2007年7月12日木曜日

7月12日、聞き書き講座③

■昨年に続いて奥会津書房では金山町にある県立川口高校での聞き書き講座を遠藤由美子編集長が受け持っています。今年は6月からはじまり、今日(7月12日)が3回目となり、次回18日が最終講義となります。今日は私の担当する日で、以下のような資料を準備しました。そのほかに、『只見町史民俗編』『民俗生態学序説(野本先生)』『越後奥三面』からの資料を準備しました。


■聞き書きの進め方 ★川口高校 2007年7月12日
                菅家博昭(福島県大沼郡昭和村大岐 農業)
聞き書きのまとめかたの例
1.その人の語る言葉でまとめてみる
 ①方言はたいせつな表現、意味を持っている
 ②わからない言葉は、その意味を詳しく聞いてみる
 ③標準語でもかまわない

2.聞いたことと、自分の感じたことを分けて書く
 ①その人から聞いたことはひとつの段落にまとめる
 ②自分が感じたこと、あとで自分で調べたことなどは、段落をわけて書く
 ③はじめに予想した内容と違った場合は、違った方に進めて聞いていく。でもあとで戻る。

3.たとえば 春を感じるのは?というテーマで聞いてみる
 ①家族(両親、祖父母、兄弟、親戚)や、友人、近所の人たちなどに次のことを聞いてみる。
  「雪のある冬から春になるとき、春になったなあ、と感じるときはどんなときですか?」
  「それは、雪が溶けるからですか?それとも風が暖かくなる?雨が降る?」
  「こどもの時に、春になったなあ、と思ったのはどんなときですか?それは何歳頃?」
  「大人になってから、春になったなあ、と思うのはどんなときですか?」
   雪の呼び名の種類とか、雪融け水とか、ゆきむし、とか、、、、山菜とか桜とか、、、

 ②あるいは、①と同じ内容で、自分に対して聞き書きしてみてください。

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1994年に聞き書きしたノートから1997年にまとめて発表した菅家の文です。まとめ方の参考としてください。

< 猟師の茸(きのこ)採り >

 「カヤバのミズナラのドングリはあっちこっちしかなってねえ。熊がかんむくったあとがあったが、ヒラの下のほうはマミだ。帰りにナメコ、ムキタケ、カンタケ採ってきた。あそこは春行けばエラひとかごは採れんな」

 私の父・清一(一九三二年生)が狩猟に出かけた裏山から帰ってきて、ふだん着に身支度したあと炬燵にあたり、自分で入れた熱い緑茶を飲みながら話し出す。父の居る横座、その差し向かいにいる私の祖母、つまり父の母親のトシ(一九〇八年生)に話しかけている。これは一九九四年十一月十六日のわが家の光景である。山から戻ると、たいがいこうした会話がはじまる。祖母は数十年前のことを引き合いに出して「おれの若い頃は、あそこの萱場(かやば)は、誰彼と行ったときにシメジをひとしぇえ(一背)採った」という具合だ。そこで、過去に利用した資源の中味と量、自生そのもの量が変化していることを家族の中で確認している。たまに、こうしたやりとりの中で祖母から聞いておいたとおりに茸のオイハ(線上に発生する場所)から収穫をしてくると父は「婆様ゆった(言った)とおりだったぞ」と言う。
 これら山菜・茸は、家庭で利用し、一部を町場に住む親戚に贈与している。保存しておけるものは、村の行事や冠婚葬祭時の献立に必ず付けるため、必要なものも多い。

 熊猟に行ったのだが、熊とは出会えず猟は不調に終わったので、帰りに茸(きのこ)を採ってきたというのだ。山の状況は、夏の未曾有の高温干ばつのせいか、ミズナラのドングリの実(シダミともいう)が不作であちこちにしかなっていない。熊の跡がないか、慎重に足跡を探して歩いたようだ。ドングリは熊の好物で、落ちた実を探して、落ち葉を掻いてあった痕があったが、ヒラ(平らに広がる空間を持った斜面)の下の方の痕はマミ(アナグマ)によるのものだった。
 ブナは豊作年と不作年があるが、博士山では長雨冷害の年(一九九三年)は豊作で多くの実をつけたが、今年(一九九四年)は実をつけていないので、熊はミズナラの実であるドングリを探して歩いている。その熊が歩く範囲がいつもより広いようで、父はあてがつかない様子であった。
 熊という獲物を探すために、猟師の父は山の成り物である木の実の状態をよく観察していた。木の実を多くつけた山塊、その斜面の落ち葉を掻き分け、実を食べた状況を良く観察してケモノの種類を識別している。こうした一連の行為のなかで、山菜や茸の出具合も見ている。

< ほたら >
 台風などで倒れた木の場所、これは茸が出るので覚えておく。また、茸の出始め、盛り、開ききったもの、腐ったものと、その生育段階のものも覚えておき、来年のいつの時期に来たらその盛りに採れるかも推察する。
 山菜の若芽は伸び葉を広げ「ふうける」と「ほたら」になり、秋には枯れるので、「ほたら」の有無さえ見て歩けばよい。そのところに春来れば若芽を採れる。春に来たときにも昨年の枯れて雪におしつぶされた「ほたら」を見ておく。
 このようなことは猟師、山菜茸を採る人にとってはごく普通の行為である。秋であれば茸を採りながら、山菜であるワラビ・ゼンマイ等春の山菜のほたらも記憶しておく。冬の猟でも枯れた木や倒木を記憶し、数年後の茸の出を予測する、森の木の実の成り具合から鳥獣のその年の生息域と個体の増減まで推し量っている。こうした観察からわかるとおり、その山の物の収量は、年令とか体力によるものではなく、環境認識の深さが最も重要で、単独で山に入り山菜や茸、一部の狩猟、川猟の個人差となる。また、山の中に細かくつけられた地名によってその場所の特定と、情報の公開と共有(家族なり、集落なりの)をはかっている。

< 猟師の茸採り >
 この日は味噌汁の具にするととてもうまい「エラ」がまとまって生育していた場所を見つけ、その量は「篭ひとつ」ほど採れると推察し、来年の春に採ろうというのである。
 今日は、獲物が無いので、せっかく山に入ったのでカラミ(空身)では帰るのは惜しいので、茸を採ってきた父だが、こんどはその採ってきた茸を見てみよう。
ブナの森に出る茸は初秋から「ワケ」が採れる。そして秋はトチ、ナラ、ブナ等の木に「ムキタケ(ヒラタケ)」が出る。同じく「ナメコ」はブナ等何にでも出るがナラの方がでる。ムキタケが終わるころ、ムキタケにとても良く似た「カンタケ」がブナやハナノキ等に出る。カンタケはムキタケの晩生のようだが、格好はワケに似、紫色。「シイタケ」「アカンボウ(クリタケ)」「マイタケ」、種類が多い「シメジ」、雑茸としの「モタシ」。8月の旧盆ころ出る茸の「サンボタケ」は、虫がつかなければ真冬になっても採ることができる。
 人間に重宝な茸は、ブナの森自身の健康維持のためにも無くてはならないもの。ブナの木の枝や幹が折れると、雨水がしみこみ、腐りはじめ茸が出る。ヤマアリなども巣くいはじめる。そのアリを食べるためにオオアカゲラ等のキツツキの仲間が木に穴をあけ虫をつつき出し食べる。やがてブナの木は倒れ、ナメコ等が出て、最後には分解され、土に還る。この滋養豊かな土は、老木のもとで出番を待っていた若木を育てる。