2009年3月29日日曜日

大芦ののびき

■2009年2月8日(日)強風。

 本日、午後、昭和花き研究会の役員会(取締役会)。2月下旬の総会日程が決まる。

■湯川洋司 『山の民俗誌』 (吉川弘文館、1997年刊)

 山口大学の湯川洋司さんは、昭和四十八年(1973)夏に初めて会津へ行き、それから数年の間、夏と春に休まず会津の山のむらを訪ねている。

 昭和五十一年(1976)七月に福島県昭和村大芦で五十嵐利吉さんに会う。その後、利吉さんから手紙をもらい、「野びき」について知る。

 これは四月の酉の日の午後、隣近所の人たちが誘い合って酒や肴を持ちより、雪の消えた日当たりの良い場所に集まって、一献傾けながら長い冬から解放された喜びを語り合うものであり、仮に一の酉の日が雨だったり雪が消えていなければ二の酉か、三の酉にする楽しい昔ながらの行事(53ページ)。

 大芦では五十嵐忠吉さん(明治四十一年生まれ)に熊狩りのことも聞いている。

 また本書の最後は、宮崎県高千穂町土呂久の砒素中毒公害について章を終えている。煙害を出して大分県佐伯町を逐われた亜砒焼きが、移転し、土呂久で大正九年に始まった鉱業が、昭和四十六年に公害として世に知られ、平成二年に最高裁で和解が成立している。

 「土呂久の患者たちが東京の被告企業に面会を求めてその門前に座り込んだテント村で都市の人々と出会い、そして生まれた温かい交流と支援の記憶を抱いて土呂久に戻ってくることができたような、人と人とがまっすぐに結び合いつつ生きる姿こそが、来世紀を築く上での大切な指針になってくれることを願わずにはいられない。」と結んでいる。