2007年12月21日金曜日

からむし(苧麻)と大芦




■2006年4月24日に札幌市北区の弘南堂書店より8840円(送料・税込)で購入した『苧麻』

■大正十一年(一九二二年)十二月五日に台湾総督府内の南洋協会台湾支部が発行所となって出版された、定価二円の加藤清之助著『苧麻』四二ページには以下のような記載がある。

1.福島県

福島県の苧麻産地は大沼及び南会津の二郡にて、前者は五十数町歩、後者は三町歩内外に止まる。而して大沼郡に苧園を有せるは野尻と大蘆(大芦)の二村なるが大蘆の産を最良とせり。

2.山形県

山形県の苧麻作付面積は(明治)四十三年には百三十六町、四十四年には百四十八町八反なりしが、大正三、四年頃には百〇三町予歩にして、内西村山郡その半を占め、北村山郡二十五町内外、最上郡十五町内外は其の重なるものにして、他は殆ど数ふるに足らず。その総生産額は本州西南部及び四国、九州の総生産額と匹敵す。西村山郡の苧作中心は天童より最上川を遡りて八里余の山奥に於てし、総て山間僻地の交通極めて不便なる地方なり。

■全国の状況は三九ページに以下のように記載されている。

 明治三十八年以来の統計によれば、苧麻栽培は年々衰微に赴き、当局の奨励何等効を奏せざるの現況なり。

 即ち明治三十八年には二千町以上の作付と二十八万有余の年額を算せしもの、大正元年には八百四十六町余、産額十万貫余に降り、大正三年には四百四十五町余の作付と、五万八千貫余となり、大正四年には二万三千九百六十七貫に激減するに至れり。

■三八ページには、次のようにある。

 上杉家は越後の苧麻最盛期前会津に専領し、次に米沢に専領し、至る処に於て此が興業を奨励せし結果、その業は奥州至る処に勃興し、昔加賀、信濃、山形、会津(今の福島市若松地方一帯は昔時の苧麻栽培地の中心なりき)、米沢等に於て、既に隆盛を極め、越後に於ては遂に自国産を以て国内製麻業の需要を満た事能はず。信濃、会津等より之が原料の供給を仰ぎたりき。然るに星移り年変り、遂に幕末慶応の騒憂に会し、世の変乱となりては、流石に昔時隆盛を極めたる越後その他の苧麻興業も、漸次衰微するに至り、越後の製麻布原料の消費僅かに五百万斤を算するに過ぎざるに至れり。


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巻末、三六七ページの引用書目には、英文の文献が七点、そして日本語の文献が一二点掲載されており、その第一が「八、田代安定氏 苧麻興業意見」となっている。