2016年12月23日金曜日

2017-01-07 昭和村公民館・昭和学講座「会津物語」終了

■2017年1月7日(土)午後2時より。福島県大沼郡昭和村下中津川 昭和村公民館2階研修室で、「昭和学講座」が開催され、菅家博昭が講話します。

 『会津物語』について、です。どなたでも参加できます。

 終了しました。


 
      昭和学講座 2017年1月7日(土)14時 昭和村公民館
「会津物語・昭和物語
~キツネ(狐)やテング(天狗)やホウインサマ(法印様)の話~ 」
                                                      昭和村大岐1723 菅家博昭
                                     
0.野尻中向 小林政一さんの「聞き書き」 
  発話(原本)そのものを記載して、すぐれている。

1.会津学研究会(2004年10月発足、2015年3月雑誌『会津学7号』、2015年8月『会津物語』(朝日新聞出版))
 『東北学』に代表される地域に学ぶ作業を提唱している赤坂憲雄さんが2003年4月に会津若松市の福島県立博物館長に着任されました。三島町の奥会津書房では、2004年4月に昭和村公民館で懇談会を開き、その後、地域の人々が20名集まり、同年10月に三島町ふるさと荘で会津学研究会は発足しました(当時は、10年間の活動を予定)。
  地域の人びとから聞き書きによる方法で教えていただいたことを語り手の許しを得て編集・出版しています。2005年8月に『会津学』創刊号を出版。以後、毎年8月に1冊ずつ6冊を刊行。第7号の編集は2011年3月11日の震災で中断。ようやく2015年3月15日に最終巻として第7号を発刊しました。
 聞き書きを方法として会津地方の人びとの暮らしや生き方を学んでいます。
2.後藤総一郎監修・遠野常民大学・編『注釈 遠野物語』(筑摩書房、1997年)

3.朝日新聞福島県版の木曜日「会津物語」の102回の連載
                      (2011-08-19から2014-7-4)
(1)赤坂憲雄さんの構想
 不思議なことを実際に体験した人から、話を集める。
 不思議な体験した人が語った話を直接聞いた人から話を集める。
(2)実名、生年を記載する
(3)2015年8月30日 『会津物語』の出版  朝日新聞出版 100話
(4)2015年9月27日 「発刊の会」(三島町名入山びこ 発話者14名)
(5)2016年4月10日 会津学研究会例会で発話者飯塚保氏に聞く会

4.聞き書き(ひろく聞く) → まとめる(編集) → 表現
(1)方言(土地の言葉・表現)を残す
(2)地名を残す
(3)社会背景を調べて残す
 

2016年11月26日土曜日

12/10(土)午後1時30分から 会津坂下塔寺ふくしま本の森にて 例会

■会津学研究会例会を開催します。11月16日~21日の台湾訪問、からむし(苧麻)と輪状式機織り機等について、菅家博昭が報告します。
 




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              会津学研究会 例会
        (2016-12-10土13:30 坂下 ふくしま本の森)

1.『奥会津の木地師』(民族文化映像研究所制作、1976年)、姫田忠義(1928 - 2013年)らが田島町(南会津町)針生で撮影。昭和村で『からむしと麻』(1988年)。

2.木地屋(木地挽(ひき))

3.『永源寺町史 通史編』(滋賀県東近江市、全1328頁。2006年) 第七節 蛭谷・君ヶ畑の木地師支配 生嶋輝美記述(583-658頁)。

『永源寺町史 木地師編 上巻・下巻』(2001年)
上「蛭谷氏子駈帳 全1142頁」。下「君ヶ畑氏子狩帳、その他文書・解説 全548頁」。

4.杉本壽『木地師支配制度の研究』(ミネルヴァ書房復刊2008年、1972年刊)959頁、18000円。

5.橋本鉄男『ろくろ』(ものと人間の文化史31 法政大学出版局1979年)1981年3月。 260頁、小椋姓は蛭谷で1740年(元文5)、君ヶ畑で1745年(延享2)。 263頁に映画「奥会津の木地師」。309頁に200枚も椀を挽くと轆轤を回転させる麻紐は切れるから、大量の麻糸が必要だった。

6.田畑久夫『木地屋集落 系譜と変遷』(古今書院、2002年)

7.金井晃『木地語り 会津田島のとびの足跡 企画展報告書』(福島県田島町教委、2001年)。金井氏は『只見町史 民俗編』などの木地集落も執筆。

金井晃「講演記録 会津の木地師文化 会津漆器を支えた人々」『歴史春秋 第84号』(会津史学会編、2016年11月刊)

8.馬場勇伍『木地師の跡を尋ねて』(昭和村教委、2002年)
 村内12カ所の木地集落の墓碑調査。

                                                            菅家博昭まとめ

2016年11月8日火曜日

加藤清之助 2016-11-8追記あり

■台北の南洋協会台湾支部から1922年(大正11年)に出版された『苧麻』を書いた加藤清之助のことを調べている。

■2016年5月18日 追記※
 
■ 繊維を採取する植物カラムシ。和的にはその繊維を青苧(あおそ)、あるいは青麻(あおそ)と表記することが近世までは多かった。近世の大沼郡野尻組(現在の昭和村)の書面をみると「からむし畑」「青苧」という表記が確認できる。しかし近代となり明治時代には中国本土、台湾、朝鮮半島からのからむし(ラミー)が輸入され、「苧麻(ちょま)」という表記がなされる。

 暖かい国の草であるカラムシは、中国大陸が現在も主産地で、その栽培品種数は1000を超えている。商品表示で麻と表記できるのは、このカラムシのみである。ほとんどが中国産。台湾もからむし生産地域で、第2次対戦前、日本政府の植民地下でも調査、利用がなされた。その中心となったのが南洋協会台湾支部である。

 戦前、野尻中向の人がラミー(海外種の苧麻)の根を昭和村に導入した経過がある。また明治期にロシアに渡りからむし栽培をして帰国した人も大芦の赤田墓地近くにラミー(海外種)を植えており、この品種は、現存している。
 カラムシ類は花粉による交雑が多く、こうした移入種による交雑も起こっている可能性があるが、特に明治期は積極的に海外種を政府農務機関が導入した経過がある。
 明治期に大芦村長を勤めた五十嵐伊之重も広く国内外のからむし品種に興味を持ち、大芦産のからむし根と交換をしていることが、静岡県側に残された記録から明らかになっている(福島住一)。

 日清戦争後、台湾統治をした日本政府は、特に苧麻の栽培・移入に力を入れている。



■ 私が、この最近の17年間、調査を続けている人物に加藤清之助がいる。大正年間に書籍を台湾で刊行しているが、肩書を含め人物像が不明であった。当時の大芦(現在の大沼郡昭和村)のカラムシ栽培についても言及している。

 からむし(青苧)の研究者で、著作『苧麻』は大正11年に南洋協会台湾支部から出版しており名著であり、古書として購入し所有もしているが、その調査をはじめてからも、なかなか人物像がつかめない。

 この春、鹿児島生まれの田代安定の関連資料が台湾の大学で公開されていることをしり、同時代人の加藤清之助との書簡等があるかどうか、興味を持って公開されているデジタルデータを閲覧していた。→台湾大学田代安定文庫


 また加藤清之助の著作の2冊の巻頭言で謝辞を述べている人名についても、調査をしている。そうしたなかで、5月になり、いくつかの糸口が見えてきた。

 ひとつは『台湾農会報』の1942年(昭和17年)と翌年の雑誌に連載をしていること。そしてその雑誌の巻末には「執筆者紹介」が掲載されていることを発見した。現物は国立国会図書館蔵のため、閲覧する必要性があった。

 月刊誌『フローリスト』『地上』等に連載記事を持っている千葉県在住の松山誠さんが国会図書館へよく行っており、花の市場や花の装飾に関する歴史、雑誌の調査をなさっていたことを思い出し、松山さんに『台湾農会報』の調査協力をお願いしていた。
 昨日(2016年6月17日、午後4時13分、その松山誠さんから電子メールが届いた。次いで6時17分にも調査したことについて情報があった。

■ 『台湾農会報』の昭和17年7月号(4巻7号)の「芭蕉科植物の繊維に就いて(上)」の加藤清之助は、「大日本製糖 北港製糖所」という肩書きであった。

 また18年5月号(5巻5号)では、「大日本製糖 苗栗製糖所長」が加藤清之助その人であった。

  著者の情報として、当時の勤務先がわかれば、あとはなんとかなります。


■ 未明より調べてみると、同姓同名の人が同時代に数名いるので、注意が必要であるが、

 加藤清之助は、昭和9年に南大東島の製糖会社の農務係長として「加藤さんは神様」と言われていた、ということが出典(原典)を確認していないが、

 駒澤大学の『駒澤社会学研究』1988年3月の、長谷部八朗「離島村落の変貌過程とその課題   沖縄・南大東島の場合」の182ページにある。




 

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■ 2016年11月6日、8日、追記
 
台湾在住の馬さんの調査・教示により、詳しい情報がわかってきています。 

なお、『苧麻』を執筆した加藤清之助についても調査いただいて、本籍地が山形県であることがはじめて明らかになりました。台湾史研究所の台湾総督府農業試験所職員録で、
 大正7年(1918)、8年は農事試験場種芸部の技師
 大正9年(1920)は農事試験場嘉義支場の技師。
 昭和19年(1944)は新竹州 州會議員。






  

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 加藤清之助著『苧麻』(大正11年12月刊、定価2円送料共、台湾総督府 南洋協会) 
   


   
   




   

  『苧麻』例言で謝意を述べている2名について
  職員録ウェブで写真閲覧してみると(ウェブ検索では東郷實はヒットしない)。
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  東郷實、田中秀雄は、台湾の台湾総督府、農事試験場の職員。
  東郷實は鹿児島県出身の農事試験場技師を経て、台湾総督府の調査課長(大正11年)。後に政治家。東郷実。
  田中秀雄(※1)は同僚で、熊本出身。農事試験場技手。種芸部。
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 加藤清之助は台湾の農事試験場に勤務し、『苧麻』の著作を書き上げたことを想像できる。職員録でウェブ検索では大正7年から9年までの職員(技手)であり、山形県が本籍地であることがわかった。ただウェブ検索ではヒットしない例(東郷實)もあることから、ウェブの職員録の写真閲覧を行い、精査する必要がある。
 台湾から、製糖会社に勤務し、昭和9年には沖縄県南大東島、そして台湾に戻り、大日本製糖の工場勤務、苗栗工場長を経て、この工場がある新竹州の州會議員(昭和19年)、、、というところまでわかった。
 『苧麻』を読み返してみると、台湾との日本内地の比較事例は「山形県」が多く、山形県生まれで、ある程度、そこでの苧麻との関連があったことが推察される。米沢苧(そ)、最上苧の青苧(からむし)産地を持つ山形県。会津はその南隣りの産地である。
 近世は青苧(あおそ、からむし)と表記することが多いが、明治期は中国大陸からの輸入が増え、中国の読みの「苧麻(ちょま)」という表現が出現していく。
 苧麻の本場の中国大陸を知る植物学者・農学者は、日本国内、特に南西諸島(沖縄等)や台湾統治後は台湾へも「苧麻」作付け・産業化を田代安定などが推進している。
 戦前、日本産からむし(苧麻)品種は、宮崎県の農業試験場に集められ試験研究が進められた。


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 田中秀雄,熊本県人。1890 年1 月2 日出生,1908 年3 月熊本縣立球磨農業學校卒業,. 1908 年10 月私立肥料分析技術員養成所結業,1911 年 4 月 6 日臨時台灣糖務局附屬糖業試驗場雇,10 月 16 日殖產局附屬糖業試驗場雇,1912 年 9 月 24 日依願免職,1913 年 11 月 4 日台北廳農會水返脚支會技手,1916 年 1 月 10 日台北廳水返脚支廳雇,5 月 18 日台北廳士林支廳雇,1917 年 4 月 10 日台北廳庶務課雇,12 月 8 日台北廳庶務課技手,1918 年 9 月 13 日農事試驗場種藝部技手,1921 年 10 月 5 日殖產局農務課技手,1924 年 12 月 25 日殖產局特產課技手,1933 年 9 月 28 日依願免職,1933 年 10 月 3 日殖產局囑託,負責擴大青果銷路相關事務。參閱〈田中秀雄囑託﹑手當﹑勤務〉,《臺灣總督府公文類纂》第 10239 冊第 6 號,昭和八年,永久進退。(莊惠惇、許進發「日本殖民政府技術官僚認知的咖啡及其世界市場」25ページ pdf)


2016年10月22日土曜日

次回例会は2016年12月10日の予定です

■次回の会津学研究会の例会は2016年12月10日(土)13:30-、会津坂下町塔寺の ふくしま本の森での開催予定です。

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■8月に発刊となった野本寛一先生の著作『季節の民俗誌』。10月16日の福島民報「話者の伝承 誠実に記録』(菅家博昭)

  下の写真はクリックすると拡大します。


2016年6月15日水曜日

6/26ほんの森例会

■ 6月26日(日)午後1時30分~ほんの森にて(会津学研究会例会)
「中世の塔寺とその周辺~若手研究者・遠藤ゆり子著作を読む」

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今年の1月に吉川弘文館から『東北の中世史4伊達氏と戦国争乱』が刊行されました。

編者は遠藤ゆり子さんで、1970年、山形市生まれで、父は会津出身。立教大終了後、弘前学院大の講師を経て、現在、淑徳大学准教授。
本書より編者執筆の「戦国の町村」(『東北の中世史4』242-255P)を読みます。

また、この3月に出版された遠藤ゆり子さんの単著『戦国時代の南奥羽社会』から「戦国大名蘆名氏の成立と山野境目相論」の一部も読みます。

いずれも、中世の塔寺地区や、八幡宮長帳裏書資料に基づかれ論考が行われています。


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4月、5月と『会津物語』の背景を深めましたが、これについても参会者との懇談をいたします。
※資料準備の関係から、事前に奥会津書房の遠藤由美子さんまで申し込んで下さい。


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※ 当日は古川利意先生(91歳)も参加されました。(6/26追記)。




菅家、古川先生(右)
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7月17日(日)13:30~
 シンポジウム「高寺の謎にせまる」(本の森館長企画の講座)
 講 師:古川利意先生
 参加費:500円

 → 会津坂下町塔寺 ふくしま本の森FB



2016年4月28日木曜日

5/29(日)午後、例会、ほんの森 会津坂下。6/26(日)も予定。

4月10日の会津坂下塔寺の本の森での第1回公開講座(会津学研究会・例会)。

それを受けて、10日にうかがった話の意味を検討、解説、議論します。4月21日に話者宅をはじめて訪問し、不明な部分をさらにうかがいました。

★ 5月29日(日)午後1時30分より


 6月26日(日)午後1時30分より


 その後は、農繁期(かすみ草生産)となるため、菅家博昭が担当する会は、秋からの予定です。

  → ふくしま 本の森 サイト
 

  → ふくしま 本の森プロジェクト FB

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  4月10日の様子(写真)

 



2016年4月4日月曜日

2016年4月10日午後1時30分、会津坂下町塔寺 本の森にて 例会開催

■2016年4月10日(日)13:30より会津学研究会例会「聞き書きの技法(1)」

場所:ふくしま本の森〈会津坂下町旧八幡幼稚園 立木観音そば)
『会津物語』(会津学研究会編、赤坂憲雄監修、朝日新聞出版、2015年)の語り手のお一人、飯塚保氏に、話の周辺を詳しくお聞きします。
聞き手 会津学研究会 菅家博昭(昭和村)

資料代 500円 (本の森の会場使用料に充てます) 
是非ご参加ください。