アカデミー森と木のクリエーター科里山研究会に所属し、今春春に卒業研究として発表した論文をもとに1時間、スライド映写(PPT)を使用して報告いただいた。富山県・岐阜県・長野県の4集落のカヤ(ススキとカリヤス)利用の聞き取りと植物相調査、当地昭和村大岐を加えた草の利用の考察が行われた。



 昭和村での事例として、カラムシ生産を支える伝統的な基層技術として春のカラムシ焼き(焼畑)には、必ずコガヤ(植物和名カリヤス)を使用している。しかし最近はボーガヤ(植物和名ススキ)が繁茂しそれしか入手できない状況にある。集落の農業が衰退し、真っ先に森林内に維持されてきた「カヤカリバ(カヤバ、茅場)」の共有地(コモンズ)が森林に戻ってきて、あるいは杉やカラマツの造林、集落開拓等により焼失している。一方、耕作地域が柳やススキが繁茂しいわゆる耕作放棄地が野に戻っている。



 コガヤの社会的役割を探ることと、今後のコガヤの復活を企図して今回の学習会は開催された。植物が支える社会、の構想の意味を考えた。





 → 千葉県一宮市から参加されたマツヤマさん



 → 村内からの参加者



 → 大芦家



 → 菅家博昭付板



■繊維植物を得るために畑に受け付けた宿根草のカラムシ(苧麻・青苧)の生産に、乾燥したコガヤ(カリヤス)が重要な意味を持っています。雪融け後の5月に出てくるカラムシの芽を揃えるために、畑にコガヤを散らして焼き、カラムシの発芽を揃え、ひいては均一な成長をうながすためには、細いコガヤが最適であることがわかっています。火入れといっても火力をどのように維持し、かつ均一に焼き、そして目的とする植物の品質を高めるか?というなかでコガヤを取得する草地(半自然草地)が、各集落ごとに、共有地(コモンズ)として近世江戸時代から維持されてきました。しかしコガヤ草地を維持する、という野へのはたらきかけの基層技術がなにひとつわかっていません。春の山焼き(つけっぱなし)、秋のやまのくちあけ(かまぞろえ)ぐらいでしょうか。今回の柏さんの報告を聞くと中部日本では夏に数度茅場(半自然草地)の他種植物の除去・掃除が行われています。その除去した草はまた別な用途に利用している、という姿がわかってきました。昭和村におけるカヤカリバ(茅場)は、屋根材のためのカヤ取得ではなく、冬囲いとして家屋を雪圧力から守り、その融雪後カラムシ畑に運ばれてカラムシの品質確保のために「焼畑」のために、使用されていました。





■10月23日に昭和村の隣村・南会津町舘岩地区水引で茅刈り体験会(ツアー)が行われます。 →山村再生塾

■初出記事 → 菅家(記憶の森を歩く10月7日)   →10月8日





2010年10月4日月曜日

10月7日19時開催カヤ学習会

2010年10月4日

関係各位
会津学研究会 菅家博昭

植物が支える暮らし~カヤ(ススキ・カリヤス類)の民俗利用について(報告会)

 前略
 下記日程にて報告会を開催します。参加下さい。
昨年10月に奥会津で、カヤ(植物和名ススキ・カリヤス類)の民俗利用について調査された柏春菜さん(富山県内生まれ、岐阜森林文化アカデミー里山コース就学後今春卒、現在、新潟県内のNPO事務局勤務)をお迎えして、世界遺産富山県内五箇山合掌造りでのカヤ調査事例を含めたカヤの利用実態についてスライド上映とともに、1時間ほど、柏さんのお話を聞きます。その後1時間ほど参会者でカヤ利用について懇談します。
 特に、奥会津では、家の冬囲い(フユガキという)、からむし畑を春に焼くための焼き草、畑を囲む垣、しきわら等に利用しています。共有地での採取規制(やまのくち、かまぞろえ)。ススキ(ボーガヤ)とカリヤス(コガヤ)の違い、、、、、などを学びます。
 会場は10月1日に開店した大芦家です。入場無料です。参加下さい。
 なお資料等準備のため事務局の奥会津書房(遠藤由美子)か、菅家博昭まで10月6日午後5時までに、事前連絡申込をお願いします。会場の容量は、おおむね20名程度収容です。その場合、参加については申込先着順となります。

開催日時 2010年10月7日(木)午後7時~9時
開場・受付は午後6時30分より
場所 〒968-0214福島県大沼郡昭和村大字大芦 大山祇神社前 
   ファーマーズカフェ 大芦家(おおあしや)
   ※大芦家の駐車場は5~7台駐車できます。また付近の空き地に停めます。

参加申込先:会津学研究会事務局 奥会津書房(遠藤由美子)
      電話0241-52-3580
      ファクス0241-52-3581

oab(at)topaz.ocn.ne.jp
      (at)を@におきかえてください。

昭和村大岐 現地事務局:菅家博昭 
      ファクス050-3588-0956
      kaken(at)cocoa.ocn.ne.jp
カケン、です。(at)を@におきかえてください。

     ダイレクトメッセージ → 菅家博昭ツイッター




※年に1冊刊行している雑誌『会津学』6号(会津学研究会編・奥会津書房刊)は9月に入稿終了しており近日発売されます。大芦家(バックナンバー完備)、道の駅みしま、会津若松市内の主要書店等で販売いたします。また奥会津書房でも通信販売による頒布をしています。

→ 大芦家

 → 大芦家主人佐藤孝雄ツイッター

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■2009年10月のフィールドノートより

 → かさわら

 → かやかり

 → うまのものがや

 → おおだれ

 → こがやのおばかり・なえばかり

 → 2009年10月 地域の調べ方

■2010年10月の論

 → かやかりば・かやばの位置

 → 柳沢かやば

■からむし工芸博物館では「からむし畑」企画展開催中

 → からむし工芸博物館

2010年9月11日土曜日

2010.9.12(日)第4回 大芦家スタディツアー(両原・喰丸)

2010.9.12(日)第4回 大芦家スタディツアー(両原・喰丸) 作成:菅家博昭

1525年喰丸一戦
国立国会図書館 近代デジタルライブラリー
『大沼郡誌』大正12年(1937) 大沼郡役所編纂
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978648
明治44年福島県訓令の郷土誌編纂要項。大正4年で終了。241ページより。

喰丸 昔時いずれのときか検地に際し、有司この地に杭を立て、その杭丸きをもって杭丸と呼びし伝う。

両原 喰丸の上流にあり、この村昔原と唱え、喰丸村と一村なり。元和(1615)のころ、佐倉村地内の土地高21石6斗6升を、原の土地と交換し、佐倉の農民、原に移住す。いまこの交換せる土地佐倉村の東部にあり、喰丸村に属す。後、天和(1681)のころにいたり、喰丸より63石5斗1升の土地を分かちて原に興ふ。合わせて高85石1斗7升の格村となり、佐倉と原とを合して両原村という。

小野川 博士山は本郡第一の高山なり、したがって本村も郡中第一の高地なり。
大芦 往昔草野にして一帯芦萩繁茂せるによりこの名ありしという。明応(1492)の頃、五十嵐豊後、五十嵐隼人、五十嵐勘解由、五十嵐大舎人等、大石村より移住し、この土を開墾し、人家漸次増加して百戸に達成しという。天明年中飢饉により戸口大に減じて40戸余となりしが、いままた94戸におよべり。

587ページ
喰丸一戦 大永五年(1525)南山長沼、野尻山内を亡ぼさんとて、勢二百余騎を引率し来たりて、喰丸舘の越に陣す。野尻勢聞くより、山内藤八郎実俊、手勢五十騎を以て向かい、喰丸猿舘(注・下中津川)に陣し、激戦す。南山勢室井、湯田、猪俣等敗北して走る。実俊時十八歳なりきという。いまこのところを陣場(喰丸の小字に有り)ととなえ、矢鏃を拾うことあり。その後、道信、実俊父子黒川(会津若松)に赴くをうかがい、南山勢堂本上総、堂本左近等を大将とし、再び野尻を襲う。道信弟道盛勢を集め、渡部河内、栗城清三郎、五ノ井隼人、小林與治右衛門、菊地三郎左衛門、斎藤佐治右衛門、布沢太郎佐衛門等をはじめとし、牛首城に籠もり防戦し、上総及び左近を打ち取る。長沼勢、火を民家に放って退く。野尻中向より下中津川に通ずる旧道の傍、字八幡と唱うるところに塚五個あり、左近塚という。
583ページ 杉林中塚五個あり、左近塚という。このあたり牛石(生き石様か?)あり、形状相似たるを以て云う。また下中津川新田に七塚あり、いま麻畑となり六個を余す、何人の塚なりや詳ならず。春日神社 大字中向字上ノ山に在り。

『昭和村の歴史』44ページ。大永五年、田島の長沼勢が野尻領に兵を出し、野尻勢と喰丸の猿舘で合戦したとき、、、、、、合戦の後、道信、実俊父子が長沼勢の暴状を、十五代芦名もりきよ(盛舜)に訴えるため黒川に行った留守中、また長沼勢が野尻に来襲した際、盛通(野尻山ノ内三代道信の弟)は野尻勢を指揮し、栃尾沢城に拠って奮戦し、長沼勢を走らせている。

会津藩編纂 (1809)『新編会津風土記』
歴史春秋社刊第4巻125ページ
両原村 この村昔佐倉村の端村(はむら)なり。後格村となり原村という。その後、喰丸村の端村原を合わせて一村となし、それより名づくという。家数27軒。

佐倉村 15軒
喰丸村 33軒
小野川村20軒 端村大岐7軒 木地小屋岩下3軒
大芦村 69軒 中見沢12 山崎17 中組21 赤田19 木地小屋松沢6軒
野尻村 55軒 端村中向48軒
松山村 26軒
下中津川村 93軒 町13,中村3 新屋敷14 宿原9 新田12 阿久戸22 気多淵20
(猿舘山あり、現在の高舘山か?)
小中津川村24軒
以上野尻組 426軒

『田島町史』第1巻 昭和60年(1985) 261ページ
大永元年(1521)、長帳は、「みなみの山勢桧玉に入り、ことごとく焼き候、皆々打死つかまつり、一騎も返らず候」「4月26日、屋形(芦名盛舜もりきよ)さま南の山へ御馬を出され候、5月上旬に御父いたて(伊達)よりして、御扱いにて御馬を入れられ候」とある。桧玉村は近世の福永村で、長沼勢の特攻隊のような一隊は大内から峠を越して桧玉村まで出て来て民家を焼き戦を挑んだ。芦名方の対応は早く、長沼勢一騎残らず討たれた。これが4月20日前後で、26日には盛舜は大内峠を越して南山へ侵入した。このしらせを聞いた伊達植宗(盛舜の妹を妻とする)は和睦を斡旋して芦名勢を返させた。(略)
 この戦闘が長沼氏が芦名氏に対する抵抗のはじまりで、この後たびたび小戦闘が行われる。大永四年(1524)には「旧事雑考」だけであるが「南山平らぐ」がある。

天正十七(1589)博士峠・喰丸峠 伊達政宗家臣大波玄蕃ら野尻入り。

1868慶応四年九月 尾州藩(尾張)九月十五日喰丸着、十四日から二十六日まで小中津川のべ1217人。尾州五味織江隊132名(藩士75、陣場方5,夫者52)。(明治2年6月奉納幟) 会津戊辰戦争野尻組 両原村守備
「公私摘要」9月8日10人ばかり布沢村より中向に。9日下中津川に来て野尻泊。10日小中津川村から案内2人出て、柳沢通りで琵琶首より小野川通り、喰丸より返り、下中津川泊。松本勢。
9月10日、官軍600人お繰り込み。
9月11日暮方、喰丸峠へ会津方参り、人数7,80人、小野川着。喰丸沢で戦争、官軍勢4,5人怪我人が出たそうである。
9月24日大芦合戦。

■老齢で、この8月末に大阪の子息宅に転居された佐倉在住の郷土史家馬場勇伍さんの労作『木地師の跡を尋ねて 山中の墓に手を合わせ乍ら』(2002年・昭和村教委発行。昭和村佐倉のからむし織りの里・博物館で販売)では、両原に文久二年(1862)火災があった、と記述されている。
 『昭和村の歴史』191ページ、両原の早乙女踊りは、古屋敷といわれるところに集落があり、ある年の小正月、サイノカミで飛び火し火災がおこり、両原集落全部が焼失した。その後、現在のところに集落が再建されてから、サイノカミをやめて、早乙女踊りを行うようになったという。正月十四日に行う、、、、大芦の西部にある南郷村鶇巣、只見町梁取の早乙女踊りから移入されているように思う、とある。

2010年8月28日土曜日

『会津学 第6号』初校届く


■2010年8月27日、奥会津書房より、『会津学 第6号』初校が届く。9月末の刊行予定。

2010年6月19日土曜日

6月26日、事例報告

「有機農業を基軸とした中山間地活性化-福島県会津地域の事例-」
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中山間地は農業者の高齢化、後継者不足、耕作放棄地増大など多くの課題を抱えています。
福島県会津地方において、有機農業を基軸として活性化を図っている事例から学ぶと共に、今後の方向性について検討します。

日時:2010年6月26日(土)13:00 ~ 27日(日)13:00
場所:福島県耶麻郡猪苗代町(研究会)、喜多方市(現地見学会)

【1日目、6/26 13時~20時】
場所 ヴィライナワシロ(福島県耶麻郡猪苗代町葉山7105、 電話 0242-62-4111)
研究会次第(13時~17時30分)
1.主催者あいさつ
2 基調講演1「農山村活性化のためにどのような視点が必要なのか」 守友裕一 氏(宇都宮大学)
3.基調講演2「中山間地域と有機農業」 高橋巌 氏 (日本大学)
4.実践報告1「都市と農村の交流による集落の活性化を目指して」 浅見彰宏 氏(喜多方市山都町)
5.実践報告2「学校給食における食農教育」 小林芳正 氏(喜多方市熱塩加納町)
6.実践報告3「会津学を通じた地域の再発見」 菅家博昭 氏(昭和村)
7.実践報告4「新規就農支援」 小川光(喜多方市山都町)
8.実践報告5「有機食材との出会いと料理法」 山際博美 氏(ヴィライナワシロ)
9.新規就農研修生等のリレートーク
10.総合討議-中山間地における地域活性化と有機農業-

有機食材を中心とした懇親会(18時~20時)

【2日目、6/27 8時発~13時解散】
現地見学会次第
7:00 朝食開始 
8:00 ヴィライナワシロ発
9:30-12:00 現地見学(喜多方市山都町の上堰 => チャルジョウ農場 => 熱塩加納小学校)
13:00 ヴィライナワシロまたは猪苗代駅で解散

【費用】
研究会(資料代) 1,000円、 懇親会 5,000円、 宿泊費 8,000円
現地見学会(バス代) 2,000円 

【JRでお越しの方へ】
 猪苗代駅に11:19、12:25にお越しの場合には、会場(ヴィライナワシロ)のマイクロバスがお迎えにあがります。
駅から会場まで10分です。これ以外の電車でお越しになる方は、
 0242-62-4111(ヴィライナワシロ)
へ直接連絡をお願いします。駅まで迎えに来てくれます。
【車でお越しの方へ】
磐越自動車道「猪苗代・磐梯高原インター」から10分です。

雑誌・会津学6号

■2010年6月18日(金)午後、宮下の奥会津書房で、会津学6号(今夏発刊)について遠藤編集長と打ち合わせた。「1990年刊の昭和村生活文化研究会(代表菅家博昭)の、からむしを通してみた人間との共生」の故五十嵐初喜さんのインタビュー(聞き書き)を再掲することとした。昨年(2009年4月末)に亡くなり、また1990年の報告書も忘却のなかにあるため、からむしの持つ意味を再度問うこととした。

■15時頃より降雨。奥会津書房のある杉林でアカショウビンが鳴き始めた。

2010年6月9日水曜日

6月10日午後3時、都下・お茶の水女子大

■6月10日(木)午後3~4時30分、「会津学・会津学研究会と暮らしの聞き書き」(菅家博昭)終了後受講者と懇談。東京都文京区大塚・お茶の水女子大・共通講義棟3号館・第一講義室(予定)


■縁あって、都下・お茶の水女子大学のグローバル文化学環・熊谷圭知先生の授業・地域開発論Ⅲのなかで5月20日の熊本県水俣市の地元学(じもとがく)の吉本哲朗さんに次いで、6月10日午後3時より会津学研究会の活動を中心に報告します。

 授業は6月3日に事前学習(課題文献報告と討論)が行われており(『会津学2号』菅家・記憶の森を歩く等)、終了後後日にグループ討論等がおこなわれる。





■インターローカルな関係性の構築、というテーマがあります。

 2008年11月2日、東京神田神保町の古本まつりで、オーガニックスーパー・マザーズ店頭で、花職人Aizuの湯田浩仁・手代木明美・山内庄一郎の3人と、昭和花き研究会の菅家博昭(私)は、それぞれに生産した花を店頭販売しました。→催事報告


 熊谷圭知先生はその日の午後に来場され、名刺交換をして短い時間懇談しました。2010年1月16日、17日に会津に来られ、いちばん雪が多い時期の昭和村を案内しました。


■かつて『大芦の民俗』をまとめた筑波大民俗学研究会、の当時学生のときにお会いした宮内貴久さん(民俗学・分化人類学)は、現在、お茶の水大・人間生活学科・生活文化学講座で教鞭をとられています。職人巻物研究で只見町等にも来られている。聴講されるという連絡がありました。

2010年5月24日月曜日

5月29日(土)午後、栃木県日光市

■このたび縁があり、2010年5月29日(土)13時30分~15時30分、栃木県日光市平ヶ崎160、日光市中央公民館(0288-22-6211)の日光学講座で、会津学研究会代表の菅家が講演することになりました。「地元・地域を知る大切さを学ぶ 会津学の事例から」

■6月3日(木)午前10時35分~12時25分、福島県金山町川口字蛇沢の県立川口高校「奥会津風土体感プログラム」で、「奥会津に生きる」と題して、お話します。2008年、09年に続き3回目。

■6月10日(木)午後3時~ 、東京都内 お茶の水女子大学 文教育学部 グローバル文化環 熊谷圭知先生の地域開発論Ⅲのなかで「会津・会津学と暮らしの聞き書き」と題して菅家が講演します。

■6月26日(土)午後、猪苗代町ヴィラ猪苗代にて、日本有機農業学会公開フォーラムが開催され報告します。 

「有機農業を基軸とした中山間地活性化—福島県会津地域の事例—」

【一日目、6/26 13時〜20時】
場所 ヴィライナワシロ(福島県猪苗代町)
1.主催者あいさつ

2 基調講演1「農山村活性化のためにどのような視点が必要なのか」
守友裕一 氏(宇都宮大学)

3.基調講演2「中山間地域と有機農業」
  高橋巌 氏 (日本大学)
 
4.実践報告1「都市と農村の交流による集落の活性化を目指して」
浅見彰宏 氏(喜多方市山都町)

5.実践報告2「学校給食における食農教育」
小林芳正 氏(喜多方市熱塩加納町)

6.実践報告3「会津学を通じた地域の再発見」
菅家博昭 氏(昭和村)

7.実践報告4「新規就農支援」
小川光(喜多方市山都町)

8.新規就農研修生等のリレートーク

9.有機食材との出会いと料理法
  山際博美 氏(ヴィライナワシロ)

10.総合討議—中山間地における地域活性化と有機農業—

2010年5月9日日曜日

5月11日(火曜)19時、竹富島報告会

■2010年5月11日(火曜日)19時より、福島県三島町宮下、宮下温泉ふるさと荘の右となりのいまここカフェ(ネット)で、竹富島報告会を開催いたします。参加下さい(無料)。
 主催は竹富島の蝶の道を守る会(代表菅家博昭)、後援が会津学研究会、奥会津書房、いまここネット。

 沖縄県八重山郡竹富島では長野県の星野リゾートによる東部地区大規模開発が計画されています。星野リゾートは会津地域のアルツ磐梯スキー場・ゴルフ場や裏磐梯猫魔スキー場・同ホテル等を、経営破綻(倒産)後に買収し経営している会社です。
 2007年8月に竹富島の東部原野・山林を6.7ヘクタール伐採・焼却(廃棄物処理法違反行為)、文化財遺構アジラ(石積み畑石垣)を破壊整地しています。その後、2008年夏に沖縄県知事宛開発許可申請を行い、県より開発予定地は希少生物3種が生息しているので調査をするように指示されています。しかし前年に開発予定地は破壊済みなので、「希少種は存在しない」と県宛て報告をして開発許認可を取得しています。
 地元竹富島の有志が竹富島憲章を生かす会(代表上間毅)を結成し、反対運動を展開しています。

 憲章を生かす会を東京で支える活動をしている同会賛助会員の上間氏によりこの問題について報告いただきます。また菅家は4月11日より13日まで竹富島現地調査をし、14日、21日に政府へ開発中止を申し入れています。その経過も説明します。

■竹富島を含む沖縄県の八重山群島と、列島本州の奥会津昭和村(かつては野尻郷・南山御蔵入領金山谷野尻組)は、古くよりカラムシ(苧麻)を栽培しそれを維持してきた地域として共通項があります。また会津の下郷町の大内宿と同じように竹富島は文化庁の重要伝統的建造物群保存地区として保護されています。地域の人々は、地域以外の人による地域開発を認めていません。それが「憲章」です。竹富島では、星野リゾートが地元観光会社を買収し星野名により開発申請行為が行われています。星野リゾートは2005年にアメリカ等のファンドであるゴールドマンサックスと協定を結び日本国内のリゾート地の買収・開発をしています。つまり資金はアメリカが出しており、日本の優秀な観光地が外資により買収されていることが行われています。

2010年2月11日木曜日

佐々木長生さん最終講義

■2010年3月で、定年退職される福島県立博物館の学芸員・佐々木長生さん。公開での講義があと3回聴講できます。佐々木さんには『会津農書』について年刊雑誌『会津学』(会津学研究会編・奥会津書房刊)に毎回寄稿いただきました。法政大出版会:ものと人間の文化史から会津農書について佐々木さん著述の書籍が刊行される予定です。

 → 福島県立博物館(会津若松市)

 福島県立博物館発行356号 佐々木長生さん長い間ご苦労様でした→ はくぶつかんニュース2月1日号

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 開催日は2月13日(土曜日)、3月4日(木曜日)、3月13日(土曜日)で入場無料、申込不要で聴講できます。時間は午後1時30分より。







 → 民俗講座(2月13日鈴木克彦さん、3月13日榎陽介さん)

 → 3月4日 木曜の広場(赤坂憲雄館長と対談)

 開催予告より→平成21年度の木曜の広場『会津農書の世界』も、3月で最終回になります。 これまで行ってきた講座を総括する形で、『会津農書』の内容と、そこにこめられてきた民俗を紹介します。
貞享元年(1684)に著述された『会津農書』当時の民俗と、現代まで継承されてきた民俗の比較照合をしながら、会津の民俗の特色を考えます。会津の地域性を例えるものに「会津の三泣き」があります。これは会津の外部の人が言った言葉とも言われています。
320年前の民俗と現代の会津の民俗「会津の三泣き」を一視点に、会津の地域性と民俗を考える場としたいと思います。


■民俗講座の2回の内容予告は、

 2月13日
 学芸員 佐々木長生と民俗を語る4 奥会津 山村の暮らしと民俗
 鈴木克彦さんと。

 佐々木長生といえば会津、会津と言えば佐々木長生と、佐々木さんと会津は切ってもきれないものです。だから他県の人たちは佐々木さんは会津生まれの会津育ちだと信じていたりします。その会津の暮らしを独特のフィールドワークで記録しているのが鈴木学芸員。その詳細な調査に佐々木学芸員も驚くことも。その二人が語り明かす会津、とくに奥会津の民俗。どんな話になるのか。きっと皆さんも初めて聞く話が‥。もちろん、会津に初めて来たころの思い出話しも楽しみです。

 3月13日
 芸員 佐々木長生と民俗を語る5 ふくしま火伏せ事情事始 榎陽介さんと。
 福島県の民俗地図に不思議なものの分布があります。それが中通北部ではオカマサマ、南会津では火伏せと呼ばれる、上棟式に棟木に結び付け作りもの。それに注目して論文に書いたのが佐々木学芸員。榎学芸員はそれに基づいて展覧会を開きました。ある意味で福島県を代表するとも言えるこの風変わりな民俗を手始めに、展開する佐々木ワールドを楽しんでいただければと。

2010年2月5日金曜日

2月22日、表彰式

■平成22年2月22日(月曜日)午前11時より、福島市大町7-11ホテル・サンルートプラザ福島2階芙蓉Ⅰにおいて、平成21年度 (財)福島県文化振興基金(理事長佐藤雄平福島県知事)の顕彰の表彰式が開催される。会津学研究会(代表・菅家博昭、事務局三島町宮下 奥会津書房)は生活文化部門で顕彰団体として表彰されることになりました。本件については福島県庁・文化スポーツ局文化振興課 024-521-7154)

 → 福島県文化振興基金

 当日は、会津学研究会より菅家博昭、菅敬浩で参加します。

2010年1月6日水曜日

1月7日(木)午後1時30分 福島県立博物館

■2010年1月7日(木曜の広場)、午後1時30分~3時、会津若松市内の福島県立博物館で、講座が開催されます。→ 第10回『会津農書』と村人 会津幕ノ内の村落風景
 
 学芸員の佐々木長生さん、赤坂憲雄館長。

2010年1月2日土曜日

2010年

■2回目となる子ども聞き書きの編集作業、コメントをつけることが年末から行われています。