2009年3月29日日曜日

列島各地

■日本列島の各地を、花の仕事で訪ねる。高岡で、冬の仕事(講演)は終了した。帰郷後、上京したときに大型書店でその訪問した地域の2万5千分の1の地図と、地域の歴史の書籍を探す。たとえば東京駅東口にあたる八重洲口側には八重洲ブックセンターがあり、地階の地図、4階の地理図書関係、歴史図書(地方史)と書籍を探す。

 1月の大分県・宮崎県(高千穂郷)。吹雪・高速道通行止め。

 2月の岩手県一ノ関市室根山(吹雪)、沖縄県本部・湧川(気温27度)

 3月の富山県砺波市・高岡市(強風30m)


■通常2ヶ月から1ヶ月前に花の講演依頼があり、その地域についての歴史をまず調べる。その後、その生産物の現況を調べ、輸出入・種苗商・卸・仲卸・小売店等でかかわる人々に聴く。加えて、その産地の商品を扱っている人々にインタビューする。研修会の10日前に講演要旨をテキストファイルで主催者に送付する。写真・スライドのパワーポイント原稿は当日に持って行く。講演前にその生産地の圃場視察をし、核となっている生産者に会う。講演会の夜は懇親会(宴会)がセットされており、生産者の皆さんに暮らす地域の文化・歴史や暮らしのあり方、課題を聴く。翌日は、その夜の会で会った魅力的な人々の暮らす地域を訪ねる、、、、道の駅、直売所、地域の食品スーパー、書店などでその地域の資料を収集する、、、、ということを続けている。訪問したときに経験する気象体験も重要だ。どのようにして、この地域は歴史を超えて未来に希望をつないでいるのか?を農の立場で、いつも考える。それがそこを訪ねた縁にこたえるため。

床下で山草で作る、、、火薬の材料・焔硝(えんしょう)

床下で作る、、、火薬の材料・焔硝(えんしょう)
■馬路泰蔵編『知られざる白川郷~床下の焔硝が村を作った』(風媒社、2009年1月刊)

 この3月、富山県庄川流域を訪ねた。一向一揆の拠点寺院があり、合掌造りの五箇山がある。信長と教団の長い争乱のなかで、火薬原料の焔硝(えんしょう)と、兵士を提供している。

 帰郷後、いくつか文献を調べいきあたったのが、表題の本。

 庄川の最上流は岐阜県の白川郷。2002年、茅葺きの合掌家屋の床下の土を化学分析を行った著者らは、江戸時代に火薬の原料である焔硝(硝石)を人尿、蚕糞、野草などを原料とし、土壌微生物の働きを利用して作っていたことを『床下からみた白川郷~焔硝生産と食文化から』(風媒社)で、明らかにした。

 庄川流域は急峻な山に囲まれた白川郷から五箇山までの地域で、こうした焔硝が生産され、古い文書も、問屋の存在も明らかにされている。ここの経済拠点は庄川下流で平地に出たところの富山県南砺市城端町の越中城端(じょうはな)。五箇山は江戸時代は加賀藩の流刑地。そのさらに上流に白川郷がある。火薬生産の軍事秘密を守るためにこうした山峡の地が存在したとしています。

 火薬は1866年にノーベルが発明したダイナマイトが有名ですが、江戸時代までの火薬は黒色火薬で、硝石、硫黄、炭粉で作られます。

 五箇山の焔硝は1570年~80年に起こった石山合戦の時に、大坂石山本願寺に残らず納められたこと、北陸一向一揆においても1573年に五箇山から焔硝が送られたことが記されてる(15ページ)。

■注目しているのは焔硝生産に使う山草・野草の存在で、アカソ、イタドリ、シシウド、ウド、クロバナヒキオコシに含まれるカルシウムが焔硝生産に利用されていることです。そのほか栽培植物のヒエ、キビ、ソバの茎葉とタバコの茎が利用されています。特に衣料原料でもあるアカソのカルシウム含量は多い。硝石のチッソ源としてだけではなく、硝化菌の働きを高めるカルシウム源として重要であった。土と、草と、尿で床下で切り返しをしながら4年ほどで焔硝原料ができ、それを精製していく。堆肥を床下で作る、というような作業である。それは雨を避けることで硝石ができる。

 合掌造りは蚕を飼う、その糞(蚕糞)を硝石原料に添加して利用している。そして、山国の山草・野草を使う。

 

古代の会津

古代の会津
■福島市在住の鈴木啓さんが3月7日に歴史春秋社から発刊した『南奥(ふくしま)の古代通史』(4095円)を読み始めているが、新しい発掘調査の事実や研究成果が盛り込まれており、なかなか読ませる。

 羽鳥湖というと福島県の会津や白河に住んでいる人はなじみのあるところで、昨年9月に甲子(かし)峠が開通するまでの南会津と白河を結ぶ自動車道として唯一のものであった。その天栄村は白河地域に属するのだが、鶴沼川は西の会津に流れ、新潟から日本海につながる流路である。白河の集水域は阿武隈川になるのだが、天栄村・羽鳥湖の水は阿賀川・阿賀野川に流れ込む。この鶴沼川が、古代の通路である、と前掲書では記している(26ページ)

 「日本書記」崇神天皇10年9月9日、崇神天皇の伯父大彦命(おおひこのみこと)を北陸道(日本海沿岸地方)に、その子武淳川別命(たけぬなかわ わけのみこと)を東海道(太平洋沿岸地方)に、、、、(略)派遣した。
 日本海側を進んだオオヒコは越後から東に折れ、太平洋側を進んだタケヌナカワワケは南奥から西に折れた。二人の出会った所を相津(あいづ、会津)という、と記されている。

 旧・鶴沼川と日橋川の合流点の会津坂下町青津を、相津と想定しています。能登南部からの移住者を想定される弥生時代終末期の男壇遺跡・宮東遺跡があり、亀ヶ森古墳等があるからです。

生活記録

生活記録
■2009年3月28日(土)寒い日。雪が続く。

■西川祐子・杉本星子編『共同研究 戦後の生活記録にまなぶ~鶴見和子文庫との対話・未来への通信』(日本図書センター、2009年2月25日刊)

 山形県の農業者の佐藤藤三郎さん(一九三五年生まれ)は「農業地帯からの報告・山びこ学校の地で戦後農業を生きる」として講演している。

 町に行って、スーパーなどから買い物をしてきて食べると早く死ぬのかもしれないけれども、うちの村では春は山菜などの自然のものをとって生活しているし、自分のうちで作った米を食べているから、長生きするのだと思います。(略)(21ページ)

 皆さんもご存知だと思いますけれども、現在就農している人の平均年齢は71歳です。30や40歳で農業しているのは、果物作り、それから花卉園芸、あとは酪農と肉牛の飼育をやっている人とかだけです。そういう農家の方は少し残るかもしれないけれども、農業全体で見たら、日本の耕地の半分近くが荒れつつあり、とくに山の田んぼや畑は耕作が放棄されています。(略)

 わたしの娘のことで恐縮ですが、彼女は一昨年、アメリカに行って一年間ファーマーズマーケットの研究をしてきました。そうしたらアメリカなどではすでにスーパーから油で揚げた物などを買って食べると太ってしまい長生きできなくなるというので、その地域で作ったものを食べる運動を小さな農家と一緒になってやっているそうです。

会津山ノ内家

■2009年3月20日(金)雨。彼岸。祖先に思いをはせる日。

■福島県の奥会津地方には中世に山ノ内支配下であった。その拠点である金山町。同町出身で福島民友新聞の記者として活躍された栗城(くりき)正義さんの著作が3月6日に会津若松市内の歴史春秋社から出版された。

『忠誠日本一~二百八十年間主君を支え続けた会津山ノ内家の家臣たち~」

富山のカイニョ

■2009年3月14日(土)吹雪。



 正午に富山県高岡市を自動車で出発し、北陸自動車道・磐越自動車道で400km。6時間で会津に帰着しました。

 今回はJA高岡市の廣地さんにお世話になりました。

 また富山県内を走行して、今回は屋敷林の杉、、、カイニョと、黒い屋根瓦が印象に残りました。防風林といっても、その形は、杉の整枝形が細く異様です。たとえば下の写真は、防風の意味はないと思えます。

 昨夜の強風は、宿泊していた富山県砺波市の3階建ての角の部屋の窓が割れるくらいの風速30mでした。

大芦ののびき

■2009年2月8日(日)強風。

 本日、午後、昭和花き研究会の役員会(取締役会)。2月下旬の総会日程が決まる。

■湯川洋司 『山の民俗誌』 (吉川弘文館、1997年刊)

 山口大学の湯川洋司さんは、昭和四十八年(1973)夏に初めて会津へ行き、それから数年の間、夏と春に休まず会津の山のむらを訪ねている。

 昭和五十一年(1976)七月に福島県昭和村大芦で五十嵐利吉さんに会う。その後、利吉さんから手紙をもらい、「野びき」について知る。

 これは四月の酉の日の午後、隣近所の人たちが誘い合って酒や肴を持ちより、雪の消えた日当たりの良い場所に集まって、一献傾けながら長い冬から解放された喜びを語り合うものであり、仮に一の酉の日が雨だったり雪が消えていなければ二の酉か、三の酉にする楽しい昔ながらの行事(53ページ)。

 大芦では五十嵐忠吉さん(明治四十一年生まれ)に熊狩りのことも聞いている。

 また本書の最後は、宮崎県高千穂町土呂久の砒素中毒公害について章を終えている。煙害を出して大分県佐伯町を逐われた亜砒焼きが、移転し、土呂久で大正九年に始まった鉱業が、昭和四十六年に公害として世に知られ、平成二年に最高裁で和解が成立している。

 「土呂久の患者たちが東京の被告企業に面会を求めてその門前に座り込んだテント村で都市の人々と出会い、そして生まれた温かい交流と支援の記憶を抱いて土呂久に戻ってくることができたような、人と人とがまっすぐに結び合いつつ生きる姿こそが、来世紀を築く上での大切な指針になってくれることを願わずにはいられない。」と結んでいる。

お不動さま直売所(下郷町大松川、甲子峠)

■2009年3月8日(日)曇り。

 福島県南会津郡下郷町大松川の「お不動さま」をたずねた。

 大きなカツラ(桂)の樹木、、、樹齢350年とも言われる、、、、から大量の湧水が出ている。そこに不動堂が立っている。不動桂(ふどう・かつら)。

 雑誌『会津学』5号(今年の8月発刊予定)のための取材に一人ででかけ、「お不動さま直売所」を運営する人々6名の方々の話をうかがった。4月下旬から再開する予定、だという。ものを売る哲学をきちんと持っている人たちが、この地域で作った農産物を仮設テントで販売する小さな直売所が開店したのは昨年9月21日、甲子道路開通の日からだ。11月中旬で休店し、雪融け後にまた開店する。

 大松川に暮らす人が、「ここでみんなが作ったものを売る」「間違いのないものを売る」「ここでとれたもの」「仕入れはしない」、、、、、という、みなで話し合って決めた「お不動さま直売所」のきまり(規約、憲法)がある。歳をとっても、野菜作りを続けられる、元気でいるための直売所だ。

 

 →→→ 2008年10月13日

 →→→ 11月16日

 →→→ FTVサタふく 2008年10月11日

■滝にはよく不動明王が祀られる。巨木の桂の根もとから湧く水により縄文時代(晩期)から人々はここに暮らす。昨年10月にはじめてたずねた直売所の名前にひかれた。

 「お不動さま」を祀り、この湧水をまもり暮らす人々が、直売所をなぜ「お不動さま」と命名したのだろうか?そこに人々の未来への願いがあると思う。

 桂(かつら)は、その葉で抹香を作ると、2007年に月田農園で教わった。こんどの桂は、「不動桂」で水をまもる人々を護る。人々はこの水でいまも暮らしている。

2009年3月22日日曜日

こども聞き書き記事掲載




■3月21日の催事が、22日の新聞に掲載。福島民友3面、毎日新聞福島欄。奥会津こども聞き書き百選。読売、朝日も取材に来られていた、とのこと後日掲載されるでしょうか。

 とても良い本ができました。

 孫により聞き書きがまとめられ、本に掲載されたお年寄りの家族から今日、「ひいじいちゃん、じいちゃんのことが世に出てよかった」と涙。

こども聞き書き報告会




世界の秘密にふれる

■2009年3月21日(土)午前10時~11時40分。晴れ。雪融けの晴れた日は、ほんとうに春らしい。雪に囲まれた日々がもうすぐ終わる。福島県南西部にある奥会津・三島町で、「こども聞き書き報告会」がはじめて開かれた。60余名が集まった。

 只見川電源流域振興協議会の事務局が4月1日から三島町役場に移転する。それまで只見町役場に置かれていた。新会長は三島町長の齋藤茂樹さんに。

 今回の報告会も、齋藤茂樹さんが挨拶され、聞き書きに応募され、来場された小学生・中学生・高校生に一人一人に和綴じ製本されたそれぞれの応募作・写真を返却し記念品とともに、出版された本を手渡した。

 三島小学校の5年生の酒井康太さんが、「ひいおじいちゃん、そしておじいちゃん」というまとめた聞き書きを朗読した。

 赤坂憲雄さんが、この事業の目的や聞き書きの意味について短い話をされた。そのなかで、「聞き書きは、世界の秘密にふれること」ということをわかりやすく語った。おじいちゃんやおばあちゃんがいなければ、今の私たち、君たちはいなかった、、、、

 113編の応募作のすべてに2名づつ感想を書いた「鈴木克彦さん、菅敬浩さん、長瀬谷百合子さん、渡部和さん、渡部紀子さん」も、それぞれに感想を参加者に伝えた。

 最後に、昭和村・なかよしバンド(佐藤孝雄+菅家博昭)が自作曲4曲を演奏した。「小さな村」「ふるさと5月」「たいせつなもの」「冬来たりなば春遠からじ」「また会う日」(アンコール・ラマ佐藤衆作)

 →→→ 佐藤孝雄のブログ

■3月22日の福島民友新聞3面に掲載されました。

2009年3月20日金曜日

■3月21日 奥会津こども聞き書き100選

■2009年3月21日(土)午前10時~ 福島県大沼郡三島町名入 「山びこ」(生活工芸館向かい)にて、昨年夏に募集した「奥会津こども聞き書き100選」の報告会が開催されます。報告書の出版、赤坂憲雄さんとの懇談、11時からなかよしバンド(昭和村、佐藤孝雄+菅家博昭)のアコースティック・コンサート。入場無料でどなたでも参加できます。

■5月下旬、鹿児島県沖永良部島での集まりに会津から参加する予定で協議をしています。参加は奥会津書房まで照会ください。

 えらぶ郷土研究会・会津学研究会・鹿児島民俗学会 合同研究会

 2009年5月下旬 午後2時~6時(日時協議中)
 場所・鹿児島県 沖永良部島。和泊町手々知名 長浜館