2013年6月23日日曜日

会津物語解説

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  喰丸集落から喰丸峠を越え、博士峠でヒロロ(ミヤマカンスゲ)を採取し、蓑に編み、それを舟鼻峠を越えて田島(南会津町)に売りに行ったという話。広く歩いていることがよくわかった実話。掲載日5月10日(金)喰丸→ 第66話 ヒロロで蓑作りPDF
 喰丸集落から佐倉を経て小中津川で博打をしている。その博打宿では料理が出される、という情景が明らかになっている。掲載日6月7日(金)喰丸→ 第68話 なんだか体が重いPDF
 下中津川から鳥居峠を経て南会津郡に抜ける街道は、冬は難路であった。婚姻の交流圏であったことがわかり、人々は峠を行き来している。吹雪の日、どのように峠道を歩いたのか?そして世代を越えて感謝するという事実が明らかになった。掲載日6月14日(金)下中津川→ 第69話 橋場の稲荷様PDF
  吹雪の道を歩く、このことに村人はどのように対応したのか?川が道となった事例。そして村人が夜に水力利用の精米小屋バッタリを村の水路に配置している風景、その生活のなりわいのなかで川のなかから夜に声を聴くことにつながっている実話。この話は峠を越えた両原では異なる話が加わり語られる(『昭和村の歴史2 昭和村のあゆみ』213ページ、2011年)昭和村小野川字大岐集落の事例 掲載日2012年11月16日(金)大岐→ 第51話 四日礼の帰り道
 かつて草肥農業が村を支え人々の暮らしの基本にあった。その馬を飼養するための草は毎朝、刈った。集落の周囲を囲む草地、あるいは里山としての薪炭林。そこに出入りするなかで野生動物との交渉がある。山仕事で怪我をした時の作法、まじないごとなどがよく伝えられている。大芦を支えた繊維植物カラムシ(苧麻・青苧)の品種・系統はどのように維持されたのか?それも明らかになったので地域を紹介する冒頭に配した。掲載日6月21日(金)大芦→ 第70話 我が家の言い伝えPDF
 麻手製の衣類である「ユッコギ」。喰丸から大芦に遊びに行き、酔って帰る。小矢ノ原の物語。掲載日4月12日(金)喰丸→第64話 小屋の原のキツネPDF
 山中に墓碑のみが残る木地屋集落跡。なぜ人々は山中で暮らし、そして山を出たのか?それが明かになる。掲載日3月15日(金)両原→ 第62話 米を喰うヘビPDF
  愛宕様。赤倉木地集落跡。人々が不在となった神仏の行方について。掲載日1月11日(金)両原→ 第55話 ふたつの愛宕様PDF
 朝日新聞福島県版より。菅家博昭採話・構成分