ヒロロである。三月からずっと調べ続けている。今朝、気温十二度、寒い朝、大岐で朝食後にこたつにあたりながら、父と母からヒロロの話を聞き取りした。
父は清一(昭和七年生、七五歳)、小野川から嫁いできた母・ミヨ子(昭和八年生)。父は、天井(二階の物置・屋根裏)から一束の乾燥した植物の束を持ってきた。
「尋常高等学校(いまの中学二年で卒業)出て、オヤジにはじめて連れられて博士山の黄金沢の滝のところにヒロロ採りに行った。十四、十五歳の頃だ。これはオヤジが採ったヒロロだ。ホン・ヒロロ(ミヤマカンスゲ)のほか、ウバ・ヒロロ(オクノカンスゲ)も混じっている。葉の幅が広いのがウバヒロロだ」
オヤジというのは父・清一の親のことで、私から見て祖父。その清次は明治四〇年八月十八日生まれで、私も八月十八日生まれだ。この祖父・清次の親は菊蔵と、明治三十六年に大芦から嫁いできた星トメの次男として大岐に生まれ、昭和五十一年(一九七六)三月七日に七〇歳で死去している。私はそのとき高校一年生。
このヒロロは、採取されたのは昭和二十一年(一九四六年)頃のことになる。清次は三九歳、その息子の清一は十四歳。いまから六十年ほどまえのもので父が天井裏(屋根裏)に保管していた。
■三島町ではヒロロは根ほぐしという作業をしてから乾燥する。それを父・清一に聞いたところ、「ここらではそんなことしてないな」ということで、祖父の採取したヒロロを持ってきて、根本を見て「抜いたまま乾燥している」ことを確認した。大根葉や凍み餅を編むようにして束ねたヒロロを軒下に下げて乾燥したそうだ。
→→→昨年九月の聞き取り(三島町) →→→生活工芸館たより
■南会津郡の『田島町史』第四巻・民俗編(昭和五十二年刊、1977年)の百二十三ページに、ヒロロ乾燥のための「連(れん)」、その写真が掲載されている。
2008年3月16日、17日 会津学研究会の春季講座で三島町間方集落の人々に学ぶ会でもヒロロの話を聞きました。→→→会津学研究会 →→→記憶の森を歩く
■ヒロロを使った道具の製作技法→→→奥会津編み組細工
■→→→アイデンティティ・クロップバンク(基層文化を支える作物)
■ヒロロ、新潟県内の事例 →→→ 柏崎市高柳町石黒
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■2008年5月31日、私の父・清一(昭和七年生、七十五歳)から、はじめて聞いた話があった。それはヒロロを食べる動物(ヤマドリ、ウサギ)がいる、ということだ。
奥会津に自生する多年生植物ヒロロ(ミヤマカンスゲ)は、ラフィアと同じように、そのままの状態で、花を束ねる素材して花に関われる、と考えています。5月30日に来村された金藤公夫さんにヒロロをお渡ししました。地の草(アース・クロップあるいはナチュラル・クロップ)。