2009年11月30日月曜日

会津学の雑誌の記録

■ → 納豆文化

■ → 楽山舎通信

■ → 遊山窯

■ → 2005年12月9日、読売新聞夕刊

11月29日、山都町で読者会





■■2009年11月29日(日曜日)午後2~4時まで、喜多方市山都町一の木の黒森山荘にて開催されました。有機農業で自立を目指す人たちが20名と、たいへん多く参加されました(1歳から70歳?)。相互に意見交換ができてたいへん学ぶことが多くありました。今後ともよろしくお願いいたします。



 → たくみの就農生活

 → ひぐらし農園 
 → チャルジョウ農場
 → 飯豊の空の下から 食工房

 → 大ファーマー物語

 → CHAブログ(メリーランド)山都町
 → いまここネット
■私の方で今回準備した資料は、現在は喜多方市に所属するが、福島県耶麻郡の『山都町史 第2巻』(1991年)の238ページから248ページまでの資料。いまから135年前の明治7年(1874年)の物産取調書で、現在の山都町の中反村(なかそりむら)のものである(宮城五右衛門家文書)。これは明治8年に各村戸長から若松県令に提出されたものの控えである。

 200年前に、会津藩が編纂した地書の『新編会津風土記』(1809年)の中反村を見ると21軒ある。ほぼこの家数で明治期から現在まで存続している。

 米穀類では、米、大麦、小麦、大豆、小豆、アワ、トウモロコシ、ソバで、それぞれに上中下、あるいは上下の品質に分け、数量(石高)と通貨価値(円銭)で明記している。

 その粉類、醸造物、野菜類、山菜類、種子・果物、薬種、禽獣、虫魚、きのこ類、飲料食物類(豆腐は千個、蕎麦切りは244貫目)、葉タバコ、糸や布、ムシロなど、稲ワラを利用した縄類、肥料飼料(草類、乾草は1290束、生草は10400束)、ワラ細工類、マキやシバ類・木炭などの燃料(マキ、スミ、シバ、葉シバ、根松)、ヨシやカヤ草類(カヤは280束、アサガラ102束、ワラ11720束、ホウキグサ、ムギカラ、ソバガラ、ダイズガラ)

 多様な作物や山の草を採取して暮らしを立てていることが具体的な数値で示しているところに特徴がある。約20軒でこの数量・通貨価値を割れば平均的一戸の内容が明確になる資料である。

 『山都町史』は3巻あり、それぞれ800ページほどある。今回1週間で2400ページを読み直し、この資料が今回の読者会(学習会)にいちばん適しているだろうとおもって採用した。この記録はほぼ昭和30年代までは継続しているだろう事跡だからである。

■その後、参加者との懇談がすすむなかで地元地域の具体例が出て来て中味が濃い物となっていった。

 私は、いま聞き書きを行っている「人々の草利用」のなかで馬を飼うための浅草刈り、乾燥植物飼料としてのイナワラ、イナワラの民具利用等について考えていることを語った。馬の飼料とするために、水田の畦草を刈る、原野の草を刈るという草の生長を見ながら草を毎日刈る仕事(朝草刈り)の立場から、定量化していくと地域の植物草や地勢学的な利用と人間の行動領域の広がりと縮小が見えてくる。そうすると土手が多くある水田、例えば棚田などは土手草刈り場と水田を共判させたとても合理的な農地であることが見えてくる。土手の多さが豊かさにつながる。

 また収量が少ないとされる稲(イネ)の栽培は、収穫されるお米(コメ)だけの価値ではなく、イナワラ(稲藁)の植物的価値を合わせて考えてみることが必要で、収穫したイナワラはすべて乾燥して家屋内の天井裏に「大切に収納」していることからとても大切な素材であったことがわかる。

 暮らしの周囲の自然(森)から採取してきた植物を乾燥させて生活に必要な道具を製作していた。たとえばヒロロ(ミヤマカンスゲやオクノカンスゲ)で、ミノを編む、カゴを編む、、、、そうした野の植物利用が、イネの導入によりイナワラに置き換わっていったなかで、置き換えられなかったものが野の植物を利用し続ける形になっている。特に雪国ではイナワラは叩き方次第で空気を繊維内に内包させることができ最適な断熱素材、いまでいえばユニクロのヒートテックのような機能性を持たせることができる万能素材であった。

 稲(イネ)を栽培していない地域、たとえば南会津の檜枝岐村などの事例を見ても、秋にイナワラを下流域の舘岩村から購入して、それを冬用の民具に加工して使っていた。

 地の野菜の種子の保存についても参加者から保全策をとの強い意見があった。

 また相川地域の薬種の製造・行商についても話をしました。

 地域で、人々の暮らしの積み重ね(習慣)を風景のなかに見つけていくための観察・体験・聞くことで、それが深まっていき、地域理解が進む。風景のなかにかならず人々の歴史がある。

■会津若松市の出版社である歴史春秋社版だと山都町に該当する木曽組は、『新編会津風土記』第3巻に掲載されている。

 

2009年11月26日木曜日

11月29日(日)午後2時~ 黒森山荘

■雑誌『会津学』読者会を喜多方市山都町一の木の黒森山荘で開催いたします。どなたでも参加できます。地元で主催してくださるのは、有機農業をいとなむ浅見さんです。→→ ひぐらし通信

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ひぐらし通信より転載します。

会津学読者会in山都町を企画しました。

時の流れの中で、人々の暮らしは変化していきます。特にここ数十年はそのスピードが上がり、地域ごとの特性や多様性が失われつつあります。自分の住む地域についてどんな暮らしがあったのか、その日常に興味を持ち記録していくことは、ひとくくりにされがちな「地方」を再発見することになるのではないでしょうか。

そんなことを実践し、本にされている雑誌『会津学』の奥会津書房編集長・遠藤由美子氏と会津学研究会代表・菅家博昭氏に遠路はるばる山都までご足労頂き、お話を伺います。ぜひ多くの方の参加をお待ちしております。

日時:11月29日(日)14時より2時間程度
場所:山都町・黒森山荘(山都町一の木地区)
参加費用:資料のコピー代として若干頂く予定です。

資料等の準備のため、参加をご希望される方はhigurasifarm@(迷惑メール防止のため全角となっています。半角に置き換えてください)mail.goo.ne.jpまでご一報ください。

2009年10月29日木曜日

発見人間力、で奥会津書房が紹介されます。

■2009年10月29日

 夏に取材された内容が10月31日より各地のテレビで放映されます。福島県内は福島テレビ11月2日の午前10時25分~55分 →→→ 発見人間力 テレビ朝日系(福島テレビ)

■放映を見て → 11月23日

■全国各局放映日(未来への伝言、奥会津聞き書きで見つけた宝物・奥会津書房遠藤由美子編集長)

北海道放送:2009/11/15(日)06:00~06:30
青森放送:2009/11/2(月)10:25~10:55
IBC岩手放送:2009/11/1(日)05:45~06:15
秋田放送:2009/11/4(水)10:25~10:55
山形放送:2009/11/6(金)10:55~11:25
東北放送:2009/11/1(日)06:15~06:45

福島テレビ:2009/11/2(月)10:25~10:55

新潟放送:2009/10/31(土)06:00~06:30
北日本放送:2009/11/4(水)10:55~11:25
北陸放送:2009/11/17(火)10:20~10:50
福井放送:2009/11/6(金)10:50~11:20
信越放送:2009/11/2(月)10:50~11:20
山梨放送:2009/11/2(月)09:55~10:25
テレビ朝日:2009/11/14(土)06:00~06:30
静岡放送:2009/11/8(日)5:45~6:15
メ~テレ:2009/11/15(日)06:00~06:30
朝日放送:2009/11/15(日)06:00~06:30
日本海テレビジョン:2009/11/7(土)5:58~6:28
山陰放送:2009/11/3(火)10:00~10:30
中国放送:2009/11/8(日)05:45~06:15
山口放送:2009/11/6(金)10:00~10:30
西日本放送:2009/11/8(日)06:00~06:30
四国放送:2009/11/4(水)10:55~11:25
南海放送:2009/11/8(日)06:00~06:30
高知放送:2009/11/2(月)10:00~10:30
RKB毎日放送:2009/11/15(日)06:15~06:45
長崎放送:2009/10/31(土)07:00~07:30
大分放送:2009/11/8(日)06:15~06:45
熊本放送:2009/11/11(水)10:50~11:20
宮崎放送:2009/11/2(月)10:50~11:20
南日本放送:2009/11/3(火)15:00~15:30
沖縄テレビ放送:2009/11/4(水)15:29~15:59
琉球放送:2009/11/5(木)10:50~11:20

2009年10月22日木曜日

8月下旬の会津学5号発刊から、、、、



■会津学研究会(事務局・三島町宮下・奥会津書房)では第5号発刊を機に、読者会、あるいは交流会を進めることとしています。数名でも参りますのでよろしくお願いいたします。

 いくつかの地域で動きがあり、たいへんありがたいことです。

 二本松市の楽山舎通信では毎号、発刊される雑誌『会津学』を取り上げて下さっており感謝します。

 →→→ 10月10日 922号 楽山舎通信(会津学5号①)
 →→→ 10月13日 924号 会津学5号② 
■3回連続講座に参加された山都町早稲谷の浅見さんらが、山都町で集まりを開いてくれるようになりそうです。→→→ひぐらし農園の、その日暮らし通信

2009年10月21日水曜日

喜多方市山都町早稲谷のうわぜき 上堰http://www.youtube.com/watch?v=-ZTJtoJjDWw&feature=player_profilepage



10月22日(木)白河市

■2009年10月22日(木曜)19時より20時30分、福島県白河市本町2 マイタウン白河にて、白河学研究会に参加します。菅家博昭1名。

 →→→白河学研究会
 →→→ 10月22日の白河学研修会





■2009年8月開館した、奥会津博物館・舘岩館(舘岩松戸原)所蔵の1835年製作の、とうみ。脱穀した「こつぶ」を風撰する。こつぶとは、アワ、ヒエ、キビ、小豆など。旧・舘岩村川衣(かわぎぬ)の橘正則さん宅にあったもの。

連続講座、終了しました



■2009年10月19日で3回の連続講座は終了しました。

  →→→ いまここネット  →→→ ひぐらし通信  →→→ 菅家ブログ


■10月13日

 →10月15日

 →10月19日
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■いまここネット(川合さん報告)から13日、15日の様子の再録引用を掲載します。


■2009年10月13日、午後7時から菅家博昭氏の「地域の調べ方」講座の1日目が予定通り開催されました。

参加者は8人、地元の人がほとんどでしたが、山都町(現喜多方市)から来られた方や、岐阜県から奥会津に研修に来られた学生さんもいらっしゃいました。

内容も盛りだくさんで、講演後の雑談も含めると、終わったのはなんと1時間延長の午後10時!参加者の皆さんは関心もさまざまなようでしたが、熱心に菅家氏のお話に耳を傾けていました。

菅家氏がお話された内容を簡単に挙げていくと、近世の『新編会津風土記』からはじまり、イヌワシの調査方法、入会地(共有地)の問題、カヤの採集場所や種類・使用方法、遊び仕事、三島町の荒屋敷遺跡などさまざま!ひとつひとつが専門的にもなりえますが、丁寧に説明されていましたのでわかりやすかったです。スタッフである私としてはどれもこれも刺激的で、発見もあり、すごく勉強になりました。

特にイヌワシに関しては菅家氏と仲間たちが数年かけて調査したものをみせていただいたのですが、その成果はまさに歩き、見て、聞いたものの集大成でした。数年でまったくの素人がプロ化していったという言葉には勇気づけられるものがありました。

さて、上記に挙げた内容だけをみると一見バラバラに思えますが、通底するのは物事をみる時、地域を調べる時に、「多様な視点」を持ち、「自分の専門だけにとらわれず」、「全体をみる」ということでしょうか。

このような方法、思考に私個人としては、ものすごく共感を覚え、納得もするのですが、ではやってみようと簡単には言えません(いや、言うだけならできますが)。「口でいうだけなら易し、いざ実践ともなると難し」といったところでしょうか。

ただ、常にそういったことを意識しつつ地域を調べるということからなら、始められるかもしれません。まず最初の一歩として、そこから踏み出そうと思いました。


明日15日も午後7時から2回目の講座があります。2回目からの参加も可能ですので、ちょっと聞いてみたいなと思われましたら、奥会津書房までご連絡をお願いいたします。


■10月15日(木)19:00より、「地域の調べ方」講座の2日目が開催されました。今回の参加者は地元三島の方よりも、山形市や会津若松、山都町など町外から来られた方が多かったです。

菅家氏がお話されたのは、カヤ(場)に関しての聞き書きの報告と、会津を中心とした考古分野の現状。カヤ(場)での聞き書きはかゆいところに手が届くといいましょうか、大変に詳細なものです。関連して、参加者である山都町からいらっしゃったAさんの堰守のお話も興味深く聞かせていただきました。

民俗学はじめ学問というものはさまざまなテーマに沿って研究を進めていきます。今回はそれがカヤ(場)であったのですが、菅家氏のお話はそれだけにおさまらないんですね。カラムシや麻、水田、常畑、カノ(焼畑)、家の構造、入会の問題などなど・・・・・・たった一つのカヤ(場)というテーマから当時の生活が次々と明らかになっていく、私はこういうところにすごく感動しちゃいます。

ある一つのテーマを与えられた時、それだけで完結させちゃうのではなく、それを手がかりにどんどんと世界を広げていく。やるとなったら難しいし、いざまとめるとなったら散漫になっちゃうかもしれませんが、閉じず、開かれていること、次につながることって大事ではないでしょうか。前回の更新でも書いた「多様な視点」、「全体をみる」ということの実践、そのひとつの形なのだろうと思います。


もう一つ、今回新たに出た視点は「見直し」でしょうか。考古学の現状を事例に菅家氏は説明されていたのですが、例えば権威ある先生方が言ったこと、辞(事)典に書いてあること、すぐに信じちゃいそうですが、「本当にそう?」と思うことって大切だというお話だと感じました。

もう一度自分の眼でみて、話を聞いて、色々な本を読んで考えてみること。「もう答えは出ているから調べなくていい」、「答えに合わないからこれは例外だ」とか、そういう風に考えちゃうのって危険ではないでしょうか。先人たちが言ったこと、書かれたことに敬意を払いつつ、少し留保する。そういう姿勢で物事をみる。実際にそういう風に調べたりすると、時間はかかりますし、やっぱり言ってたこと(書いてたこと)は正しかったってオチがつくかもしれませんが、それでも「見直し」てみると新たな発見があるかと思います。

さて、明日19日(月)19:00より、菅家氏による3回目の講演があります。明日だけの参加も、もちろん可能ですので、興味のある方はぜひ「いまここカフェ」にお立ち寄りくださいね。

2009年9月29日火曜日

10月13日、15日、19日 地域の新しい調べ方

会津学研究会のみなさまへ

このたび、当研究会代表の菅家博昭氏を講師に、
以下の内容で計3回の講座を開きます。
定例研究会でなかなかお集まりいただくのが困難な状況ですので、
降雪前に何がしかの勉強会をしたいと設定いたしました。
多忙な菅家氏の日程に合わせての開催ですので、皆様も調整が難しいかもしれませんが、
ぜひご参加くださいますようお待ちしています。

「地域の調べ方講座」

10月13日(火)、15日(木)、19日(月)
時 間:19時より21時
参加費:無料
場 所:福島県三島町宮下「いまここカフェ」(宮下温泉ふるさと荘隣の旧物産館)
主催:会津学研究会 共催:奥会津書房・いまここカフェ
申込/問合せ:0241-52-3580(奥会津書房)

<地域の調べ方の新しい技法の開発>

■自然環境調査、特にワシタカ類の行動圏調査・土地利用調査がしめすもの

■火山噴火→噴出物の分析
 砂子原カルデラ、沼沢火山

■地震 → 古文書の調査、活断層の土層調査
 会津盆地西縁断層帯、1611年の会津地震・城天主崩壊

■年代見直し。伝播論の見直し → AMS調査、C14の補正、年輪年代法
 弥生時代開始の見直し、縄文時代の見直し。
 土器付着炭化物の分析化学 →雑穀類の調査

■踏査 → 旧石器時代の原石山地の調査
 栃木県高原山の黒曜石
 会津西部

■調査項目以外の調査 → 水田漁労の調査・着想・展開
 遊び仕事(田でさなかを採った楽しみ)を聞いていく。

■調査以外の主体化
 
■植物学の進歩 → 土壌微生物の役割、森林の役割の変化

■実より幹(茎) → 米よりも、稲ワラ(藁)。森野からの植物採集(素材加工)と、圃場からの植物幹採集の意味合い。野の草カヤ(茅・すすき)と、藁、アサガラなどの違い。

等など、多面的な分野からの手法を学びます。

2009年9月26日土曜日

地域の新しい調べ方を考える

■10月13日(火)、15日(木)、19日(月)19~21時、三島町宮下のいまここカフェ(交渉中・予定)にて、会津学研究会の菅家による講話「地域の調べ方講座」開催予定。入場無料。照会は奥会津書房まで。参加者5名程度で開催。これまでの地域の調べ方を超える調べ方を考える。

2009年8月28日金曜日

第5号 聞き書きの現場から『会津学』発刊




■2009年8月22日(土曜日)
 雑誌『会津学』5号(会津学研究会編集、奥会津書房発行、1500円)が、発刊されました。毎年8月に発刊して5年目となりました。

 22日には、福島県三島町宮下のふるさと荘脇の「いまここカフェ」で発刊の集会が開催されました。

 なお、『会津学』1~5号は会津地方の書店店頭でお求めいただけます。また版元の奥会津書房からも郵送していますので問い合わせて下さい。

■8月22日の催事の様子は次のサイトに掲載されています。参考までに「いまここネット」の記事を転載いたします。

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いまここネットより転載(8月24日)

2日前におこなわれた会津学ゼミナールのレポートです。

まだ少し準備が残っている午後2時頃から、続々と参加される方が集まってきます。初参加の方、いつも参加されている方、若い方から、年輩の方まで、年齢や性別もさまざま。談笑される方、当日発売となった『会津学』5号を購入し目を通す方など、開会まで思い思いに過ごされていました。

発表者の菅敬浩さんには、なんと駐車場の雑草を草刈り機で刈っていただきました!前から気になっていたので、手でチマチマと草むしりはしていたんですが、本格的にはやっていなかったんですね。情けないお話ですが、今回はご好意に甘えさせていただきました。菅さん、ありがとうございます!

さて、午後3時となり、ついに開会!参加者20人ほどでしょうか。旧物産館を借り「いまここカフェ」を開いてから約2ヶ月、こんなに賑やかなのは久しぶりです!「ああ、いいなぁ・・・・・・」なんて、はじまってもいないのに嬉しくなる自分がいました。

さて、まずはいまここネットメンバーの川合正裕が報告をおこないます。
報告内容は「福一満虚空蔵尊の大わらじ奉納」。
会津の人が虚空蔵様と聞くと、まずはじめに頭に浮かぶのが柳津町の福満虚空蔵尊じゃないでしょうか。けれども、今回紹介したのは三島町大石田地区の福一満虚空蔵尊への大わらじ奉納です。名前が似てるだけでなく、柳津の虚空蔵様の姉様だという伝承もあるそうです。
この虚空蔵尊への大わらじ奉納は毎年おこなわれているわけではありません、今年はなんと20年ぶり!大わらじを作り、奉納するまでを画像で紹介したあと、なぜ今年奉納することになったのか、聞き書きで知ることができた人々の「想い」を自分の感想をまじえて語っていました。

次に菅敬浩さんの発表。
「一枚の写真物語」と題して、仏像の横姿を背景に撮った古い記念写真を手がかりに聞き書きをおこなった成果の報告です。スクリーンに映像をうつしてのとっても臨場感あふれるもの。どんどんと解き明かされる、写真の謎。背景の仏像は柳津の虚空蔵尊にあったそうですが、戦時中に供出したとのことでした。仏像は「出征したんだ」という言葉がすごく心に残りました。一枚の記念写真といえど、そこには歴史や物語がある、そのことを痛切に感じさせる発表でした。

3つ目の発表は渡辺紀子さんでした。
内容は沖永良部島でおこなわれた合同研究会の報告です。「沖永良部って・・・」と思われる方もいらっしゃると思いますが、そうです、鹿児島県の沖永良部島です!
会津学研究会と鹿児島民俗学会、そしてえらぶ郷土研究会は福島県立博物館で昨年おこなわれた特別展が縁となり、交流がはじまったそうで。昨年は沖永良部島の方々が会津を訪れ、今年の5月には会津学研究会の皆さんが沖永良部島に訪問したとのこと!
会津とは違った環境で生活を営む人々との交流、合同研究会で明らかになったことなど、渡辺さんのとっても実感のあふれる報告で、面白かったです。

最後は会津学研究会代表、菅家博昭さんによる「これからの会津学研究会、『会津学』」について。

まずは今後みんなで学んでいきたい、失われつつある暮らしの知恵や慣習を紹介されました。例えば、カヤ葺きの屋根の上に草花が生えていたがあれは何だったのかとか、お盆に供えるお花は何でどこでとってくるのかとか・・・かつては当たり前で、今では気をつけないと見落としがちなことです。
確かにボーっとしてると見過ごしちゃう、なくなっちゃうことってありますよね。色々な興味や視点で物事をみることの重要性をヒシヒシと感じました。
さらに、『会津学』という雑誌をつくる基本となる「聞き書き」についてもお話されました。おじいさんやおばあさんをはじめ、地域に生きる人々に何をどのようなスタンスでお聞きするのか。民俗学や文化人類学など、いくつかの学問では永遠のテーマともいえるものです。
菅家さんは私たちは研究者ではないのだから調査でなくていい、ということを強調されておりました。確かに「聞き書き」って別に学者の専売特許ではありません。やっぱり自分がいて相手がいる「対話」だと思います。ただ、こちらが話すより聞く方の比重が大きいかもしれませんが。

「調査でなくていい」、この言葉にこれからの会津学研究会の進む方向があるのかもしれません。

長くなりましたので今回の更新はこれくらいで。

いまここネットメンバーによる「アラン・スミシー」のデビューははたしてどうなったのか・・・・・・
次の更新は懇親会のもようをお届けしたいと思います。
投稿者 いまここSTAFF

 

2009年8月3日月曜日

第5号、再校終了、印刷作業へ







■圃場での作業のときは携帯電話は軽トラックの運転席に置く。着信履歴と留守電を作業後に見てみると15時40分に奥会津書房から着信と留守電が入っていた。「再校(2度目の校正作業)が上がってきました」ということであったので、17時10分に仕事を切り上げ、雨と汗に濡れた身体を洗ってから、隣町の宮下の奥会津書房に向かった。父上は高畠の圃場のかすみ草の株草を抜かないと生育に負ける、と言っていて、岩下圃場のネット張りはぬかるんでできないので、明日はその仕事をすることにして大岐を出た。5万字の後出し原稿を差し込んでもらったので、、、、印刷出版が遅れることになってしまったので、校正はすぐに、、、。

■雨。18時20分頃に奥会津書房に着く。20時30分まで校正したものが打ち出されたできあがり想定の紙面の2回目の校正を行った。26本の原稿が本のかたちとなって並んでいて、とても楽しみなできあがりだ。

 そして、『会津学5号』出版特集として、『奥会津書房会報』30号が発行される。発刊記念の会合も以下の通り決定している。

 ※会津学ゼミナール 8月22日(土)15時~17時。三島町宮下ふるさと荘となり(旧・物産館)・いまここカフェ 0241-52-2887

 活動報告:三島町大石田の大わらじ作り(川合正裕)ほか。紙面の合評会など。無料。終了後懇親会があり、なかよしバンドが演奏します。懇親会参加は3000円。申し込みは8月20日まで奥会津書房まで。なお報告者は予定です。

 23時に帰宅し、先の郡山市内でのかすみ草フェアの参加者の報告書を読む。店頭で新しいかすみ草物語が生まれていることが、よくわかる優れた内容であった。和歌山の参加者3名からも参加報告書を大野君から送付され、こちらもたいへん参考になった。

 かすみ草が風雨で倒されないように15cm3目のアミ(網・ネット)を伸展し、そのなかをかすみ草は茎葉を支え成長する。人が人を支える地域社会のように、仕事を通じて社会とかかわるなかで、その商品の売買だけではない価値を生み出す(感じとるための仕掛け)ことを考えながら新しい取り組みを生み出す。それは対面して行うことでまずひとつ作り出せる物があると信じて。

■会津学研究会では、1年に1冊、聞き書きによる出版活動を行い、10年間継続することを目的としていますが、その5年次にあたり、雑誌も5号となりました。これをもとに福島県内各地で読者集会を行う予定で開催地を募集しています。この秋冬から春まで、県内10ヶ所程度で『雑誌:会津学』の5年、、、という内容で遠藤由美子編集長と、代表の菅家博昭がこの5年間の聞き書きの成果と今後の課題について報告するものです。まず研究会会員の生活拠点所在地での開催を目標としています。県内各市での報告会も会場・主催者を検討中です。可能な場合はなかよしバンドの演奏会もセットしたいと思います(マイク無し、音響設備無し)。

2009年8月1日土曜日

会津学の夕べ(8月22日)

■2009年8月22日(土曜日)15時~17時まで無料、その後懇親会(有料3000円)+コンサート。
福島県三島町宮下温泉ふるさと荘の右隣の旧・物産館にて、
『会津学5号』刊行記念(8月末出版予定)の集会と、18時頃から
なかよしバンド(昭和村・佐藤孝雄+菅家博昭、自作曲の演奏)の演奏会を開催します。

参加下さい。詳細は近日中に奥会津書房のニュースレターで通知されます。

2009年6月22日月曜日

手は動かせば宝になる

■2009年6月22日(月)14時から、約1時間、昭和村佐倉の「からむし工芸博物館」で、朝倉奈保子さんのインタビューをいたしました。こころよく話をしていただきました。雑誌『会津学』5号(この夏8月頃刊行予定)に掲載します。「きら」(光沢)や、「青苧(あおそ、青麻とも)」「聞き書き」「昨年の英国でのからむしワークショップ」などをうかがいました。

■2006年夏に刊行した雑誌『会津学』2号(奥会津書房)の206ページから275ページには、朝倉奈保子さんが、長い時間をかけて昭和村の人々から聞き書きしたことを「苧の道(おのみち)」として報告している。

 朝倉さんは平成13年(2001年)にからむし織りの体験生として入村し、翌年から聞き取り調査をはじめている。最後に次のようにまとめている。

 昭和村のお年寄りは「手は動かせば宝になる」とよく言う。手があるならば動かせばいい、足があるなら歩けばいいのだ。こんな基本的なことを忘れかけているのは自分自身だけではあるまい。(略)しかし、もういちどここで我々人間が自然というものを謙虚に受けとめ、恵みに感謝し、そして先人と培ってきた知恵を見直す必要があるのではないだろうか。育まれてきた文化の中にある「心」と「美」を見出すために、、、、

■朝倉さんは、平成19年(2007年)~3月に刊行された『からむしを育む民具たち』は、平成13年(2001年)4月から16年3月、16年7月~7月、同16年度(2004年)の聞き取り調査等に関わり、この執筆も担当している。

 ヒロロの雨蓑に関する聞き書きは、これまでに出会ったことのない上質なもので、とても優れている。以下に再掲する。

 ヒロロで製作されたカゴとミノが掲載されている。
 ヒロロ、ヤマブドウの樹皮、アサ、黒色の木綿布で化粧(アクセント)を付けている。
 ミノについての記載を紹介する。
 日除けや雨の日、物を背負う時などに着る。材料は長持ちするヒロロ。通常のミノは袖までついている。一カケ(ひとかけ)、もしくは一チョウ(いっちょう)と数える。ミノ作りは農閑期の仕事でちょうど「カタユキ」(春近くになって積もった雪が固くなり、歩いてもぬからなくなった雪のこと。三月頃から)になった頃、できたミノを雪の上に広げ、その上に雪をのせたり、池などに浸したりもした。編んだものを雪水に通すとゆるみがでて、弾力が生まれ、軽くなると同時に丈夫になり、ぼろぼろとくずが出にくくなる。水につけると色がよくなるとも言われている。昔は、池に浸したミノを、家の梨の木によく乾かしていた光景が見られた。梨の木は火事を防ぐと言われていたため、どこの家でも二、三本植わっていた。畑に出た時、昼休みにミノを敷いて、カサを頭にかぶせて昼寝をするのがなんともきもちのいいものだったという。ミノに代わって今はカッパを着るようになったが、現在でも暑い時はミノの方が便利だという人は少なくない。

 ※雪が大切な役目を持ち、屋敷まわりの梨の木など風景がよく見え、ミノの上で昼寝をする気持ちよさ、、、、体験に裏付けられたものしか語れない。話者によりそいながら、それをよく引き出している。

2009年5月6日水曜日

沖永良部島でのセミナー 5月30日

雪国、陸の孤島

■5月30日午後の鹿児島県沖永良部島和泊での研究会のために、高橋孝代『境界性の人類学〜重層する沖永良部島民のアイデンティティ』(弘文堂2006年)を読み始める。

 往復ともそれぞれの旅程で参加するのだが、赤坂憲雄さん、佐々木長生さん、遠藤由美子さん、そして私。私は28日午後に現地入りして花生産の調査をし、30日午後の鹿児島民俗学会の皆さんとの会合に参加する予定。報告も要請されているので、大岐の風景と雪国の暮らしをまとめる。

→→→2008年夏の講座
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■鹿児島の所崎平先生からメールが届き、5月末の研究会の様子がだいたい決まってきた。

 

会津学研究会・えらぶ郷土研究会・鹿児島民俗学会 合同発表会(予定) 5月2日の段階での内容


スケジュール

5月29日 歓迎・懇親会19:00~ 唄アシビ(三味線を弾き・歌う) 新納宅 (会費不要)



5月30日 午前中 島内巡検 出花集落(担当 出村)・手々知名集落(担当 喜坂)歴民館・芭蕉布工場・世の主の墓・ターニム田・……


 午後 14:00~17:30 合同発表会(ながはま館)

 発表 1 出村卓三「沖永良部島のヌンギドゥクル」のような内容
    2 川上忠志「沖永良部島の妖怪ヒーヌムンとケンムン・キジムナー」

    3 先田光演「バシャ流れ(バシャキバラの解説)」

    4 鹿民から1名

    5 会津側から2,3名

    6 赤坂先生「境界論(落ちぶれた霊)などのような」を分かりやすく60分ほど。


 懇親会 18:00~ ながはま館

     あしび踊(手々知名)・ヤッコ(出花)

      会費2000円、40~50名参加予定



5月31日 フリー 30日に回れなかった所、各自の帰り便に合わせて決める。





※ ホテルは素泊りで、予約ください。できるだけ、フローラルホテルで。

※ 到着・出発便は、迎え・送りに必要なので、早めにお知らせを。

※ ホテル――フローラルホテル(知名) 0997-93-2111

  観光ホテル 東(和泊)  0997-92-1283

  ホテル・シーワールド(和泊) 0997-92-1234



☆ 30日到着の方は、巡検の途中、時間を見計らって、迎えます。

2009年4月7日火曜日

4月9日の例会

■会津学研究会のみなさまへ

奥会津書房@会津学研究会事務局です。

この度、東北芸術工科大学大学院で民俗学を学んでおられる川合正裕さん
(『会津学vol.4』で執筆しています)が、三島町に住まいされることになりました。
奥会津書房の目の前の教員宿舎です。
ここで各種の民俗調査をされる予定です。

来る4月9日(木)18:00~
定例の勉強会を兼ねて、川合さんの歓迎会を催したいと企画しています。
その折、今後の計画なども併せてお話し合いできたらと考えておりますので、
是非ご参加ください。
会費は1000円です。

ご参加の連絡は、前日の8日までにお願いいたします。
お待ちいたしております。

■5月30日頃、鹿児島県の沖永良部島(和泊)にてセミナーが開催されます。

2009年3月29日日曜日

列島各地

■日本列島の各地を、花の仕事で訪ねる。高岡で、冬の仕事(講演)は終了した。帰郷後、上京したときに大型書店でその訪問した地域の2万5千分の1の地図と、地域の歴史の書籍を探す。たとえば東京駅東口にあたる八重洲口側には八重洲ブックセンターがあり、地階の地図、4階の地理図書関係、歴史図書(地方史)と書籍を探す。

 1月の大分県・宮崎県(高千穂郷)。吹雪・高速道通行止め。

 2月の岩手県一ノ関市室根山(吹雪)、沖縄県本部・湧川(気温27度)

 3月の富山県砺波市・高岡市(強風30m)


■通常2ヶ月から1ヶ月前に花の講演依頼があり、その地域についての歴史をまず調べる。その後、その生産物の現況を調べ、輸出入・種苗商・卸・仲卸・小売店等でかかわる人々に聴く。加えて、その産地の商品を扱っている人々にインタビューする。研修会の10日前に講演要旨をテキストファイルで主催者に送付する。写真・スライドのパワーポイント原稿は当日に持って行く。講演前にその生産地の圃場視察をし、核となっている生産者に会う。講演会の夜は懇親会(宴会)がセットされており、生産者の皆さんに暮らす地域の文化・歴史や暮らしのあり方、課題を聴く。翌日は、その夜の会で会った魅力的な人々の暮らす地域を訪ねる、、、、道の駅、直売所、地域の食品スーパー、書店などでその地域の資料を収集する、、、、ということを続けている。訪問したときに経験する気象体験も重要だ。どのようにして、この地域は歴史を超えて未来に希望をつないでいるのか?を農の立場で、いつも考える。それがそこを訪ねた縁にこたえるため。

床下で山草で作る、、、火薬の材料・焔硝(えんしょう)

床下で作る、、、火薬の材料・焔硝(えんしょう)
■馬路泰蔵編『知られざる白川郷~床下の焔硝が村を作った』(風媒社、2009年1月刊)

 この3月、富山県庄川流域を訪ねた。一向一揆の拠点寺院があり、合掌造りの五箇山がある。信長と教団の長い争乱のなかで、火薬原料の焔硝(えんしょう)と、兵士を提供している。

 帰郷後、いくつか文献を調べいきあたったのが、表題の本。

 庄川の最上流は岐阜県の白川郷。2002年、茅葺きの合掌家屋の床下の土を化学分析を行った著者らは、江戸時代に火薬の原料である焔硝(硝石)を人尿、蚕糞、野草などを原料とし、土壌微生物の働きを利用して作っていたことを『床下からみた白川郷~焔硝生産と食文化から』(風媒社)で、明らかにした。

 庄川流域は急峻な山に囲まれた白川郷から五箇山までの地域で、こうした焔硝が生産され、古い文書も、問屋の存在も明らかにされている。ここの経済拠点は庄川下流で平地に出たところの富山県南砺市城端町の越中城端(じょうはな)。五箇山は江戸時代は加賀藩の流刑地。そのさらに上流に白川郷がある。火薬生産の軍事秘密を守るためにこうした山峡の地が存在したとしています。

 火薬は1866年にノーベルが発明したダイナマイトが有名ですが、江戸時代までの火薬は黒色火薬で、硝石、硫黄、炭粉で作られます。

 五箇山の焔硝は1570年~80年に起こった石山合戦の時に、大坂石山本願寺に残らず納められたこと、北陸一向一揆においても1573年に五箇山から焔硝が送られたことが記されてる(15ページ)。

■注目しているのは焔硝生産に使う山草・野草の存在で、アカソ、イタドリ、シシウド、ウド、クロバナヒキオコシに含まれるカルシウムが焔硝生産に利用されていることです。そのほか栽培植物のヒエ、キビ、ソバの茎葉とタバコの茎が利用されています。特に衣料原料でもあるアカソのカルシウム含量は多い。硝石のチッソ源としてだけではなく、硝化菌の働きを高めるカルシウム源として重要であった。土と、草と、尿で床下で切り返しをしながら4年ほどで焔硝原料ができ、それを精製していく。堆肥を床下で作る、というような作業である。それは雨を避けることで硝石ができる。

 合掌造りは蚕を飼う、その糞(蚕糞)を硝石原料に添加して利用している。そして、山国の山草・野草を使う。

 

古代の会津

古代の会津
■福島市在住の鈴木啓さんが3月7日に歴史春秋社から発刊した『南奥(ふくしま)の古代通史』(4095円)を読み始めているが、新しい発掘調査の事実や研究成果が盛り込まれており、なかなか読ませる。

 羽鳥湖というと福島県の会津や白河に住んでいる人はなじみのあるところで、昨年9月に甲子(かし)峠が開通するまでの南会津と白河を結ぶ自動車道として唯一のものであった。その天栄村は白河地域に属するのだが、鶴沼川は西の会津に流れ、新潟から日本海につながる流路である。白河の集水域は阿武隈川になるのだが、天栄村・羽鳥湖の水は阿賀川・阿賀野川に流れ込む。この鶴沼川が、古代の通路である、と前掲書では記している(26ページ)

 「日本書記」崇神天皇10年9月9日、崇神天皇の伯父大彦命(おおひこのみこと)を北陸道(日本海沿岸地方)に、その子武淳川別命(たけぬなかわ わけのみこと)を東海道(太平洋沿岸地方)に、、、、(略)派遣した。
 日本海側を進んだオオヒコは越後から東に折れ、太平洋側を進んだタケヌナカワワケは南奥から西に折れた。二人の出会った所を相津(あいづ、会津)という、と記されている。

 旧・鶴沼川と日橋川の合流点の会津坂下町青津を、相津と想定しています。能登南部からの移住者を想定される弥生時代終末期の男壇遺跡・宮東遺跡があり、亀ヶ森古墳等があるからです。

生活記録

生活記録
■2009年3月28日(土)寒い日。雪が続く。

■西川祐子・杉本星子編『共同研究 戦後の生活記録にまなぶ~鶴見和子文庫との対話・未来への通信』(日本図書センター、2009年2月25日刊)

 山形県の農業者の佐藤藤三郎さん(一九三五年生まれ)は「農業地帯からの報告・山びこ学校の地で戦後農業を生きる」として講演している。

 町に行って、スーパーなどから買い物をしてきて食べると早く死ぬのかもしれないけれども、うちの村では春は山菜などの自然のものをとって生活しているし、自分のうちで作った米を食べているから、長生きするのだと思います。(略)(21ページ)

 皆さんもご存知だと思いますけれども、現在就農している人の平均年齢は71歳です。30や40歳で農業しているのは、果物作り、それから花卉園芸、あとは酪農と肉牛の飼育をやっている人とかだけです。そういう農家の方は少し残るかもしれないけれども、農業全体で見たら、日本の耕地の半分近くが荒れつつあり、とくに山の田んぼや畑は耕作が放棄されています。(略)

 わたしの娘のことで恐縮ですが、彼女は一昨年、アメリカに行って一年間ファーマーズマーケットの研究をしてきました。そうしたらアメリカなどではすでにスーパーから油で揚げた物などを買って食べると太ってしまい長生きできなくなるというので、その地域で作ったものを食べる運動を小さな農家と一緒になってやっているそうです。

会津山ノ内家

■2009年3月20日(金)雨。彼岸。祖先に思いをはせる日。

■福島県の奥会津地方には中世に山ノ内支配下であった。その拠点である金山町。同町出身で福島民友新聞の記者として活躍された栗城(くりき)正義さんの著作が3月6日に会津若松市内の歴史春秋社から出版された。

『忠誠日本一~二百八十年間主君を支え続けた会津山ノ内家の家臣たち~」

富山のカイニョ

■2009年3月14日(土)吹雪。



 正午に富山県高岡市を自動車で出発し、北陸自動車道・磐越自動車道で400km。6時間で会津に帰着しました。

 今回はJA高岡市の廣地さんにお世話になりました。

 また富山県内を走行して、今回は屋敷林の杉、、、カイニョと、黒い屋根瓦が印象に残りました。防風林といっても、その形は、杉の整枝形が細く異様です。たとえば下の写真は、防風の意味はないと思えます。

 昨夜の強風は、宿泊していた富山県砺波市の3階建ての角の部屋の窓が割れるくらいの風速30mでした。

大芦ののびき

■2009年2月8日(日)強風。

 本日、午後、昭和花き研究会の役員会(取締役会)。2月下旬の総会日程が決まる。

■湯川洋司 『山の民俗誌』 (吉川弘文館、1997年刊)

 山口大学の湯川洋司さんは、昭和四十八年(1973)夏に初めて会津へ行き、それから数年の間、夏と春に休まず会津の山のむらを訪ねている。

 昭和五十一年(1976)七月に福島県昭和村大芦で五十嵐利吉さんに会う。その後、利吉さんから手紙をもらい、「野びき」について知る。

 これは四月の酉の日の午後、隣近所の人たちが誘い合って酒や肴を持ちより、雪の消えた日当たりの良い場所に集まって、一献傾けながら長い冬から解放された喜びを語り合うものであり、仮に一の酉の日が雨だったり雪が消えていなければ二の酉か、三の酉にする楽しい昔ながらの行事(53ページ)。

 大芦では五十嵐忠吉さん(明治四十一年生まれ)に熊狩りのことも聞いている。

 また本書の最後は、宮崎県高千穂町土呂久の砒素中毒公害について章を終えている。煙害を出して大分県佐伯町を逐われた亜砒焼きが、移転し、土呂久で大正九年に始まった鉱業が、昭和四十六年に公害として世に知られ、平成二年に最高裁で和解が成立している。

 「土呂久の患者たちが東京の被告企業に面会を求めてその門前に座り込んだテント村で都市の人々と出会い、そして生まれた温かい交流と支援の記憶を抱いて土呂久に戻ってくることができたような、人と人とがまっすぐに結び合いつつ生きる姿こそが、来世紀を築く上での大切な指針になってくれることを願わずにはいられない。」と結んでいる。

お不動さま直売所(下郷町大松川、甲子峠)

■2009年3月8日(日)曇り。

 福島県南会津郡下郷町大松川の「お不動さま」をたずねた。

 大きなカツラ(桂)の樹木、、、樹齢350年とも言われる、、、、から大量の湧水が出ている。そこに不動堂が立っている。不動桂(ふどう・かつら)。

 雑誌『会津学』5号(今年の8月発刊予定)のための取材に一人ででかけ、「お不動さま直売所」を運営する人々6名の方々の話をうかがった。4月下旬から再開する予定、だという。ものを売る哲学をきちんと持っている人たちが、この地域で作った農産物を仮設テントで販売する小さな直売所が開店したのは昨年9月21日、甲子道路開通の日からだ。11月中旬で休店し、雪融け後にまた開店する。

 大松川に暮らす人が、「ここでみんなが作ったものを売る」「間違いのないものを売る」「ここでとれたもの」「仕入れはしない」、、、、、という、みなで話し合って決めた「お不動さま直売所」のきまり(規約、憲法)がある。歳をとっても、野菜作りを続けられる、元気でいるための直売所だ。

 

 →→→ 2008年10月13日

 →→→ 11月16日

 →→→ FTVサタふく 2008年10月11日

■滝にはよく不動明王が祀られる。巨木の桂の根もとから湧く水により縄文時代(晩期)から人々はここに暮らす。昨年10月にはじめてたずねた直売所の名前にひかれた。

 「お不動さま」を祀り、この湧水をまもり暮らす人々が、直売所をなぜ「お不動さま」と命名したのだろうか?そこに人々の未来への願いがあると思う。

 桂(かつら)は、その葉で抹香を作ると、2007年に月田農園で教わった。こんどの桂は、「不動桂」で水をまもる人々を護る。人々はこの水でいまも暮らしている。

2009年3月22日日曜日

こども聞き書き記事掲載




■3月21日の催事が、22日の新聞に掲載。福島民友3面、毎日新聞福島欄。奥会津こども聞き書き百選。読売、朝日も取材に来られていた、とのこと後日掲載されるでしょうか。

 とても良い本ができました。

 孫により聞き書きがまとめられ、本に掲載されたお年寄りの家族から今日、「ひいじいちゃん、じいちゃんのことが世に出てよかった」と涙。

こども聞き書き報告会




世界の秘密にふれる

■2009年3月21日(土)午前10時~11時40分。晴れ。雪融けの晴れた日は、ほんとうに春らしい。雪に囲まれた日々がもうすぐ終わる。福島県南西部にある奥会津・三島町で、「こども聞き書き報告会」がはじめて開かれた。60余名が集まった。

 只見川電源流域振興協議会の事務局が4月1日から三島町役場に移転する。それまで只見町役場に置かれていた。新会長は三島町長の齋藤茂樹さんに。

 今回の報告会も、齋藤茂樹さんが挨拶され、聞き書きに応募され、来場された小学生・中学生・高校生に一人一人に和綴じ製本されたそれぞれの応募作・写真を返却し記念品とともに、出版された本を手渡した。

 三島小学校の5年生の酒井康太さんが、「ひいおじいちゃん、そしておじいちゃん」というまとめた聞き書きを朗読した。

 赤坂憲雄さんが、この事業の目的や聞き書きの意味について短い話をされた。そのなかで、「聞き書きは、世界の秘密にふれること」ということをわかりやすく語った。おじいちゃんやおばあちゃんがいなければ、今の私たち、君たちはいなかった、、、、

 113編の応募作のすべてに2名づつ感想を書いた「鈴木克彦さん、菅敬浩さん、長瀬谷百合子さん、渡部和さん、渡部紀子さん」も、それぞれに感想を参加者に伝えた。

 最後に、昭和村・なかよしバンド(佐藤孝雄+菅家博昭)が自作曲4曲を演奏した。「小さな村」「ふるさと5月」「たいせつなもの」「冬来たりなば春遠からじ」「また会う日」(アンコール・ラマ佐藤衆作)

 →→→ 佐藤孝雄のブログ

■3月22日の福島民友新聞3面に掲載されました。

2009年3月20日金曜日

■3月21日 奥会津こども聞き書き100選

■2009年3月21日(土)午前10時~ 福島県大沼郡三島町名入 「山びこ」(生活工芸館向かい)にて、昨年夏に募集した「奥会津こども聞き書き100選」の報告会が開催されます。報告書の出版、赤坂憲雄さんとの懇談、11時からなかよしバンド(昭和村、佐藤孝雄+菅家博昭)のアコースティック・コンサート。入場無料でどなたでも参加できます。

■5月下旬、鹿児島県沖永良部島での集まりに会津から参加する予定で協議をしています。参加は奥会津書房まで照会ください。

 えらぶ郷土研究会・会津学研究会・鹿児島民俗学会 合同研究会

 2009年5月下旬 午後2時~6時(日時協議中)
 場所・鹿児島県 沖永良部島。和泊町手々知名 長浜館

2009年1月17日土曜日

聞き書き

宮崎県日之影町大瀬







■2009年1月13日(火)宮崎県のホテルルートイン延岡駅前の810号室より。

 1月12日(月)は朝3時から6時まで大田市場の花の入荷調査をし、羽田空港へ。市場内にあるホテルコムズのバスで第2ターミナルビル(ANA)、チェックインし8時5分発機に搭乗し大分空港へ。10時着。

 九州は雪で、大分県内の高速道は通行止め。

 一般道で大分市まで、そこより高速道で佐伯市まで、あとは国道10号線で宮崎県延岡市。そこから五ヶ瀬川沿いの国道218号神話街道を日之影町・高千穂町まで。大分空港からレンタカーを借りて200km、約4時間かかった。

 14時、道の駅星雲橋で西森氏の車に同乗し、管内の花き生産農家を数軒視察しました。雪。

 19時30分に高千穂町を出て、延岡市まで戻り21時に宿にチェックインしました。

 太平洋に面した延岡市から源流の高千穂までは50kmあり、会津若松市から昭和村の距離と同じです。

■この日にたずねた宮崎県日之影町大字岩井川の大瀬地区でラナンキュラス栽培に取り組む中川和信さん(昭和29年生まれ)に聞くと、山林での労働が基本であった時代が長く、照葉樹林を伐採し木炭生産やシイタケ生産を行い、その山の斜面に杉や檜を植えた。山林は個人で50町歩(ha)、共有で65町歩ほどあるという。昭和56年に結婚し、58年頃からキク(大菊)、ホオズキなどを栽培しはじめ、それが園芸への取り組みのはじまりだった、という。平成13年頃にラナンキュラスの栽培に取り組み、9年目になる。当初5名ほどで県内の綾園芸の品種ではじめ、現在はJA高千穂地区(高千穂町・日之影町・五ヶ瀬町の3町)で27名。長野県のフラワースピリットと技術提携している。

 時間をかけ急傾斜地をたくみに石積みして段をつくり耕し、家を構えている。耕して天に至る、という風景は、広くアジアに共通する土地利用のしかたです。