2008年3月24日月曜日

福島県立博物館の公開講座

■2008年4月3日(木)13時30分から、福島県立博物館では木曜の広場は新講座として「会津学講座」となります。第1回は「会津農書」の民俗世界。赤坂憲雄館長、佐々木長生学芸員。

→→福島県博の催事
 会津農書』は貞享元年(1684)に佐瀬与次右衛門によって著述された農業技術書。与次右衛門の経験と旧慣習に基づく、中世から近世初期にかけての会津の民俗が記されています。

■5月8日 風土記・風俗帳の民俗世界
6月5日 会津の民俗芸能
7月3日 会津の山の神信仰
8月7日 磐梯山信仰
9月4日 職人巻物の民俗世界
10月2日 会津の焼畑と火耕
11月6日 森のめぐみと民俗
12月4日 雪と農業
2009年1月8日 会津の市と市神祭り
2月5日 馬をめぐる民俗
3月5日 民具が語る暮らし

暮らしを見つめる

■奥会津・間方(まがた)の人々に学ぶ

 二〇〇八年三月一七日(日)、一八日(月)、福島県会津地方にある三島町で会津学研究会による「春季講座」を開催し、参加された一五名の皆さんと、二日間、人の暮らしのあり方を時間をかけて学びました。

 三島町の間方(まがた)集落で生まれ暮らしている五名の皆さんからお話をうかがい、最終日に福島県立博物館の佐々木長生さんに『会津農書』『大谷組風俗帳』という近世の文献資料と現在の間方の生活を比較・連関して、まとめのお話をしていただきました。
 印象に残ったことをお伝えいたします。

 初日は、間方に生まれ、間方に嫁ぎ今も暮らしている三名の女性(昭和八年生、十年生、二十年生)から「ヒロロ細工」「雪納豆作り」「山の食べ物」について教えていただきました。

 二日目は、間方に生まれ暮らしている二名の男性(昭和●年生、二十八年生)から「集落にある神々」「狩猟(テッポウブチ)」「雨乞い」「魔の山(志津倉山)」について話をうかがいました。

 志津倉山の北麓にある源流の集落である間方集落では、南を向いて、つまり志津倉山(シンザクラやオーベエ)を向いて男は野良でも、山に入っても小便はしてはいけない、と教えられそれを守っている。最近まで「マノヤマ(魔の山)」と呼び、山頂から麓に降りる場所は数カ所しかないため、地元に住む人もたいへん気をつかって山に出入りしている。天狗様が棲んでいるともいう。そのため山に入ったらあまり大きな声を出さないようにしている。またマエツボ(前坪山)にはカシャ(化け)猫も棲み、それが土葬で埋めた死人を喰うので、間方の葬式は暗くなる夕方に行う。埋めた墓にも三本の木を曲げて六脚を土に刺し、弓にしてはねるようにしつらえる。昔は黒松を伐り芯木としてサイノカミも正月十五日にやったけれど、その黒松が無くなり、昔は杉の木も植えていなかったので、サイノカミで火事になったという理由にしてサイノカミは行わないようにし、雪で直径5m×高さ2mのドウを作り集落を上手と下手に分けて鳥追いとした。

 志津倉山で雨乞いをすると雷雲が出て雨になる。また美女峠伝説にちなむメサツ沢というのがある。

 山のモワダの木(しなのき)は六月中旬に伐り、皮を剥ぎ池などで二十日間ほど腐らせ、皮を剥ぎ、乾燥させ保存する。乾燥状態では弱いけれど、水に濡らすと強くなる。荷縄などを作った。葉の長いものと、丸い葉の二種類がある。

 ヤマブドウはこえた土、広葉樹の森でないと育たない。採取をただ続けていくと無くなるから栽培することも考える必要がある。皮は三重になっており、六月下旬から七月十日頃の山の栗の花が咲いたころに採取する。ナタ(鉈)やヨキ(斧)の刃を守るサヤにした。外皮は鬼皮といい、水に浸して形を作り、ソリ引きのときの肩荷縄にした。いまの手提げカゴひとつ作るに三本のヤマブドウが要る。

 マタタビは「ヤマを作る」ことをしておく。それは芽をふたつ残して剪定しておき、春から秋に伸びたツルを採取し、米などをとぐコメトギザルやヨツメザルを編む。

 ヒロロは多年草で、二種あり、ホンヒロロ(ミヤマカンスゲ)は、春から秋に伸びた葉を二百十日頃に引き抜き採取し、根を残す。ウバヒロロ(オクノカンスゲ)は、六月下旬に採取する。雨蓑(あまみの)や背負蓑(しょいみの)、山菜採りのスカリ(腰カゴ)にする。

 二日間、話者に参加者は、ヒロロを縄になう手繰りを教えていただき、稲ワラで納豆つとを作る作業をともに行いました。稲が入ってくる前の時代の縄はモワダという樹皮繊維であり、ヒロロという谷筋の沢沿いに自生する草の葉を利用していたことがわかりました。 また稲ワラを利用した納豆つとには二種類あり、簡単に作れるものは「モノグサ」といい、十二月の下旬に作るセツ納豆用のツトはきちんと編みこんで作るものでした。雪の中にクタダラ(稲ワラのくず、クタダ)をしいて納豆ツトをならべ雪を積みしっかり踏み込んで二日間ほどで納豆になった、という。

 イロリでゆでた大豆を納豆ツトに詰めるときに、一本の5cmほどの稲ワラ(茎)を結んだ「ヨメ」を豆の中に一個入れ、ワラを閉じ、周りを二人で結ぶ。「必ず二人でやるんだよ」と何度も語ったことがとても印象に残っています。正月用のセツ納豆は、家族、つまり母と娘、あるいは母と嫁、、、など家族に作法を伝える仕組みを持っているということが理解できました。縄をなう作業などは、少し教えてもらったら、あとは工夫しながら一人で行う、根気がいる仕事です。その一方で家の行事に関わる作業にはできるだけ人手をかけるように仕向けていることがよく考えられていました。

 私は、この志津倉山の反対側の南麓の昭和村大岐に住むのですが、この山から下りてくる雷雲は必ず雹害をもたらす、としてこの山塊の「ショウハチハヤシ」の空が黒くなったら気をつけろ、という伝承を抱えています。

 またサンボダケ(エゾハリタケ)は、ブナ、トチ、ミズメ(ミズネ)のほか、ハナの木、カエデにも出るが、8割はブナに出る、という。

 会津学研究会ではこの夏に発刊される『会津学四号』に、この春の学びのことも掲載する予定でいます。

(菅家博昭・会津学研究会代表)

 関連→→→会津学講座 

2008年3月17日月曜日

春季:会津学研究会講座(三島町間方の人々の暮らし方に学ぶ)








■2008年3月16日(日)午後3時から開催しました。17日(月)も継続します。
 
 →→→「記憶の森を歩く」に一部紹介

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福島県の三島町間方地域に暮らしている人々の文化。

■2008年3月16日(日)午後、会津学研究会で、間方(まがた)集落の3名の女性の方からお話をうかがいました。とてもすばらしい環境認識、自然認識、、、ヒロロの糸を調整する「こすりなわ」、、、、納豆つとに入れる「よめ」、、、とか、はじめて知ることがとても多くありました。

 ひととおり話をうかがってから、夕食をとりながらうかがった話も、とても良い話でした。「とうごんぼ」(葉)は味噌をくるんで油で揚げる、、、シソが出るまでの用法、、、大岐では焼きめしを包む葉として使っている「とうごんば」と同じだと思いました。

 サンボンダケは、トチ、ミズメ、ブナの3種にしか出ないそうです。

 2日目(3月17日)は男性二人から話をうかがいます。

 「間方は棲みいいどこで、いまんなってみっと、ほんとによかったなあって思う」

■→→→ 奥会津三島編組品振興協議会

2008年3月16日日曜日

2008年3月16日(日)~17日(月)福島県三島町で

■会津学研究会:春季講座のご案内


山に生きる 三島町間方集落に学ぶ

日  時:2008年3月16日(日)・17日(月)

場  所:福島県三島町 桐の里倶楽部(0241-52-2828)

受講費用:大人1000円(参加費は1日、両日参加共)

申込締切:3月14日(金)



第1日目 3月16日(日)13:30~17:00
13:20 集合   三島町交流センター山びこ前(駐車場あり)

13:30~14:30  全国工芸品/三島町工芸品展見学(体験は別途500円)
三島町交流センター山びこ/三島町生活工芸館


※以下から会場は宮下温泉のふるさと荘となりの
桐の里倶楽部です。

15:00~17:00  車座談義①
・山の恵みの手仕事 舟木トメ子さん
・山の恵みの食   間方地区の方々


18:00懇親会「桐の里倶楽部」(希望者にて会費3000円)

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第2日目  3月17日(月)9:00~11:45
9:15~10:15  対談 山を知ること
 菅家藤一氏/菅家博昭(会津学研究会代表)

10:30~11:15  車座談義②
・祈りと習い    二瓶一義氏

11:20~12:00  雨と水の民俗
 佐々木長生氏(福島県立博物館)

主 催:会津学研究会・共 催:奥会津書房