2007年5月31日木曜日

聞き書きの周辺④御詠歌(うたよみ)

■2007年5月31日(木)、一日中雨でした。

■「今日未明に、ばあちゃんが亡くなった」と昨日、田島田部の湯田浩仁君から電話がありました。明日(6月1日)午前10時、自宅にて葬儀が行われるということで、通夜にあたる今日の夕方、昭和村から雨の船鼻峠を越えて会津田島の湯田君の家を訪ね、焼香させていただきました。湯田サンさん、大正元年生まれの94歳。家族に見守られながら、自宅でずっと療養し、自宅で息を引き取りました。そして地域の人たちにより自宅での葬儀の準備が行われていました。十三佛の御詠歌、、、ウタヨミが地域の人たち30人ほどで行われていました。左側の台には漢字でかかれた御詠歌、右側手前はひらがなの御詠歌、打つ鐘の音に合わせて節をつけて詠います。昭和村のオオマタでは西国三十三観音御詠歌を詠います。詠む詩は異なるものの、地域の人たちが声を合わせて故人を供養するものでひろく行われています。僧による経文とは異なり、ほんとうに故人といっしょに地域で暮らした人々の声による供養なのです。尊いものです。

■湯田君の家を訪ねたのは、松山誠さんといっしょに数年前の秋にハウスを訪ねたのが最初です。その後、宮西さん、松山さんと秋に訪ね、その年の2月に松山さんと一緒にソバうち体験でした。市場や仲卸の人と一緒に訪ねるのが多かったのですが、冬に一度訪ねたときに、サンおばあさんに一度だけ会ったことがあります。

 娘さんの家に泊まりに行っていたのだそうですが、「ただいるとたいくつだから、針仕事の道具を取りに家に戻った」ということを、そのときおばあさんのサンさんは、話していました。

■湯田君のお母さんは、この5月のアスパラガス収穫体験の取材のときに、お世話になりました。今日の湯田君の家は大勢の人が、親戚、地域の人たちで葬儀の準備が行われていて、ウタヨミを終えて19時過ぎから夕食の準備、、、座敷にテーブルが10個ほど並んで、皆忙しそうでした。焼香して帰る予定が、その輪に加わることになって、1時間ほどいました。ごはん、味噌汁、銀タラの煮付け、カノシタ(きのこ)と糸こん、豆腐1/6をいただいた。玄関を入って右手には地域の人からのビールがプラケース20本入が20ケースほどのしを巻いて積まれ、テーブルには国権の清酒の1升瓶と、ウーロン茶ペットボトル2リットル、陶器の皿と箸がずらっとならんでいました。大勢の人の末席に座っていた私を発見したのは湯田君のお母さんでした。

■28日に魚沼に健市君を訪ねたときに新発田の富樫君の作ったバラをいただいて会津に帰ったのですが、29日の夜に会合があり湯田君にあったので、いただいた3種のバラの半分を湯田君に届けました。そのバラが座敷に多くの花のなかにありました。そして交流の多い湯田君への首都圏の花屋さんからの花も御供養のものとしてたくさん置かれていました。

■地域の人たちに、いつもやさしく見守られている家である、といことをあらためて感じました。こうしたことも、自分の住む昭和村でも自宅での葬儀が少なくなっていること、、、老人世帯で大勢の来客のまかないができない体力で、町の葬儀会館での葬儀が多くなっていること、、、、を考えると、普通の出来事が普通にできなくなることが、いま始まっているということを思いました。湯田君は会津学3号の対談に参加してくれ、若い農業生産者として南会津町田島で活躍している人です。

 故人のご冥福をお祈りいたします。(菅家博昭)